第25話 獅子心王とグランドマスター

 サブレが入り口の錠を開けて、中を案内してくれる。


「ルグラン殿、本当に地下室でよろしいのですか? 上の階にもっとマシな部屋がございますが……。正直に申しますと地下室はお勧めできません」


「いいんですよ。一度泊まって見たかったんです」


 サブレが手に持った燭台で下へ降りる階段を照らすが、細く狭い階段がぼんやりと照らされる。階段を降りるとそこは通路になっており、通路を進むと右側に鉄格子がはめられている部屋があった。ろうそくの灯りで照らされた部屋は、思っていたほど狭くはなかった。囚人と言っても人質として価値のある人物もいたのだろう。犯罪者など一般の人間と人質では扱いは違ったはずだ。


 サブレが鉄格子の扉を鍵で開け、ふたりで中に入った。湿ったカビ臭い空気を感じる。部屋の端に木の箱のような粗末なベッドが置いてあった。天井に換気と明り取り用の穴が空いているのが見える。壁に設置してある燭台に火を灯すが他に灯りがないのでとにかく暗い。


 うわ、これはキツいなあ。俺は早くも後悔し始めていた。こんなところで寝るなんて確かに馬鹿げている。上の階にある来賓用の部屋にかえてもらおうか? いやダメだ。ファンドの運用でも経験したはずだ、安易な方に流された結果どうなったか? やると決めたことはやるのだ。


「ここには呼び鈴はありません。また地下牢に誰も収容されていないので見張りの牢番もいません。牢の扉に鍵はかけませんので出入りは自由ですし、他の牢の鍵も開けておきます。ただ、何か起こっても自己責任となりますのでご了承ください」


 やれやれという感じでサブレが言う。


「大丈夫です。ご迷惑はかけませんよ。ありがとう」


「……ではごゆっくり」


 サブレが立ち去ると、とりあえず寝心地を確かめるようにベッドにゴロンと寝転んでみた。じっとりと湿った感じが服の下から伝わってきてとても気持ち悪い。5名の騎士団メンバーがこの塔に幽閉されポワティエから派遣された教皇クレメンス5世の異端審問官から取り調べを受けた。5名は教皇の赦しをうために罪を認めたという。ただ、それまでに様々な拷問を受けたとも言われている。


 さて、手記を探さなければならない。手記は5つに分けられており、ひとつはロッシュ城にあった。そして残り4つのうちひとつはこのシノン城にあると書かれていた。シノン城とは書かれていたものの、地下牢とは書かれていなかったのでこの部屋にあるとは限らない。燭台のろうそくをかざしながら部屋の石壁を調べていく。壁のところどころに引っ掻いたような傷がいくつもついている。


『私は神に許しを請う』


 ベッドが置いてある壁の上部に文字が刻まれていた。文字の隣には十字架とおぼしき模様が刻まれている。これはテンプル騎士団メンバーが残したものだろうか? この文字以外には壁に手がかりになるようなものは見つけられなかった。


 次に床を調べていく。どこかに取り外せる部分がないか押したり叩いたりしてみるが、やはり何も見つからない。これは骨が折れそうだ。そう思った時、腰の巾着袋がブルっと震えた。天使ノートへの書き込みがあったのだ。


獅子心王ライオンハートともにアッコンにきたれるグランドマスター。その者の名を探せ』


 天使ノートに書き込まれた言葉に俺は首をひねった。どういう意味だ。まず、獅子心王ライオンハートだが、これは分かる。イングランド王国、プランタジネット朝第2代目の王リチャード1世、在位期間のほとんどを戦争に費やし、その勇猛な戦いぶりから「獅子心王しししんおう」と呼ばれた。次にアッコン、これはイスラム軍に攻略されたイェルサレム王国最後の都市の名だ。グランドマスターはこの場合、テンプル騎士団の総長を指していると思われる。つまり、『リチャード1世とともにアッコンにやってきたテンプル騎士団総長の名前を探せ』となる。


