第19話 ロッシュ城

「ジャック・ド・モレーが財宝に関する手がかりを何か残してないか探してみるつもりだ」


「ねえ、レオ。もう一つのサン・ジョルジョ銀行はどうするの?」


 珍しく、アイヒが鋭いツッコミを入れてきた。もちろん肉を食べながらだが。


「アンジェでヨランド様に会った時に、イタリアに人脈がないか聞いてみようと思ってるんだ。ヨランド様の亡き夫、ルイ2世・タンジューはナポリ王位を激しく争っていたから、何か知っているかもしれない」


 中世末期のイタリアは、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、教皇領、ナポリ王国が勢力を争っていた。サン・ジョルジョ銀行のあるジェノヴァ共和国はどうなったのか? ジェノヴァ共和国は黒死病の大流行でダメージを受けた後、1380年、キオッジャの戦いで長年争ってきたヴェネツィア共和国に決定的な敗北をし、衰退していった。


 ジェノヴァ共和国が復活するのは、サン・ジョルジョ銀行がスペイン王、カール5世に融資を行った1528年以降のことだった。スペインの海外遠征への融資で莫大な富を得たのは銀行家と投資家だ。これこそ、ジャックが目指している姿なのではないかと思う。そして俺が目指すところでもあるのだ。


「おおっ! そっちもあったか。やることいっぱいだな。レオ」


 ジャックはまた愉快そうに笑った。俺のミッションはジャンヌ・ダルクを救うことだ。だけどジャックも助けてやりたい。――いや必要ないか。ジャックは自分の人生に後悔なんかしなかっただろう。ジャンヌはどうなんだ? 後悔したのか? イングランドに売り渡されて火刑になったんだから後悔したに違いないと人は言うだろう。でも本当にそうだろうか? 真実は本人にしか分からない。


 2日後、俺達の商隊はロッシュの町に到着した。幸い雨に降られることもなく予定通りだった。まずはアンドル川の船着場へ向かう。樽に入ったワインが船から降ろされる。そのワインを荷馬車に積み替え、ロッシュ城へ向かう。


「こいつはボーヌのワインだ」


 荷馬車を先導しながら、並んで馬を走らせていた俺にジャックが言った。俺はワインには正直あまり詳しくない。投資銀行時代の顧客は金持ちばかりで、彼らの中には、かなりの美食家もいた。彼らは惜しげもなく高価なワインに金をつぎ込んでいた。だが、そいつらのことを俺は軽蔑していた。無駄な金を使うものだと。


 フランスワインの三大産地、ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュのうちの一つ、ブルゴーニュ。フランス以上の栄華をほこったブルゴーニュ公国の所領である。公国の首都はディジョンだが、ボーヌは「黄金の丘」と呼ばれる丘陵きゅうりょう地帯にあるブルゴーニュワインの中心地だ。現代のボーヌで、毎年11月に行われるワインのオークションは「栄光の3日間」と呼ばれ、フランスで最も有名なワイン祭りだ。


「何でワインをロッシュ城に運ぶんだ?」


「近々、シャルル陛下が遠征に来られる予定があってな。城で祝宴が開かれる時に飲むワインだ」


 この時代の宴会は結構な頻度で開かれていた。その度に大量のワインが消費される。ジャックはそこに目をつけて商売にしているのかもしれない。だが、シャルル王太子がロワール川沿いに遠征してくるのであればどこかのタイミングでまた会うかもしれない。それまでに何かしらの成果を上げなくては。


 やがて荷馬車はロッシュ城へ到着した。高さ36mもある四角い天守閣ドンジョンに俺は圧倒された。岩山の先端にある、この城はロワール川沿いにある他の城に比べて武骨な印象を受ける。まさに戦闘用の要塞といった印象だ。


 城の管理を行っている使用人を呼んで、ワインの受け渡しを行う。代金はその場で受けとるのではなく、為替を利用するようだ。現金は重くかさばる上に持ち運びに危険が伴うため、商品の買い手はあらかじめ都市にいる両替商に現金を預け入れしておき、商品の売り手には為替手形を渡す。売り手の商人は都市に戻って両替商に手形を渡して商品の売代金としての現金を受け取り、決済が完了する仕組みだ。


