第39話 シャルルマーニュの塔

 唖然としている俺にアンドレがキラキラした瞳を向けている。うっ、まぶしい!


「悪の組織と戦いに行かれると聞きました。私もお役に立ちたいのです。私がアイヒさんを――」


「アイヒさんを?」


 俺が先を促すと、アンドレの顔がみるみる赤くなっていった。


「――お守りいたします」


 これはアイヒの仕業に違いない。一体どんな話をしたらこんなことになるんだ。俺が振り返ってアイヒを睨みつけると、アイヒは目をらしやがった。


「いや、アンドレさん。私たちが戦うのは悪の組織なんかじゃありません。盗賊です。それに無関係のアンドレさんに迷惑をかけるわけにはいきません」


 俺はなんとかアンドレを思いとどまらせようと説得したが、無駄だった。仕方がないサン・マルタン大聖堂までは一緒に行くか。危なくなったら逃げてもらおう。


 トゥール城をでて通りを西へ進む、昨日来たサン・ジュリアン教会の前を通りすぎてさらに西へ進むとサン・マルタン大聖堂が見えてくる。


 目的のシャルルマーニュ塔は、円筒形の塔ではなく、ビルのような立方体の塔だ。正面にアーチ型の入り口がある。その入り口の前にフーリエ司祭が黒いローブを身につけた修道士と共に立っていた。


「お待ちしておりました。ルグラン様。おや、そちらはトゥール城のアンドレさんでは?」


 フーリエ司祭がアンドレに気がついて尋ねた。


「ルグラン様が賊の調査に行かれるとのことだったので、ご一緒させていただきました」


 どうやらふたりは顔見知りのようだ。


「ねえねえ、何でシャルルマーニュの塔っていうの?」


 アイヒが小声で聞いてきた。シャルルマーニュまたの名をカール大帝。フランク王国の国王であり初代神聖ローマ皇帝でもある。フランク王国は5世紀後半にゲルマン人により建国され、カール大帝の時代にはイベリア半島とイタリア半島南部、イングランドを除く西ヨーロッパ全体を支配した。カール大帝はその功績から「ヨーロッパの父」と言われる。


「ここにカール大帝の奥さんのお墓があるんだよ」


「ええっ! そうなの? じゃあ、カール大帝のお墓もここにあるの?」


「いや、カール大帝のお墓はドイツのアーヘンにある」


「そうなんだ……」


 アイヒはちょっと悲しそうな顔になった。カール大帝が5人の妻、4人の妾を持ち、子供が20人だったことは黙っておこう。


「ルグラン様、サン・マルタン大聖堂の周辺を衛兵と修道士によって警戒させているのですが、なにせこれだけ広大な敷地です。どうしても手薄なところが出来てしまうのです」


 フーリエ司祭は不安げに言った。


「サン・マルタン大聖堂の聖遺物とは、サン・マルタン様のご遺体だけではないのですか?」


 俺はフーリエ司祭に近づくと他の人に聞こえないように耳元で言った。フーリエ司祭は、困った顔になった。


「ご遺体はもちろん聖遺物です。ですがそれ以外にもあるとだけ申し上げましょう」


 司祭の言葉は少しだけ謎めいた響きがあった。だがアイヒとアンドレが近づいて来たので、それ以上聞くことはできなかった。


 ヴィエンヌ川とロワール川の合流地点にあるカンド村で亡くなったサン・マルタンの遺体は、ロワール川を船で運ばれた。11月だというのに川岸には花が咲き乱れ、まるで春のような暖かさだったという。そのことから、いわゆる『小春日和こはるびより』のことを『サン・マルタンの夏』と呼ぶようになった。


 賊が狙っているのは、テンプル騎士団員の手記であって聖遺物ではない。フーリエ司祭を無駄に心配させていることに罪悪感を感じるものの、ここは協力してもらおう。強化されている警備を見て賊はあきらめるだろうか?襲ってくるとしたら、どのタイミングなのか? 正直、全く予想できない。