 質問の内容はわかったが、答えは? 俺もそこまで世界史に詳しくない。全くわからん。もう一回木のベッドに横になった。そうだ! 確か天使ノートにテンプル騎士団総長の一覧が書き込まれたはずだ。前のページにそれはあった。


『テンプル騎士団の歴代総長


 ユーグ・ド・パイヤン

 ロベール・ド・クラオン

 エヴラール・デ・バール

 ベルナール・ド・トレムレ

 アンドレ・ド・モンバール

 ベルトラン・ド・ブランクフォール

 フィリップ・ド・ミリー

 オドー・ド・サン・タマン

 アルノー・ド・トロージュ

 ジェラール・ド・リドフォール

 ロベール・ド・サブレ

 シルベール・エラル

 フィリップ・デュ・プレシス

 ギヨーム・ド・シャルトル

 ピエール・ド・モンテギュ

 アルマン・ド・ペリゴール

 リシャール・ド・ビュール

 ギヨーム・ド・ソナック

 ルノー・ド・ヴィシエ

 トマ・べラール

 ギヨーム・ド・ボージュー

 ティボー・ゴーダン

 ジャック・ド・モレー』


 ダメだ! それぞれの総長の在任期間が載っていない。リチャード1世がフランス王、フィリップ2世と共に参加したのは第3回十字軍だ。天使ノートの巻末に簡単な歴史年表が載っており第3回十字軍は1189年〜1192年とある。テンプル騎士団の創設が1119年だから、創設からだいたい70年後ということになる。フィリップ4世により騎士団メンバーが一斉逮捕されたのが1307年で、創設から188年後。


 よし、算数の問題だ。ジャック・ド・モレーまで23人の総長がいるのだから、まずテンプル騎士団の歴史188年のうち第3回十字軍までの70年の割合を計算する。70÷188=0.3723、次にこの数字を総長の人数23に掛ける、23×0.3723=8.56となった。もし23人の総長が188年を同じ在任期間で交代していったのならこの計算でだいたいわかるはずだ。8人目の総長は、「オドー・ド・サン・タマン」、9人目は「アルノー・ド・トロージュ」だ。


 だがこの計算には重大な弱点がある。1年とか2年とか極端に短い在任期間だった総長や10年以上など長期政権の総長がいればいるほど計算が狂ってくる。


 その後、数時間にわたって他の独房の壁や床を探し回った。壁に刻まれた十字架や何かの紋章、「助けて欲しい」、「お腹が空いた」などの言葉はいくつか見つかった。だが人の名前らしきものは全く見つからない。もう、ろうそくが燃え尽きそうだ。代わりのろうそくはないし正直疲れた。俺は最初の独房に戻って少し寝ることにした。固い木のベッドに横になり目を閉じる。ろうそくの炎がゆらゆらと揺らめいたと思うと消えた。あたりは真っ暗闇だ。時折ビュービューと塔に吹き付ける風の音が明り取りの窓から聞こえてくる。


 この塔に囚われていた騎士団メンバーはどんな気持ちだっただろう? 教皇の権力に守られると信じていた彼らは、世俗の王による陰謀によって自分たちが破滅するとは考えていなかったという。だが、このシノン城に……この塔に幽閉され、理不尽な扱いを受けるうちに希望は絶望に変わっていったのではないか? そんなことを考えているうちに意識が遠のいていった。


「レオ! レオ!」


 誰かが俺の体を揺さぶっている。


「ちょっと、いつまで寝てるのよ!」


 目を開けるとアイヒがそこにいた。


「なんだアイヒか……」


 そう言ってもう一回寝ようとすると、さらに激しく揺さぶられる。


「なんだって、何よ! せっかく起こしに来てあげたのに。それとも、おはようのキスが欲しいわけ? 仕方ないわね。はい――」


 ほほに何かが押しつけられた感触を感じた俺は慌てて飛び起きた。押しつけられたのはアイヒの人差し指だった。


「残念でしたー、ハハハッ」


 このクソ天使め。

 

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