第18話 旅の始まり

 シノンへ向けて出発する朝が来た。俺とアイヒ、ジャックはそれぞれの馬にまたがる。さらにクール家が契約している傭兵のヴァレリー・マレと彼の部下、荷物運びの従者が数名という構成だ。安全のため別の商隊と連なって移動することになった。


 まずは、シノン城へ行く途中にあるロッシュ城を目指す。――ロワール渓谷ヴァレ・ド・ラ・ロワール。フランス最長のロワール川流域に広がる渓谷。歴史上有名な古城が数多く存在し、その優雅な景観とあいまって「フランスの庭」と呼ばれる。今から始まる旅の前半は、そのロワール渓谷をめぐる旅となる。もちろんこの時代であっても景色の優雅さは現代と変わらないのだが、現代の旅のような観光気分はないに等しい。


 季節は真夏でジリジリと陽が照りつけているが、風は爽やかだ。元騎士であるマレは、さすがにフルプレートで長距離移動とはいかず、鎖帷子くさりかたびらの上に胸当てをつけて、騎兵の兜を被っている。背中には弓を背負っており、周囲を注意深く見回している。


「マレ殿、よろしくお願いします」


「ここは見渡しが良い場所ですが、油断はなりませんぞ。気を抜かれませぬよう」


 おおっ、これぞ騎士という実直さを感じる。なんか頼もしい。


「ははっ、ヴァレリーは相変わらず堅いなあ」


 ジャックが茶化すように言うとマレは少し顔を赤らめた。


 フランス国内はかつてローマで整備されていた街道のように、王道が整備されつつあった。今回も状況の悪い道は通らず通行しやすいルートを選んでいるそうだ。それでもところどころ穴が開いていたり、草が生えていたり、ぬかるんでいたりと危険な場所があった。その度に迂回しなければならないし、進むスピードが落ちた。


 意外だったのは、アイヒがちゃんと馬を乗りこなしていたことだ。正直、途中で「あーもう無理」とか言って駄々をこねるのではと思っていたのだが、商人や傭兵たちと比べても遜色ない馬術だ。さすがにとんがり帽子ではなくマントを羽織っている。


「おい、アイヒ。天使はみんな馬に乗れるのか?」


「あったりまえでしょ。天界にも馬はいるんだから、天使のたしなみよ」


 天界の馬って、ユニコーンとか、ペガサスとかそういうのだろうか? 俺は思わず羽が生えた馬に乗るアイヒを想像したが、全然似合ってねえ。そんなこんなで、なんとか日が暮れる前に街道沿いの宿屋へ着いた。


 ブールジュで泊まっていた宿屋に比べるとかなりグレードが下がるものの、厩舎と食堂が完備されていた。部屋は別々というわけにはいかず、俺、アイヒ、ジャック、傭兵のマレが同じ部屋だった。王族であっても他の旅人と同じ部屋でざこ寝がありうるのがこの時代だ。だが、さすがに女性が1人同じ部屋だと間違いが起こるといけない(実際よく起こった)と思い部屋の中に仕切りの板を設置してもらった。


 食堂で食事をとりながら今後の予定について打ち合わせをすることにした。


「ロッシュ城まではあと2日かかる。雨が降らなければいいんだがな」


 切り分けた肉にかぶりつきながらジャックが言った。街道は舗装されておらず砂利をひいてあるだけだ。もし雨が降れば道はぬかるみ通行が困難になる。今は夏なのでまだましだが、春の雪解け時期のぬかるみはかなり悲惨な状態になる。


「そうだな。雨が降らないことを祈ろう。ロッシュ城では何か予定があるのか?」


 俺は豆のスープをすすりながら尋ねた。


「アンドル川の船着場でワインを受け取る。それをロッシュ城に運ぶ仕事があるんだ」


 ロッシュ城はジャンヌ・ダルク、ジャック・クールその両名にとって関わりの深い城だ。1429年、この城を居城としていたシャルル王太子のもとへジャンヌ・ダルクは駆けつけた。戴冠のためのランス行きを、ためらっていた王太子を説得することに成功し、王太子はランスに入城し戴冠式が行われた。その後、この城はシャルル7世の愛妾あいしょうアニェス・ソレルに私邸として与えられた。


 ところが、アニェス・ソレルは1450年、4人目の子供を出産した直後に急死した。ここで毒殺犯として逮捕されたのは、今目の前にいるジャック・クールだった。ジャックは全財産を没収されポワティエの牢に投獄された。その後どうなったのか? ジャックは1454年、まんまと脱獄に成功。ローマへ渡り、教皇ニコラウス5世に保護された。次の教皇カリストゥス3世の代まで教皇のもとで大活躍したのだが、最後は教皇が編成した『十字軍』の総司令官として遠征先のキオス島で死んだ。


「どうした? レオ、ぼーっとして」


「あ、いやなんでもない。ワインか……、陸路で運ぶのは大変そうだな」


 レオの運命に思いをはせていた俺は慌てて答えた。


「そうだな、陸路じゃ少量しか運べねーな。実は俺たちの旅もシノンから先は船旅にしようかと思ってるんだ」


 シノン、アンジェ、トゥール、オルレアンはいずれもロワール川沿いの都市だ。もし商隊が商品を運ぼうと考えているなら船旅でなければ難しいだろう。事前のシミュレーションでは全行程を陸路として計算したのだが、船旅ならだいぶ違ってくるだろう。


「わーっ! 船に乗れるの! 楽しみー」


 アイヒが脳天気な声を出した。


「うるせー、お前は船を漕ぐんだ。ついに役に立つ時がきたな。フハハハ」


「あんた、か弱い女に船を漕げっていうの! 鬼! 悪魔!」


「はー、どこがか弱いってゆーんだよ。肉ばっかり食べやがって!」


 俺が切り分けた肉を片っ端から口に入れる強欲天使に、鬼や悪魔呼ばわりされてたまるか。


「おー、おー、仲がいいなお二人さん」


 ジャックはワインをぐびっと飲んで楽しそうに言った。 テーブルにかれいの塩焼きとチーズが運ばれてきた。


「魚も食べろよ」


 そう言ってアイヒに取り分けてやると、ちょっと嫌な顔をした。どうやら魚は苦手らしい。


「それで、レオはテンプル騎士団の財宝をどうやって探すつもりなんだ? 何か考えがあるのか?」


 ジャックが興味ありげに聞いてきた。そうだった、ジャックにも話しておかないとな。


「この間、シノン城にあるクードレイの塔について話をしたよな。地下室にテンプル騎士団総長のジャック・ド・モレーが捕らえられていた――」


「ああ、言ってたな。もしかしてクードレイの塔に行ってみるつもりか?」


「行くだけじゃあない、泊まってみるつもりだ。地下室にね」


「おい、おい、マジかよ。ゾッとしねえなあ。そう言えば『テンプル騎士団の呪い』っていう噂もあるよな」


「ちょっと、また怖い話? そういう話は私がいないところでしてよ」


 アイヒが口を尖らせて言った。


『テンプル騎士団の呪い』――ジャック・ド・モレーはパリを流れるセーヌ川の中洲、シテ島で火刑に処された。死の間際、モレーは次のように叫んだという。


『我は誓う。教皇クレメンスとフィリップ王を1年以内に神の法廷へ引きずり出すことを』


 その予言通り、ふたりとも1年以内に死んだ。フィリップ4世の後をついだ3人の息子、ルイ10世、フィリップ5世、シャルル4世も次々とこの世を去り、直系男子の後継がいなかったためカペー朝は断絶した。カペー家の後はヴァロア家が継いだ。ヴァロア家5代目の王が我らがシャルル7世なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る