「少し話をしましょう。こちらへどうぞ」


 そう言って司祭は大聖堂内部へ俺たちを案内してくれた。身廊しんろう※の上部にある巨大なドーム型の天井。身廊しんろう側廊そくろうを隔ている美しいアーチ状の柱。ブールジュのサンテティエンヌ大聖堂の身廊はフランスで最長の91メートルであり、朝のミサで訪れた時、その巨大さ、美しさに圧倒されたのだが、このサン・マルタン大聖堂の身廊もそれに負けなくらい、いやそれ以上の大きさだ。

 ※注 身廊(しんろう)……ロマネスク様式やゴシック様式のキリスト教建築の一部分を指す名称。入口から主祭壇へ向かう広間。現代では参拝者の椅子が並んでいる場合がある。


 司祭は階段を降っていき、俺たちを地下室へ案内してくれた。地下室といっても非常に大きなスペースがそこには存在した。ここには聖人サン・マルタンのお墓がある。ところで、サン・マルタンがキリストに渡したとされるマントはラテン語で「Capella」(カペラ)と呼ばれていた。このカペラを保管する場所を「chapelle」(チャペル)と呼んだことから教会の礼拝堂を表す「チャペル」の語源となっている。


祭壇の近くに設置してある椅子に、俺、フーリエ司祭、アイヒ、アンドレが腰掛け、近くに護衛の修道士が控えている。


「もし賊が聖遺物を狙っているなら、この地下室にやってくるはずです。なのでここの警備を厳重にしておきました。さて問題は賊の正体なのですが、サン・ジュリアン教会に落ちていた紋章――オクシタニア十字が指し示すようにカタリ派の信者なのか?それともカタリ派のふりをしたフス派なのか?私にはわかりません。みなさん何かご意見はありますでしょうか?」


 オクシタニアとは、南フランスを中心とした一帯のうちオック語が話される地域を指す、またオクシタニア十字はフランク王国2番目の王朝であるカロリング朝で南仏プロヴァンス地方に領地を持っていたボゾン家の紋章だった。


「司祭様、今のところ賊が残していったと思われる物証はオクシタニア十字だけです。オクシタニア十字を持っていたからと言って、その者が必ずしもカタリ派であるとは言えないのではありませんか?」


 司祭は、私の話に軽くうなずいて少し考えた後に言った。


「ルグラン様、賊はなぜ我がカトリック教会に侵入したのでしょう?我が教会にはそんなに高価なものはありません。確かに教会としては貴重なマリア様の像や備品の類はあるのですが、そういったものは何も盗まれていないのです。だとすれば聖人様の聖遺物が狙いだったのか?もし賊が聖遺物を狙ったとするなら何か宗教上の理由があると考えるのが自然ではないでしょうか?」


「なるほど、宗教上の理由で教会に侵入して、わざわざオクシタニア十字を残したのだとしたら、それは何らかのメッセージだと言える。カトリック教会にとってオクシタニア十字から連想されるのはカタリ派だということを計算した上でのメッセージだったと言うのですね」


「でも、司祭様は侵入したのはカタリ派の人じゃなくて、フス派の人だと推理したんですよね?」


 急にアイヒが口を挟んできた。どうしても「推理」という言葉を使いたかったようだ。


「そうです。いくら何でも今になってカタリ派が復活することなど考えにくい、フス派の一部がカタリ派のふりをして引き起こしているのでは?と考えたのです。その方が現実味がありますから」


 フーリエ司祭は、アイヒから水を向けらられたことによって、自分の考えを披露できてちょっとうれしそうだった。


「ただ……私や夫のレオ、さらにはシノン城の使用人も襲われたんですよね。私たちや使用人はカトリックの聖職者ではないのに」


 アイヒが首を傾げてさも疑問を感じているように言った。おいおいおい、ちょっと待て。お前、ワトソン役やろうとしてるだろ。しかも犯人の動機に関する推理が間違ってるの知ってるだろお前は。お前の立ち位置は何なんだ?

 

 

 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る