 これがやがて、我々もよく知っている銀行の決済システムとなっていく。テンプル騎士団は早くからこの仕組みを作り、十字軍に参加した貴族に提供していた。また十字軍の終了した後も、そのシステムを維持したのだった。


 だがそこに目を付けたのが、フランス王フィリップ4世だった。その整った容姿から「端麗王」呼ばれた王は、非常に権力欲が強かった。王は豊かなフランドル地方を巡ってイングランドと戦争を開始した。


 この戦争で膨大な戦費が必要となり、とうとうキリスト教会にまで課税を行った。当然、ローマ教皇ボニファティウス8世と鋭く対立し、教皇の捕縛ほばくを実行に移す。捕縛は失敗したものの教皇は憤死ふんしした。


 フィリップ4世が次の標的に選んだのが、膨大な富を保有していた、テンプル騎士団だったのは必然かもしれない。


『出る杭は打たれる』という言葉が頭をよぎった。テンプル騎士団も、ジャック・クールも時の権力者ににらまれてしまった。俺の前世でもマネーゲームで巨額の資産を作ったやつが世間から「金の亡者」として、もしくは働かずに楽して儲けた人間として叩かれることはよくあった。


 だが本当に狡猾こうかつな人間は、決して表舞台にはでてこないものだ。静かに、目立つことなく自らの目的を果たしていく。誰も彼らの存在に気がつかない。


「レオ、これからどうする?」


 ワインの受け渡しを無事終了したジャックが聞いてきた。

 

「シャルル陛下から、領内の城に泊まる許可をもらっているんだ。だから今日はこの城に泊めてもらうつもりだ」


「そうか、残念だな。また宿でワインをみ交わそうと思ったんだが」


「すまん、ジャック。実は城にある資料を閲覧する許可ももらってるんだ。色々と調べてみたいんだ」


「なるほど、そう言うことか。ロッシュには2日間滞在する予定だ。2日後にまた迎えに来るぜ。頑張れよ」


 そう言うとジャックはマレたちと共に去っていった。


 呼び鈴を鳴らし、使用人のおじさんを呼び出した。シャルル陛下の宿泊許可証をを見せるとおじさんは言った。


「宿泊料はお2人でグロ銀貨1枚(0.05リーヴル)ですぜ」


「へっ?」


 俺とアイヒは思わず間抜けな声をあげた。てっきりタダで泊まれると思っていた。今、手持ちのお金は2人合計で1.9リーヴルしかない。城に泊まる度に料金を取られたら手持ちのお金が無くなっちまう。


「あのー、これで無料になりません?」


 そう言ってアイヒが宿泊許可証を再度、おじさんの眼前に掲げた。


「無料がお望みとあれば、町に貧しい旅行者を受け入れる修道院がありますぜ。どうぞそちらへ」


 おじさんは嫌らしい笑みを浮かべた。


「仕方ないわね。あなた払って差し上げて」


 そう言ってアイヒがひじで俺を突いてくる。おじさんに聞こえないように小さい声で「この間、金貨あげたでしょう、あれで払いなさいよ」と言う。金貨はない。ブールジュのゴルデーヌ広場で少年にあげてしまった。


「よしっ、修道院へ行こう」


 そう言って俺が城を出て行こうとすると、アイヒが慌てて俺の腕を引っ張る。


「いや、修道院はいや、嫌なのー」


「じゃあ、払え」


 アイヒはしぶしぶ巾着袋からグロ銀貨を取り出すと、おじさんに渡した。


「へへっ、毎度あり。こちらへどうぞ」


 おじさんは、うれしそうに銀貨を自分の巾着袋に入れると、俺たちを来賓用の部屋に案内してくれた。おそらく銀貨は現代で言うところのチップというところだろう。城主不在の間、そうやって小遣い稼ぎをしているに違いない。

 


 

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