第37話 サン・マルタンのマント

 「なんと! 殺されかけたのですか?」


 フーリエ司祭は目を見開き、その瞳に恐怖の色が浮かび上がった。


「ええ、ここにいる妻のアイヒヘルンとシノン城近くの林を馬で移動中に、同じく馬に乗った賊に襲われました。幸い、一緒に旅をしていた傭兵が駆けつけてくれて助かったのですが、賊には逃げられてしまいました」


「その賊はどんなやつだったのですか?」


「灰色の修道服を身に付けていたのですが、フードですっぽり頭を覆っていたので顔を見ることが出来なかったのです。やつは最初、弓で攻撃してきました」


「それは……我が教会を襲った夜盗と特徴が一致します。同一人物なのでしょうか?」


「わかりません。ですが、同一人物の可能性があると思いお話を伺っているのです」


「ルグラン様のような貴族を襲うならまだしも、なぜ城の使用人や教会まで襲うのでしょう? 解せません」


 それについてはテンプル騎士団の手記を狙っていると思われるのだが、ここでそのことを明かすことはできない。別の理由で説明しておかなければならない。


「私や城の使用人が持っている重要な文書などを奪って、脅迫もしくは交渉しようと考えているのでしょうか? ただ、重要なのはその賊が単独で動いているだけなのか、それとも背後にそいつを操っている存在がいるのか?いるとしたら何が目的なのかと言うことだと思います」


 フーリエ司祭は、眉根を寄せた。


「ヤン・フス※をご存知ですか? ジョン・ウィクリフを信奉し、われわれカトリック教会を愚弄ぐろうした上に、民衆を扇動せんどうし惑わせた異端者です。フスは火刑になったのですが、フスを支持する勢力がボヘミアで暴動を起こして勢力を拡大しているのです」


 ※注 ヤン・フス(1369〜1415) ボヘミア(現在のチェコ)出身の神学者。イングランドの神学者ジョン・ウィクリフを信奉し宗教改革の先駆者となった。カトリック教会を強烈に批判したことにより1414年のコンスタンス公会議で異端認定され翌年、火刑に処された。


「はい、存じております。ヤン・フスはボヘミアのプラハ大学学長であったとか。なぜボヘミア王ヴァーツラフ4世は彼らを見逃していたのでしょうな」


 その後の歴史を知っている俺は、司祭に同調してヤン・フスを悪く言う気になれなかったので、論点をずらして質問することにした。


「そうですな……ピサ教会会議※でローマ王復帰を約束させるために、国内に異端がいるのはまずいとお考えになったのでしょうな」


 ※注 ピサ教会会議――1409年にイタリアのピサで開かれたカトリック教会の会議。1378年から1417年の間、ローマ教皇位が分裂しイタリアのローマとフランスのアヴィニョンに、それぞれ別のローマ教皇が存在した。これを教会大分裂(シスマ)と呼ぶ。ピサ教会会議はこの教会大分裂を解決するために召集された。


 フーリエ司祭はフゥーとため息をついてから話を続けた。


「その結果どうなったか……ボヘミアの治安は悪化の一途をたどり、盗賊が都市を荒らし回ったのです。仕方なく修道院も武装することになったと聞いております」


「しかし、なぜヤン・フスの話を私に?」


 俺は司祭の真意を図りかねて尋ねた。まあ大体は予想がついたのだが。


「フス派は隣国のポーランドにまで広がっております。私は奴らがフランスに入り込んだんではないかと思っているのです。カタリ派が復活したように見せかけて我々カトリック教会を脅そうとしているのではないかと」


「では、賊が落としていったオクシタニア十字の紋章は、フス派の偽装工作だと言われるのですか?」


「すごい! すごい推理です!」


 突然、俺の隣から興奮した声が聞こえた。アイヒだった。シノン城での探偵ごっこ以来、謎解きにハマっているのだろうか? フーリエ司祭は目をまん丸にしている。


「レオ、司祭様の言う通りだよ。だってそうでしょう? どうしてわざわざカタリ派の紋章なんか落としていく必要ある? ここはフランスなんだから異端と言えばカタリ派の方が真実味があるじゃない。司祭様、名探偵を名乗ってよろしくてよ」


