第33話 トゥール探索

 戸口に現れたのは、これまでのオッサンとは違う若い男性だった。背が高く整った顔立ちのいわゆるイケメンというやつだ。


 例によって、シャルル王太子の宿泊許可証を見せる。男は許可証を確認すると笑顔で言った。


「ようこそ、ルグラン様。こちらのトゥール城は、ロッシュ城やシノン城より規模は小さいものの、より過ごしやすくなっております」


 うっ! イケメンの笑顔がまぶしい。だが重要なことを確認しなければならない。このイケメンの名前だ。


「私はこの城の管理人、アンドレと申します。ルグラン様、ええっと……」


 アンドレは、アイヒの方を見て口ごもった。みるみる顔が赤くなる。なんだ? この反応は!

とたんに俺の脳裏にアイデアがひらめいた。

 

「ああ、こっちは妹のアイヒヘルンです」


「!?」


 アイヒが目を丸くして俺の方を見ている。


「そうですか……アイヒヘルン様……」


 アンドレの目がアイヒに釘付けになっているのがわかった。よし、このところアイヒにやられた仕返しが出来そうだ。それと、テンプル騎士団総長の一覧に「アンドレ」はいなかったはずだ。と言うことは、このイケメンは手記を持っていない。


「ではルグラン様、お部屋へご案内します」


「あ、申し訳ないんですが部屋にもう一つベッドを入れてもらえますか?」


 俺はすかさず言った。


 部屋に向かう途中もアンドレがアイヒをチラチラ見ているのがわかった。まあこのポンコツ天使もじっとしていればそこそこ美人だし若い男から気に入られることもあるだろう。だが当のアイヒ本人は全く気がついていないようだ。


 ここトゥールは、シャルル7世の息子ルイ11世が一時フランスの首都を置いた都市だ。現在はロワール観光の出発点となっている。百年戦争に勝利したシャルル7世だが、後年はこの息子ルイ11世の度重なる反抗に悩まされることなる。ルイ11世は陰謀をめぐらすのが好きで「偏在する蜘蛛」というあだ名が付けられた。


 ベッドも無事運び入れられて、部屋でゆっくりすることにした。さっそくアイヒが口を尖らせて抗議をしてくる。


「ちょっと、何で私があんたの妹なのよ? せめて姉にしなさいよ。いったいどういうつもりなの?」


「あー、ほら、今までの城だと管理人が手記を見つける重要なカギだっただろ。管理人のアンドレさんは若い男性だったから、お前が俺の妻というより妹と紹介したほうが、情報を引き出しやすいかなーって思ったんだよ」


「結婚してると情報を引き出しにくいってこと?」


「だいたい俺とお前って、いわゆる偽装結婚だろ。だから俺に縛られずに出会いがあった方がいいんじゃないか? アンドレさんちょーイケメンだったし、なんかお前のこと気に入ってたみたいだぞ」


「そんなくだらないこと、本気で言ってるの?」


 あきらかにムッとした調子だった。


「本気も何も、その方が合理的だろ……」


「ああそうね! アンドレさん、あんたと違って誠実そうだったし結婚したら優しくしてくれそうだしね!!」


 アイヒは吐き捨てるように言うと、クルリと俺に背を向けた。そのまま部屋の入り口の方に歩いて行くと「ちょっと、エールもらってくる」と言い残して部屋を出ていった。


「何なんだよ……あいつ」


 最近、アイヒに騙されてばかりだったのでちょっとした反撃のつもりだったのだが、思った以上に怒らせてしまったようだ。まあいい。せっかくひとりになれたんだ。これまでのことと、これからのことを少し考えてみよう。


 まず、最終的にジャンヌを救出するのにどのくらいの金が必要だろうか? ジャンヌをコンピエーニュで捕らえたジャン・ド・リュクサンブールが、イングランド軍の総指揮官ベッドフォード公にジャンヌを売り渡した時に受け取った金額がトゥール貨で1万リーヴルだ。この当時は貨幣が鋳造された土地によって、価値が違っていた。トゥール貨とは、今俺たちがいるトゥールで鋳造された貨幣を指す。これがパリで鋳造されるとパリ貨となる。第7回十字軍で捕虜となったルイ9世と兵士の身代金が40万リーヴルであったことを考えると1万リーヴルは大した金額ではないだろう。


 おそらくシャルル7世には身代金が支払えたはずだ。だとすると、なぜシャルル7世は身代金を支払わなかったのか? 身代金を払うどころかシャルル7世は、ジャンヌを救うための行動を何もとらなかった。これについては次の説明が成り立つ。シャルル7世が対イングランドの戦争で勝利するには対立しているブルゴーニュ公と和解する必要があった。そのためには、あくまで武力でのフランス統一を主張するジャンヌは邪魔だったというものだ。


 こう考えると、例えシャルル7世に身代金ですと言って1万リーヴルを渡しても払われることはないだろう。ジャンヌを救うには他のことに金を使う必要がありそうだ。


 百年戦争に勝利するには、フランス国内の勢力をまとめる必要がある。武力でブルゴーニュ公やブルターニュ公をねじ伏せるのは至難の技だろう。シャルル7世を救ったのは、ジャンヌ・ダルクで間違いない。だが、百年戦争に勝利した理由は、地道な外交努力だった。


 ジャンヌが目障りになっても排除しなくてもいいほどの余裕。その余裕がシャルル王にあれば。もちろん最低限のミッションはジャンヌがどんな状況であっても生き残ることだろう。だが、俺は試してみたい。このどうしようもない中世ヨーロッパが俺の手で変わっていく姿をこの目でみたい。


 アイヒはおろか、大天使ミカエル様でさえ想像がつかないような世界。俺にはひそかにに考えている野望がある


 それは――


 バブルだ!


 20XX年の世界でも巻き起こった人々の欲望が作り出す大きな波。株式、不動産、石油、美術品、あらゆるものの値段が果てしなく上昇する現象。その「バブル」を中世ヨーロッパで巻き起こす!


 みんなは、俺のことを狂っていると思うだろうか? 確かに狂っているのかもしれない。だがそもそも狂っていない世界なんてあるんだろうか? あるとしたらアイヒたち天使がいる天界か? いや、あそこだって十分狂っている。


 かの吉田松陰よしだしょういんは言った。


 『諸君! 狂いたまえ!』


「諸君? あんた誰に話しかけてんの?」


 慌てて振り向くとアイヒが入り口に立っていた。手にはふたつのカップと壺、黒パンが載った木のお盆を持っている。


「何でもねえよ。独り言だ」


「あっそ。さあ食べましょ」


 アイヒはそっけなく答えてお盆をテーブルに置いた。もう機嫌は治ったのか? アイヒが壺からカップにエールを注いでくれる。乾杯して一口飲んだところで、天使ノートがブルった。急いでノートを開くと最新ページに記載されたのは、トゥールの地図だった。


「おそらく、手記はこの町のどこかにあるんだろう? それを探せってことじゃないかな」


「結構この町広そうよ、なんかヒントがないと大変ね」


 確かに町は広そうだが、地図に載っている場所で3つだけ赤い字で名前が書かれている場所がある。その場所とは――


 サン・ガシアン大聖堂


 サン・ジュリアン教会


 シャルルマーニュの塔


 の3つだ。これがヒントだろう。この3つの場所に手記があるのか、あるいは手記のヒントが隠されている可能性が高い。今回は町の中に城があるので全部歩いて回れそうだ。ジャックがトゥールに到着するのは3日後の予定なので時間もたっぷりある。


「よし、探しに行くか!」


 そう言って俺はエールを飲み干した。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る