第45話 ハイパーインフレ

【トゥール城】


 アイヒと一緒に天使ノートに現れたヒントについて考える。


「お祈りよ! 今すぐお祈りするの」


 その場で祈りを捧げようとするアイヒ。


「ちょっと待て、そんな単純なことか?」


 前回のヒントで俺はこのトゥール城へ駆けつけることになり、賊の女を追い払うことができた。前回のヒントにあった言葉『求めるものが現れん』の求めるものとは賊のことだったのだろうか? いや、賊のことを『求めるもの』とは表現しないだろう。やはり『求めるもの』とは第3の手記と考える方が自然だ。であれば今回のヒントも手記のある場所に関するヒントである可能性が高い。


「問題は……祈りを捧げるという行為というよりは……」


 俺は言葉を口に出すことで考えを整理しようとする。


「どこで祈りを捧げるかということじゃないのか?」


 この城で祈りを捧げるとき最も適切な場所はどこだ?


「礼拝堂よ!」


 アイヒが言った。天使のカンでひらめいたのだろうか? 朝の礼拝で利用しているので礼拝堂の場所は知っている。大広間の隣にあるやや小ぶりの礼拝堂だ。近くにサン・ガシアン大聖堂があるので朝のミサなどはそちらへ行けばいいのだが、城の内部でも礼拝を行うことが出来るようになっている。


 急いで部屋を出て、大広間を横切り礼拝堂へ入る。祭壇の前まで行くとひざまずいた。


「天にまします我らの父よ――」


 ふたりで祈りを捧げる。2度に渡って賊に襲われたが2度ともうまく切り抜けられた。確かに神様のおかげだろう。


 突然、祭壇の後ろにある窓からまぶしい日の光が差し込んだ。次の瞬間、俺は不思議な現象を目にした。窓から差し込んだ光が拡散せずに一点に集中している。礼拝堂の床は白と灰色のタイルが交互にはめ込まれているのだが、そのうち1つの白いタイルに光は集中していた。


 俺は急いでそのタイルのところへまで行き、タイルの角や真ん中を指で押してみる。すると角のひとつでカチッと音がして、少しだけ浮き上がった。慎重に指でタイルを持ち上げるとそのまま取り外すことが出来た。タイルの下は四角い窪みになっており金属の箱が入っている。


 アイヒに目で合図をした後、両手で落とさないように箱を取り出しそっと床においた。箱は思ったよりも軽く、ふたが取り付けられている。


「よし、開けるぞ」


 胸の高鳴りを感じながら、ふたを開ける。


 ――ビンゴだ! 箱に入っている冊子を見つけ、思わず叫んでしまった。


「ビンゴって、あんまり未来の言葉使わないでよね」


 ビンゴゲームは1530年ごろのイタリアで行われていた宝くじが発祥と言われている。アイヒの読んでいるミステリー小説のセリフで出てきたのだろうか? 冊子を取り出すと巾着袋へ入れ、箱とタイルをもとに戻す。タイルは上手くはまって元通りの状態になった。窓から差し込む光はいつの間にか消えていた。もう一度神様へ祈りを捧げると礼拝堂を後にした。


「今回の隠し場所は、結構手が込んでいたわね」


「まったくだ。ヒントなしで見つけるの無理じゃねえか」


「私の出番なかったわ」


「そう言えば、お前アンドレさんに演技するように頼んだらしいな」


「げっ!もうバレてる」


 部屋に戻ると安心感からかいつもの調子のやりとりが続いた。落ち着いたところで手記の内容を確認する。


『最近、この手記に記す内容が愚痴っぽくなっていたことを反省している。もしこの手記を読んだのならイケメン王フィリップの破天荒さに驚いたことだろう。なぜならこの俺もこの男の行動には常に驚かされていたからだ。フィリップ王は、フランドル地方※をどうしても手に入れたかったようだ。邪魔なローマ教皇がいなくなり王はまたもやフランドルで戦争を始めた』