「はて、『めいたんてい』とは?」


 司祭は首を傾げたが、すごく褒められていることは分かるので少し顔を赤らめている。


「いや、気にしないでください。うちの妻は少し変なんです。それより司祭様のおっしゃる通り宗教上の理由で教会が襲われているのならば、お金や美術品といった普通の盗賊が狙う以外のものを狙っている可能性がありますね。どこか次に狙われそうな場所はありますか?」


 とっさに司祭のアイデアを利用して、手記のありそうな場所を聞き出すことを思いついた俺は心配そうな声色を作って尋ねた。


「奴らが狙いそうなもの……ですか。はっ! まさか聖遺物せいいぶつを狙っているのでしょうか?」


 聖遺物とは、イエス・キリストや聖母マリア、その他の聖人の遺品、遺骸、またキリストの受難に関わる品物を言う。例として、キリストの磔刑たっけいに使われたとされる十字架、手足に打ち付けられた釘、わき腹を刺した槍(ロンギヌスの槍)、遺体を包んだとされる布(聖骸布せいがいふ)、聖杯などがある。


「かもしれません。それらを手に入れて教会の権威をおとしめるのが目的だとすれば、聖遺物が危ない」


 私の言葉に司祭の顔が青ざめるのがわかった。申し訳ない気持ちだったが仕方がない。


「残念ながら、我々のような司祭には聖遺物の保管場所は教えられていないのです。モロー司教様ならご存知かもしれませんが……。これはあくまで私の推測ですが、サン・マルタン大聖堂の地下のどこかにあるのではないかと思います」


 サン・マルタン大聖堂!シャルルマーニュの塔がある場所だ。天使ノートに現れたトゥールの地図。赤い字で名前が記載された3箇所の最後のひとつ、それがシャルルマーニュの塔だった。


 サン・マルタン、別名トゥールのマルティヌス(316〜397)。キリスト教の聖人。ローマ帝国の属州パンノニアで生まれ、のちにローマ軍に入隊した。洗礼を受けて修道士となったサン・マルタンはガリア地方初の修道院を建設。その後も伝道活動を積極的に行い、371年に3代目のトゥール司教となった。その慎み深く禁欲的な生き方から非常に人気が高く、死後もその遺骨があるサン・マルタン大聖堂に巡礼者が途切れることがなかった。


 サン・マルタン大聖堂は、16世紀に宗教改革で破壊され、その後復元されたが、再びフランス革命で破壊された。現代のトゥールにあるものは、19世紀に造られたものだ。サン・マルタンの奇跡を伝えるエピソードとして有名なのが「マントの伝説」だ。


 兵士としてガリアのアミアンに駐留していたマルタンは、とても寒い日に城の城門付近で粗末な身なりで震えている物乞いを見つけた。気の毒に思ったマルタンは、自分のマントを半分に切り裂いて物乞いに渡した。その日の夜、マルタンは夢の中でマルタンが渡したマントを着た男性に出会い感謝の言葉を告げられたと言う。その男性はイエス・キリストであった。マルタンが昼間に出会った物乞いはイエス・キリストだったのだ。この体験からマルタンはキリスト教に改宗することを決意し、ローマ軍を辞めた。サン・マルタンの命日とされる11月11日は現代でもキリスト教の祝日とされている。


 教会の鐘が鳴り響いた。晩課(午後6時)を知らせる鐘だ。もうすぐ日が暮れる。


「申し訳ありません。間も無く就寝の時間となります。失礼せねばなりません。よろしければ明日、サン・マルタン大聖堂へお越し下さい。私も行ってみるつもりです」


 フーリエ司祭は申し訳なさそうに言った。夜の外出は危険だ。俺たちはいったんトゥール城へ戻ることにした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る