第42話 恐怖の焼印

 やがて、ロワール川沿いにたたずむ城館が見えてきた。周辺の敷地に人の姿はない。城主であるフランス王が不在なので、館にはあまり人がいない。館や庭の清掃をする使用人や館を訪れる客の世話をする使用人など限られたスタッフで運営されている。


 館の前にある庭に走り込むと違和感を感じた。衛兵がいない。館の出入口付近には数は少ないが衛兵がいたはずだ。急いで館の扉に走り寄ると呼び鈴のひもに手をのばす。ひもを引っ張って鳴らそうとしたところで思いとどまる。心臓が早鐘のように激しく脈打っている。まずは呼吸を整えるべく深呼吸だ。


 扉の取っ手を引っ張ると、重い鉄製の扉が少し開いた。施錠されていない。そのまま扉を開け館の中にそっと入る。大広間に続く廊下には誰もいない。シーンと静まり返っている。足音を立てないように廊下を進んでいく。廊下は大広間に突き当たった。入り口のアーチから中を覗く。部屋の中央部に木製のテーブルと椅子があり、その奥の壁には巨大なタペストリーが飾られている。


 そろそろと大広間を奥に向かって進んでいく。ここにも人の気配はない。部屋の向かって左側の奥に上階へ登る木製の階段があるのに気がついた。俺の目は階段の手前にひかれているカーペットに釘付けになった。何か小さくて銀色のものが落ちている。俺は慎重に手を伸ばすとそれを拾い上げた。特徴的な十字の紋章――


 ――オクシタニア十字の紋章!


 体が緊張でこわばるのを感じる。あいつはここにいるのだ!


 誘われるように俺は階段を上へ登っていく。階段を登りきるとまた、廊下に突き当たる。廊下を奥に進んでいくと、さらに奥の方から微かに煙のような匂いがしてきた。何かが燃えているのかもしれない。俺は腰の剣を抜いた。廊下の一番奥にあったのは調理場だった。入り口から中を覗くと壁際にかまどがあり天井から吊り下げられた大きな鍋が火にくべられている。かまどの手前には、金属の輪っかが取り付けられた鎖が天井からぶら下げられており、輪っかには大きな肉のかたまりやソーセージがぶら下げられている。


 俺はもう少し奥が見えるように頭を前に出した。


 誰かいる!


 かまどよりもう少し奥に人が立っているのが見えた。その人物は灰色のローブを身につけ、こちらに背を向けて立っている。そしてもう1人同じように灰色ローブを身につけた人物が、少し離れた場所に同じように背を向けて立っていた。ふたりだ!賊がふたりいる。さらにそのふたりの間には後ろ手で縛られ、頭からすっぽり布製の袋を被らされたふたりの人物がひざまずいている。服装から城の使用人に違いない。


 俺はとっさに頭を引っ込めると壁のこちら側に身をひいた。幸運なことに俺の存在は気づかれなかったようだ。壁にもたれかかって考えをめぐらす。この状況は非常にマズい。敵はふたり。さらに捕虜としてとらわれている使用人がふたりもいるとは。どうする? アイヒたちがやってくるのを待つか? そうだ、それがいい。今出て行っても捕虜がひとり増えるだけだ。


「手記はどこにある?」


 あの女の声だ。


「なんの話です?」


 男性の使用人が怯えた声で答える。


「とぼけるな。いにしえの騎士が残した手記のことだ」


 女の声に苛立ちが混ざっているのがわかった。


「私は何も知らないのです。どうかお助けください」


 震える声で使用人が再び答えた。


「まあいい。お前には名誉をくれてやろう」


 かまどの方へ歩いていく足音が聞こえる。我慢できずに壁の隙間から中を覗いた。ローブの女がかまどの燃え盛る炎のそばに立っている。女はかまどの中に突き立てられていた黒い棒状のものを勢いよく引き抜いた。


 なんだ? 火かき棒か?