 ※注 フランス北端部からベルギー西部にかけての地方。中世に毛織物産業で栄えておりフランスとイングランドが支配権をめぐって争った。


『戦争には当然だが金が要る。金欠になったフィリップが教会に課税して教皇との対立を招いたことは前回書いた。たがもうひとつフィリップが考えたのが硬貨の質を落とすことだ。王は1295年から貨幣価値を減らす改鋳かいちゅうを始めた。1298年と1299年にも改鋳を行い、改鋳による収入が国家歳入の半分に達したのだ』


 改鋳かいちゅうとは、市場に流通している貨幣をいったん回収し、金や銀の含有率を操作した上で新しい貨幣に作り直し、再度、市場に流通させることを言う。お金に不純物を入れて増やすので増えた分は国の、しいては王のお金になる。魔法みたいでいいなあ、と思うかもしれない。しかし、これはとんでもない副作用をともなう。まずはお金そのものの価値が減ることにより物の値段が上がる。今まで1リーヴルで買えたものが2リーヴル、3リーヴル払わないと買えなくなる。庶民の持っているお金、賃金が増えるわけではないので、これは値上げと同じだ。いわゆるインフレというやつだ。


 現代の日本ではインフレではなくデフレが続いていたのでインフレと言ってもピンとこないかもしれない。だが、このインフレがコントロール不能になりハイパーインフレになってしまうと大変なことになる。


 ハイパーインフレの例として有名なのが第一次世界大戦後のドイツだ。ヴェルサイユ講和条約で巨額の賠償金支払いを課せられたドイツでは、中央銀行であるライヒスバンクが国債を引き受け、大量の紙幣を発行した。


 その結果としてお金の価値が暴落し、反対に物の値段が急上昇した。最終的に物価は384億倍という天文学的数値まで上昇した。1920年に3.9マルクだったタマゴ10個の値段は1923年には3兆マルクまで上昇したと言う。文字通り紙幣は「紙くず」となり、国民は買い物をするのに手押し車で紙幣の山を運んだ。


 もうひとつ例としてアフリカ南部の国、シンバブエで2008年に発生したハイパーインフレがある。2008年11月、89.7×10の21乗%という脅威のインフレ率を記録した。お金の価値はどんどん下落して、2009年1月に100兆ジンバブエドル紙幣が発行された。


 どちらの例も国民の生活は大混乱となった。現代の中央銀行※であるアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)や日本銀行の主要な役割は物価を安定させることだ。一度ハイパーインフレが起こってしまうとコントロール不能になって国民経済に大きなダメージを与えてしまうので、そうならないようにお金の量や金利を調整している。


 ※注 中央銀行…国家や一定の地域の金融システムの中核となる機関。地域で通貨として利用される銀行券を発行できる。


 手記の続きを読む。

 

『フィリップ王の改鋳かいちゅうによって国民の生活は混乱した。そこで王は1306年の勅令で金貨の金含有量をルイ9世時代の水準に戻すことを命ずると同時に新しい銀貨も鋳造した。当然それまであった貨幣はもっと価値が下がる。ところが物価は上がったままなので、パリ市民は自分が持っている価値の低い貨幣をよりたくさん支払って新しい貨幣に交換し、その貨幣で物を買わないといけなくなってしまった。とうとうパリ市民の怒りが爆発して、その怒りは王室へ向けられ略奪が開始された。恐怖を感じたフィリップ王は、我々の本拠地テンプル塔へ逃げ込んできたのだ』


 この手記の著者は、フィリップ4世のことを目先の金のことしか考えていない、浅はかな王だと思ったのだろう。同時に何をするかわからない行動が読めない王だと恐れたに違いない。だが王の本当の恐ろしさに気がつくのはまだ先のことだったようだ。ページを行ったり来たりしてようやく目的の文章を見つけた。


『次の手記のありかはオルレアンである』


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る