第36話 カタリ派

【トゥールのサン・ガシアン大聖堂】

 

 古来、実に様々な十字の紋章が多くの地域で使用された。例えばギリシャ十字――等しい長さの線が直角に交差するシンプルな十字――はスイスの国旗や赤十字として使われている。また太陽十字――円の中に十字がある――はケルト十字の元となり日本では島津家の家紋として使われている。その他にも十字軍が使ったエルサレム十字、テンプル騎士団の十字、など様々な十字の紋章が存在する。


 だが、今、俺の目の前に姿を現した紋章は、剣先のような十字の先端部分に12個の点が配置されている極めて特徴的なものだった。オクシタニア十字と呼ばれるこの紋章は、異端として弾圧され14世紀前半に消滅したキリスト教の宗派の一つ「カタリ派」のシンボルとされている。


「ですが……カタリ派はアルビジョワ十字軍によって滅ぼされたのではないですか?」


 俺の問いにモロー司教はかぶりを振った。


「いかにも……1329年、カルカソンヌで最後の信者が火刑に処されてから約100年。今になってこのようなものが姿を表すとは。おそらく、我らカトリック教会に不満を持つやからがカタリ派をかたっているのでしょう」


 11世紀にヨーロッパ各地で発生し、南フランスのラングドック地方で一大勢力を形成するに至ったカタリ派は、善と悪、お互いが反する神々が存在するとした、いわゆる二元論を信仰の主体としていた。神に匹敵する悪の存在を認めないカトリック教会は1179年に開催した第三ラテラン公会議で、正式にカタリ派の禁止を決定した。1209年、ローマ教皇インノケンティウス3世は、カタリ派を討伐するための十字軍を招集した。これがアルビジョワ十字軍だ。この十字軍はフランス王ルイ8世が指揮をとり南フランスを制圧する1229年まで続いた。


「ねえねえ、レオ。だから私が言ったでしょ。悪の組織が私たちを狙っているって」


 アイヒが俺の耳元でささやくように言った。カタリ派は悪の組織でもないし、そもそも秘密結社でもない。テンプル騎士団とは違うのだ。だが両者に共通点があるのも事実だ。両者ともフランス王とカトリック教会により異端とされ歴史から抹殺された。


「この紋章は一体どこにあったのです?」


「サン・ジュリアン教会です。昨日の夜、教会に夜盗が忍び込みましてな。教会の内部を荒らしたのです。教会を見回りにきた衛兵が賊を発見して追跡したのですが逃げられました。この紋章は荒らされた教会の床に落ちていたのです」


 俺の質問にモロー司教は眉根を寄せて答えた。


「何か盗まれたのですか?」


「いえ、司祭の報告によれば教会内部が荒らされただけで、盗難の被害はなかったとのことです」


「夜盗は、ひとりでしたか? 顔を見ることはできたのでしょうか?」


「ひとりだと聞いています。残念ながら暗闇で顔は見えませんでした。ただ――」


 司教の次の言葉に俺は戦慄を覚えた。


「――灰色のローブを着て、フードで頭をすっぽりと覆っていたそうです。さらに衛兵は弓による攻撃を受けました」


 俺たちを襲った謎の女と特徴が一致する。もし、同一人物だとするなら、そいつは既に、ここトゥールにいる。なんとか先に手記を見つけなくては。


「ご協力ありがとうございました、司教様。賊の目的がなんであれ、我がシャルル陛下にとって、そしてカトリック教会にとっても捨ておけない問題です。賊を捕らえるために、ぜひ協力させていただけないでしょうか?」


「わかりました。ルグラン殿。実は今、司教区内で住民同士の揉め事が複数起こっておりまして、その対応で手が離せなかったのです。ルグラン殿に協力するように書いた書状をしたためましょう」


 そう言うとモロー司教は、トゥール内で賊を捕らえるために俺に協力することを求める書状を書いてくれた。カトリック司教の権力は大きい。これは本当に助かる。


 俺たちはサン・ガシアン大聖堂を出て一旦北へ向かう。交差点を西へ曲がりそのまま進むと右手に、立派な教会が姿が見えてきた。サン・ジュリアン教会だ。この教会は6世紀に創設されたベネディクト修道会のものだ。教会の隣に修道院が併設されている。俺たちを襲った女は、修道士のローブを身に付けていた。ベネディクト修道会と関係あるのだろうか? ベネディクト修道会の修道士は、黒いローブを身に付けていたため「黒い修道士」と呼ばれていた。一方、女が身に付けていたのは灰色のローブだった。だがそれだけでは、無関係とは言えないだろう。


 かなり賑わっている通りを西に向けて進む。怪しい人間がいないか回りに注意しつつ進むが、荷物を運ぶ荷馬車や、水汲みの女性、露天商など、様々な人が行き交っており、紛れているかもしれない賊を見つけ出すのは難しい。疑っていると、誰も彼も怪しく見えてくるものだ。


「ねえ、レオ。そう言えばお金がどんどん減ってるんですけど。どうするつもり?」


 道路沿いの居酒屋の看板を見てアイヒが言った。自分が飲むエールの代金が心配になったのだろうか?ブールジュを出発する時点で1.9リーヴルあった手持ちのお金は1.73リーヴルまで減っている。それも賄賂とかチップとかろくな使い方をしていない。この間、ジョン・ステュアートに買ってもらった地図をまた売るか? だが何枚か売っただけで商業ギルドに目をつけられたのだ。あの時はシャルル王太子がもみ消してくれたが、他の都市で売って教会に目をつけられたら面倒だ。


「わかってるよ。なんとか金を稼ぐ方法を考えないとな」


 今はそう答えるしかない。実際なんのアイデアもないのだから。しばらく歩いて教会の正面にやってきた。衛兵に司祭への取次を依頼した。やってきた司祭は疲れた表情をしていた。教会を夜盗に荒らされて対応に追われていたのだろう。俺は司教からもらった書付けを手渡した。


「なるほど、お忙しい司教様に代わってルグラン様がお越しになられたのですね。私はこの教会の司祭でフーリエと言います。モロー司教にもご心配をかけてしまいました。ルグラン様はシャルル陛下のために働いておいでなのですね?」


「シャルル陛下の所領が平穏で秩序正しく保たれているのも、神の御心、カトリック教会の尽力によるものだと思っております。陛下からも教会のお力になれるように常々言われているんですよ」


 少し見え見えすぎるお世辞かとは思ったが、フーリエ司祭はそのまま受け取ったようでニッコリと笑った。


「修道院の方でお話し致しましょう」


 そう言ってフーリエ司祭は、俺たちを修道院の応接室へ案内してくれた。途中、数名の修道士たちとすれ違ったが、みな黒い修道服を身につけていた。


「夜盗は、何かを盗むつもりで、この教会へ忍び込んだのでしょうか?」


「そこが謎なのです。金が目的であればこのような教会ではなく、商人の館の方が金目のものがあるはずです。一体なんの目的でこの教会を荒らしたのか、皆目見当がつきません」


「カトリック教会に恨みのあるものの仕業でしょうか?」


「例のものはご覧になりましたか?」


 フーリエ司祭は、少し声のトーンを落として言った。


「オクシタニア十字の紋章――ですか?」


 フーリエ司祭は首を縦に振った。


「カタリ派の信者であれば、われわれカトリックに恨みを抱いていることでしょう。しかし、カタリ派は既に消滅したはずです」


「実は、シノン城でも使用人が襲われる事件が起こっているのです。かく言う私自身も賊に襲われて殺されかけたのです」


 手記のことは言えないが、こちらからも情報提供した方がいいだろう。

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