第34話 サン・ガシアン大聖堂

 まずは、トゥール城の100m南にあるサン・ガシアン大聖堂へ行こう。13世紀に着工して完成したのが16世紀の大聖堂。建物正面のファサード部分は未だ建設中だ。目を引くのが高さ70mのそびえ立つふたつの塔。ブールジュにあった世界遺産サンテティエンヌ大聖堂も素晴らしかったが、こちらも負けないくらい素晴らしい。


 とは言っても観光に来たわけではないので、見とれている暇はない。九時課(午後3時)の鐘がなった。朝のうちにミサは終了しており、この時間は人もまばらだ。ともかく司教と話をしてみるしかない。大聖堂の入り口を警護している衛兵に司教と会いたいことを伝える。しばらくすると下位聖職者の男性がやってきた。


「司教様にご用とのことですが、どのようなご用件でしょうか?」


 男性はアルバと呼ばれるゆったりとしたローブを身につけている。また一部を除いて髪の毛は剃られており地肌が露出している。残った髪はまるで鉢巻のようだ。これはトンスラと呼ばれ、俗人と聖職者を分ける象徴とされた。日本人であれば、歴史で習ったフランシスコ・ザビエルの肖像画を思い浮かべるかもしれない。だが、ザビエルの髪型は頭頂部のみが剃られており、それ以外の部分は髪が残っている。そもそもザビエルが所属していたイエズス会にはトンスラの習慣がなかったと言われており、あの肖像画は想像で描かれた可能性もあるそうだ。


「私はシャルル陛下の配下でレオ・ルグランと申します。陛下の命を受けて旅をしておるのですが、最近、近辺の町で盗賊が現れて被害が発生しております。そのことで司教様にお話を伺いたいと思いました。おとりつぎ頂けますか?」


 男性は怪訝けげんそうな表情を浮かべた。信じていいのかどうか迷っている様子だ。


「盗賊が現れるのはそれ程珍しいことではありません。わざわざ司教様にお伝えするほどのお話なのですか?」


 ごもっともなご意見だ。百年戦争の影響で、元々良くなかった治安はさらに乱れ、国を守る兵士さえ盗賊行為を行うこの時代に盗賊など珍しくも何ともない。俺は、アイヒの方を振り返って目で合図を送った。キョトンとするアイヒ。さらに軽くうなずいて見せるが通じないようだ。


「ちょっと、失礼」


 俺は男性にそう言ってから、アイヒを連れて少し離れた場所へ移動する。


「グロ銀貨をくれ」


「ええっ! 何に使うの?」


「声が大きいぞ。司教様に取り次いでもらうために使うんだよ」


「ここは大聖堂なんでしょ? そんなもの受け取るはずないわ」


 男性の方をチラリとみると何事かとこちらを見ている。


「いいから、早くしろ」


 アイヒは信じられないという感じでグロ銀貨1枚を俺に渡す。急いで男性の元へ戻ると満面の笑顔を作る。


「失礼しました。こちらがシャルル陛下から頂いた配下の城での宿泊許可証です。それと――」


 そう言って、許可証とともにグロ銀貨1枚を周りから見えないように手渡す。上手くいくだろうか? 男性は銀貨を何事もないように受け取ると、許可証に目を通して言った。


「わかりました。司教様へお取次します。こちらへ」


 内心ほっとして胸をなで下ろすが、表情には出ないように気をつけた。天使であるアイヒはどんな顔をしているのだろうか?


 大聖堂の中に入った途端、祭壇の奥にあるステンドグラスが目に飛び込んできた。高い天井の壁を取り囲むように青や赤、黄色のステンドグラスが配置されており、その美しさに息をのんだ。聖堂内を進んでいき司教様の執務室へ案内された。


「こちらでお待ちください」


 そう言われ執務室の外で待つ。今のうちにどうやって情報をもらうか考えておかねば。初めてシャルル王太子とあった時のような緊張感を感じる。やがて扉が開き中に案内された。部屋の中には執務机とテーブル、椅子に聖母マリア像などの美術品が置かれており、調度品はどれも高級に見えた。


「ようこそおいで下さいました。ルグラン殿、トゥール司教のイニャス・モローです」


 モロー司教は、アミクトゥスという白麻の布で肩を覆い、アルバと呼ばれる足まで届く長衣を身につけている。さらにその上からダマルティカというチュニックをはおって、上位の聖職者たる威厳が漂っている。初老と思われれるが声は若々しかった。


「レオ・ルグランです。シャルル陛下の命で旅をしてります。こちらは妻のアイヒへルンです」


 アイヒからも挨拶を済ませたところで、座って話をすることになった。


「盗賊のことでお話があるとのことでしたが、どういうことでしょう?」


 モロー司教は、本題を切り出してきた。なんと答えると正解なのか? ここがキリスト教の大聖堂であり、相手がカトリックの司教であることを十分注意しなければならない。異端扱いのテンプル騎士団についての話題は避けるべきだろう。


「実は、イングランド軍がノルマンディーから南下してくるという噂があります」


 1428年、イングランドがここトゥールから北東約100kmのところにあるオルレアンを包囲するまで、まだ3年あるのだが、ここは揺さぶりをかけておくところだろう。オルレアンが陥落すれば、次はこのトゥールが脅威にさらされるのだ。


「それについては、先日、ブールジュからフランス・スコットランド連合軍がル・マンに向けて出陣したと伺いました」


「その通りです、私は先日までブールジュにおりまして、出陣前のバカン伯ジョン・ステュアート殿にお会いしたのです」


 そう言って俺はバカン伯に会った時の話をした。もちろんバカン伯に売った地図の話は秘密にしておく。


「おお! そうですか。バカン伯であれば必ずイングランド軍を蹴散らしてくれましょう。心配にはおよびませぬな」


 しまった、心配させて情報を引き出すはずが逆に安心させてしまった。その時、部屋が扉が叩かれ先ほどの下級聖職者が顔をのぞかせた。何か話があるようで、モロー司教は部屋を出て行った。しばらくして戻ってきた司教の表情がいくぶん暗くなっているような気がした。


「ルグラン殿、今知らせが入ったのですがバカン伯が救援に向かっていたル・マン近郊のイヴリー城がイングランド軍の攻撃により陥落したそうです。バカン伯は方向を変えヴェルヌイユへ向かったそうです」


 そうか、今のことろ歴史は何も変わっていない。地図は影響を与えていないようだ。それにしてもカトリック教会の情報網はなかなかだ。


「間に合わなかったのですね。残念だ」


 俺の言葉で司教はさらに表情を曇らせた。よしここだ!


「そこで、私は何とかイングランド軍の南下を食い止めるため、財政面で陛下の協力をしようと動いているわけです。もちろんこれは司教様にも利益がある話なのです」


 カトリックの司教は担当している司教区の行政をつかさどる公務員のような役目を担っていた。その権力は地方の領主を上回るものがあった反面、いろいろな仕事を受け持っており頭を悩ませているはずだ。


「わかりました、ルグラン殿。貴公にもお話しましょう。実は我がトゥールにも盗賊はたびたび出没しておるのですが、最近、現れた盗賊が見過ごせないものを残しておりましてな」


 そう言ってモロー司教は机の引き出しから何かを取り出して俺に差し出した。それは小さな銀の紋章だった。

十字をかたどっているその形に俺は見覚えがあった。


 ――オクシタニア十字。


 俺は思わず息をのんだ。

 


 

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