第38話 楽しく乾杯!

 トゥール城では、アンドレが心配そうに俺たちの帰りを待っていた。いやアイヒの帰りを待っていたのかもしれない。


「お帰りなさいませ。ルグラン様。お帰りが遅いので御心配いたしました。さあもう暗くなります。お部屋へどうぞ」


 明日、夜が明けたらサン・マルタン大聖堂へ行こう。サン・マルタン大聖堂の建物で現代でも残っているのは、12世紀に建設されたシャルルマーニュの塔と、時計塔だけだ。19世紀に再建された大聖堂は元の大聖堂が立っていた敷地の一部に新たに建てられた。


 夕食はアンドレが部屋まで運んでくれた。なんだか、これまでの城に比べて豪勢な食事のような気がする。デザートとして果物のパイや砂糖をかけた苺が出てきた。また蜂蜜入りの葡萄酒もある。なるほど、これはアンドレからのアイヒ向け特別サービスだな。


 くそっ、全部俺が食ってやる!


「悪の組織よ。悪の組織が私たちを狙っているのよ」


 アイヒがパイを頬張ほうばりながら言った。


「だから、カタリ派もフス派も悪の組織じゃねえよ。テンプル騎士団だって悪の組織じゃないからな」


 全く、アイヒのやつ、いつから陰謀論者になったんだ? 俺も陰謀論は嫌いじゃないが、ちょっと安易すぎないか?


「ちょっと、話を整理するぞ。まずシノンで俺たちは賊に襲われた。賊の目的はおそらく俺たちが持っている手記だ。次に俺たちを襲ったヤツと同じ特徴を持った人物が、ここトゥールのサン・ジュリアン教会に忍び込んだ。だが教会を荒らしただけで何も盗まなかった。ここまではいいな?」


「ねえねえ、ちょっと思ったんだけど、手記がもともとサン・ジュリアン教会にあったとして、教会関係者の誰も、手記がこの教会にあったことを知らなかったとしたらどうなる?賊が手記をすでに盗み出していたとしても、何も盗まれなかったと思うんじゃないの?」


 その可能性はあると思った。シノン城で見つかった2番目の手記は城の管理人サブレが持っていたので、なくなったら当然サブレが気がつくはずだ。だがロッシュ城で見つかった1番目の手記については、管理人ベラールが書庫に手記があると知っていたかどうかは判然としない。もし知らなかったのなら盗まれても誰にもわからないということになる。同じことがサン・ジュリアン教会の手記についても当てはまる。


「それは最悪のケースだな。もしそうならすでに第3の手記を奪われてしまったっていうことになる。だがよく考えろ。賊はシノン城でも手記を探していた。つまり第2の手記も手に入れようとしていたという事だ。やつは順番に手記を手に入れようとしている。この一連の手記は、ひとつの手記を見つけると次の手記の場所がわかるように作られている。だがもし最後の手記にモレー総長が隠したかった財宝のありかが書いてあるなら、最後の手記だけを見つければいいということになる。最悪、1番目から4番目の手記がなくても財宝は見つけられる」


「そうよね。もしあらかじめ5つの手記がどこにあるかわかっているなら、最初から5番目の手記だけを探せばいいってことになるわ」


「そうだ、賊がそうしないということは手記の隠し場所を知らないか、手記は5つ全部集める必要があるのか、そのどちらかだろう。もしかしたら両方かもしれない」


「きっとそうよ! 賊は私たちと同じルートをたどって来たんだわ。私たちを追って最初の手記があったロッシュ城に行って、すでに手記がないことに気がついて、2番目の手記があるシノン城に行った。そこでも手記がなくなっていたので、3番目の手記があるこのトゥールへ来た。ここで3番目の手記を先に手に入れて、私たちから1番目と2番目の手記を奪えばいい、とそう考えたんじゃないかしら?」


 アイヒの考えは、筋が通っているように思えた。シノン城の使用人が襲われたことで無差別に城の関係者を襲ったのかとその時は考えたが、もしアイヒの考えが正しいなら賊の目的は俺たちが持っている手記を奪うことだということになる。シノン城では先回りして手記を見つけようとして失敗したのだ。だが、賊は俺たちが手記を手に入れたことをどうやって知ったのだろう?


「今考えた仮説から2つのことが言える。1つ目は、もし賊が3番目の手記をまだ手に入れてないなら、手記を手に入れるためにサン・マルタン大聖堂にやってくるということだ。2つ目は、1番目と2番目の手記を手に入れるために俺たちをまた襲ってくるということだ」


「じゃあ、私たちにできることはサン・マルタン大聖堂にやってくる賊を捕まえることと、手記を奪われないように気をつけることね!」


 アイヒのヤツ、なかなか物分かりが良くなったじゃないか。もしかして天使本来の能力が発揮されているのか?


「それと今できることは……」


 そう言いながらアイヒは、蜂蜜入り葡萄酒を2人ぶんのカップに注いだ。


「たのしく乾杯で~す!」


 やれやれ、やっぱりそうなるのかよ。まあいいか。今日はちょっと疲れたし、息抜きも必要だろう。いつものようにカップを激しくぶつけて乾杯した後、ふたりで葡萄酒を飲み干した。蜂蜜入りなので甘くて美味しい。ふと気がつくとアイヒが俺の方をじっと見ていた。


「ねえ、レオはなんでお金を稼ぐ仕事を選んだの?」


「なんだよ急に」


 いきなりの質問に俺はちょっと戸惑った。


「だって、あんた、お金にすごくこだわってるじゃない。だから……なんでかなあって」


 前世での俺の父親は中小企業の社長をしていた。だが事業に失敗し大きな借金を背負ってしまった。なんとか借金を返そうと父親と母親は懸命に働いた。だが生活は少しも楽にならない。それどころか金利のせいでなかなか借金は減らない。俺は成績優秀だったので、奨学金でなんとか大学までいくことができた。少しずつ減ってはいるものの、未だに父親の借金は残ったままだ。


 俺は借金に苦しむ両親を見て思った。持てるものと持たざるものの差はハッキリしている。世の中を支配しているのはマネーの力だと。


「天使の世界に金はないのか?」


「ないわ。必要なものは元々そろっているから、わざわざお金でものを買う必要もないしね。天使の位はあるけどお金とは関係ないし」


「そうか……天界と違って人間の世界では、お金がないことは不幸なことなんだ。もちろんお金があるだけが幸せじゃないという意見はある。だがそんなことはお金があってはじめて言えることだと俺は思っている。お金がなければ支配される側になる。そんなのはごめんだ」


 アイヒの青い瞳は俺を真っ直ぐに見ている。一瞬、心を見透かされているような感覚におちいって俺は目を逸らした。


「じゃあ今、お金に困っている私たちは不幸なの? あんたは楽しくないの?」


「それは……」


 俺は答えることが出来ない。


「私は楽しいから!」


 黙っている俺に向かって、アイヒがはっきりした口調で言った。


「……酒が飲めるからだろ」


「へへっ、バレたか。さあ、かんぱーい!」


 なんとなく話はうやむやになり、結局アイヒのペースに巻き込まれて葡萄酒をいっぱい飲んでしまった。その日は、なんだかよく眠れた。


 翌朝、日の出と共に起きて出発の準備をしていると部屋のドアが叩かれた。ドアを開けるとアンドレが立っている。その姿を見て俺はギョッとした。アンドレはチュニックの上から鎖帷子チェーンメイルを身につけ、腰には剣を下げている。


「ルグラン様、私もお供させてください」


 アンドレは俺を見るなりそう言った。

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