 先端が熱で赤くなっているそれを見て俺は恐怖で全身が硬直するのを感じた。


 焼印だ! まさか……そんな


 女は焼印の棒を片手に持つと、手前の使用人へ近づいていく。女がやろうとしていることを予想して俺は戦慄する。


「服を脱がせろ」


 女がもうひとりの賊に言った。もうひとりの賊は使用人の服を、持っているナイフで引き裂いた。使用人の背中が露出する。


「ひいいいっ! 何を?」


 身をよじらせて逃れようとする使用人を、もうひとりの賊が両手で押さえつける。女は焼印を両手に持ち変えると使用人の背中に狙いを定めたようだ。俺の背中に冷たい汗が吹き出す。ダメだ!これ以上見ていられない!


「やめろっ!」


 俺は、部屋の入り口からおどり出て叫んだ。自分でも信じられないことだが、自然と体が動いていた。ふたりの賊がこちらを振り返った。相変わらずフードを目深に被っているので顔が良く見えない。突然のことに一瞬固まっていた様子の賊だったが慌てた様子はない。ゆっくりとこちらに向き直って女は焼印を、もうひとりは剣を構えた。


「お前は? ……なるほどちょうど良い。手間が省けたということか」


 かろうじて見える女の口元が、歪んだ笑みをたたえている。


「お前の持っている手記を渡せ」


 そう言って女は焼印を使用人の背中に向けた。背中に熱を感じた使用人が恐怖の声を上げた。俺が手記を渡さなかったら、こいつはためらわず焼印を押すだろう。そんな気がした。


「わかった。渡すからその人たちを解放しろ」


 そう言って俺は腰の巾着袋から冊子を取り出し、女に向けて高く掲げた。


「ここまで取りに来い」


 そう言って俺はかまどの方へ後ずさる。少しでも使用人から遠ざけたかった。


「ふん、愚かなやつだ。おい、こいつが妙な動きをしたらお前が焼印を押せ」


 そう言って女はもうひとりの賊に焼印を渡した。どうやら俺の考えは見透かされていたようだ。


 俺はジリジリと後退する。女は前に進み、俺との距離を詰める。ついに女は俺の前方1mのところまで来た。お互いに手を伸ばせば届く距離だ。


「さあ、手記を渡せ!」


 女が手を伸ばす。真っ白く細い指だ。俺は冊子をその指に向かって差し出した――


 次の瞬間――


 俺は冊子を勢いよく、かまどの火のなかに投げ込んだ!


 ブワッと火の粉が上がり冊子の表面を炎が包んでいく。


「この、愚か者がぁーー!!」


 女の絶叫が部屋の中に響き渡った。女は冊子を拾い上げようと俺の横をすり抜けて、かまどに突進する。


 俺は、驚きで棒立ちになっているもう一人の賊に突進した。賊が持っている焼印の棒に向けて剣を振り下ろした。焼印は賊の手から弾き飛ばされ、先端部分が賊の太ももに命中する。


「ぐわぁー!!」


 太ももの皮膚を焼かれた賊が、苦悶の声をあげた。続いて苦痛で前屈みになった賊の顔面に向けて膝げりを繰り出す。俺のびざにが顔面に食い込む感触があった、賊は後ろ向きにぶっ倒れた。


 急いでかまどの方を振り返ると、女が炎の中から冊子を救いだそうと暴れているところだった。もうもうと灰が巻き上がって、部屋の中にひろがっていく。


「ルグラン様!」


 調理場の入り口から声が聞こえ、誰かが部屋に入ってきた。振り返ると、アンドレと、もうひとりはフーリエ司祭の側にいた修道士だった。


「気を付けろ! かまどに賊がいる!」


 アンドレと修道士が、煙と灰で視界が悪くなっているかまどの方へじりじりと進む。


 ガチャーン!


 ガラスの割れる音だ。


「アンドレさん、こいつを頼む」


 倒れている賊を指差して、アンドレが向かってくるのを確認してから音がした方へ走る。――窓だ。窓のガラスが粉々に砕け散っていた。割れた窓から見下ろすと真下が庭の植え込みになっており、女が飛び降りたと思われる場所の木が押しつぶされている。馬のいななきが聞こえた。灰色ローブの女が馬を走らせ通りを駆け抜けていくのが見えた。


 

 

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