第15話 少年と金貨

 「えーやだよ。今かっこいい兵隊さんを見てるとこなのに。おっさんが自分で行けばいいじゃん」


 少年は不満げに口をとがらした。このクソガキがー。俺は奥の手を使うことにした。


「もちろん、タダじゃないぞ。ほらこれをやる」


 そう言って俺は巾着袋から、なけなしのエキュ金貨を取り出して少年に見せた。俺を見るつまらなそうな少年の目が輝きを取り戻した。


「もちろん先払いだよね。大人は嘘つきだからさ」


 クソッ、抜け目のないガキだ。こんな時に金貨一枚しか持ってないとはツイてない。せめてグロ銀貨でも持っていればよかったのだが。金貨では割に合わん。


「わかったよ。持ち逃げすんなよ」


 少年は金貨を受け取ると、ブルボヌー通りを市場の方に向かって駆けて行った。


 大丈夫かな? 小さくなる少年の背中を見ながら不安な気持ちになった。今は信じるしかない。今度は兵士の足止めだ。俺は広場の端に見張りとして立っている若い兵士に近づいて声をかけた。


「すいません。私はシャルル陛下に遣えるレオ・ルグランというものです。上官の方とお話ししたいのですが、お取次いただけませんか?」


 兵士は俺の足先から頭までをじろじろと見た。


「どんな御用件です?」


 俺の服装から貴族とわかって一応話は聞いてくれるようだ。これが一般市民だったら門前払いだったかもしれない。


「実は陛下から皆さんのお役に立つようにと仰せ使ってまして。見ていただきたい地図があるのです」


 兵士は暫く考えていたが、「ちょっとお待ちください」と言うと見張りを別の兵士に交代してもらって立ち去った。兵士を目で追うと、彼は遠くに立っている上官らしき男のところまで歩いて行き説明を行なっているようだった。その上官がさらに上等な鎧を身につけた人物と話をしているのが見える。話が終わったのか最初に取次をしてくれた若い兵士が戻ってきた。


「ジョン・ステュアート司令官がご面談くださるとのことです。ご案内しますこちらへどうぞ」


 よしよし上手く行ったぞ。そう思ったものの手元に地図がないことを思い出して焦った。整列する兵士たちの横を通って広場の奥に進んで行く。兵士が案内した先にはあごひげをたくわえた中年男性が立っていた。装飾が施された甲冑と羽飾りのついた兜を身につけている。


「初めまして。シャルル王にお仕えしているレオ・ルグランと申します」


「ジョン・ステュアートだ。お会いできて光栄だ、ルグラン殿」


 低く落ち着いた声だった。――ジョン・ステュアート(1381ー1424)同盟国フランスの援軍としてやってきたスコットランドの軍人。1406年に現在まで続くバカン伯爵位を継いだ。1421年に援軍としてフランスにやってきた後、ボージェの戦いでイングランド軍を破った。


「こちらこそ、お会いできて光栄です。バカン伯殿。ボージェでの武功お聞きしてますぞ」


 ボージェの戦いではフランス・スコットランド連合軍の戦力をなめていたイングランド軍の弓兵が機能せず、連合軍の勝利となった。しかし、これからバカン伯が向かおうとしているヴェルヌイユの戦いでは、そのイングランド弓兵によって連合軍は殲滅せんめつされることになる。


「ハハハッ、勝負は時の運と申す。それでもシャルル王のお役に立ててよかった」


 どうやらバカン伯は腰の低い人格者のようだ。出来ることなら助けてあげたい、ヴェルヌイユの戦いについても教えてあげたい。そんな気持ちがもたげてくるが、もちろんそんなことは許されない。反作用が怖いということもあるが、そこまでの歴史改変は許されないという自分の気持ちがある。


「バカン伯殿、私は商売で実用的な地図を作っておりましてね。その地図をご覧になって頂いて、もし気に入って頂けたのであればご購入頂きたいのです」


 バカン伯の片眉が上がった。おそらく戸惑っているのだろう。


「ルグラン殿、私の知っている限り『地図』というものは見て楽しむものであり戦争の役に立つものではないのだが、違うとおっしゃるか?」


 そう言わず、まずこちらをご覧になってください――とは言えねー、なぜなら地図もってないから。とりあえずトークでつなぐしかねー


「TO図やマッパムンディのことをおっしゃっておられるのですな。たしかにあれらは見て楽しむものでしょう。しかし違うのです。自軍と敵もしくは都市との正確な距離が割り出せます。距離が分かれば到達する時間もわかるのです!」


 俺の言った事は全て本当のことだ。だから誠意は相手に伝わる。だが言葉で伝わる情報量は限られている。ヴィジュアルが……映像がいるっ!


「ほうほう、そんなに便利な地図があるといわれるのだな。ひとつ見せて頂こうか」


 バカン伯の反応はあまりに予想どうりだった。背中に冷たい汗が吹き出す。


 ヒヒーン


 近くで軍馬がいななく。まるで早くしろといっているように。


「地図は……」


 今はないのです――そう言いかけたときだった。


「ルグラン殿! 探したぞ」


 振り向くと、そこにはジャック・クールがいた。走って来たのか肩で息をしている。


「地図は俺が持っているというのに、はぐれてしまったら困るだろう」


 ジャックはうまく話を合わせてくれたようだ。サンキュー、ジャック。


「お連れの方かな?」


 バカン伯の問いに、ジャックはブールジュ市長の義理の息子「ジャック・クールです」と答えた。効果はてきめんでバカン伯は怪しい話ではないと安心したようだった。


「立ち話もなんだ、こちらへ」


 バカン伯のさそいで広場に設置された組み立て式のテーブルを囲んで話をすることになった。俺はテーブルに広げた地図を使ってこの地図がいかに正確に作られているのか力説した。続いてコンパスと定規を持って来ていたジャックが距離の測り方を実演する。


「例えばですね、バカン伯の軍勢が現在、ル・マンにいるとします」


 そう言いながらジャックはコンパスの支点をル・マンに合わせる。


「このコンパスは100kmの距離になる角度で開いていますので……こうル・マンを支点にぐるっと回して円を描くと……」


 コンパスの回る方の先端が、スコットランド軍が壊滅するヴェルヌイユ付近を通るのを見て俺は息をのんだ。


「ル・マンから100kmの距離にある地点が円で示されました。この円まで1日20kmの速さで移動すれば5日で到達できると予想できるのです」


 ジャックは早くも地図の使い方をマスターしたようだ。説明によどみがない。バカン伯の目が驚きで見開かれるのが俺にもわかった。


「……いくらで売ってくれるのだ?」


 バカン伯の問いにジャックは俺の方をチラッと見る。俺は軽くうなずいた。任せるという合図だ。


「この1枚は貴重なオリジナルでこれ1枚しかありません。ただ少しお待ちいただければ木工印刷で5枚ほどはご用意できると思います。オリジナルは5リーヴル、複製図は精細さがかなり落ちますので1リーヴルでどうでしょう」


「よし、それで売ってくれ」


 ダグラス伯を呼んでくれ、バカン伯はそう部下に伝えると、呼び出された副官と共に契約の書類を交わした。オリジナルの地図はその場でバカン伯に渡した、さらにサービスとしてコンパスと定規もつけてあげた。広場を後にする俺たちをバカン伯はうれしそうに見送ってくれた。


「ありがとう、助かったよ。ジャック」


 広場から離れるとすぐ、おれはジャックにお礼を言った。


「いやいや、レオは人を見る目があるぞ、お前が伝言を頼んだ少年は俺にこう言ったぞ『金貨分の仕事をしたいので、すぐに広場に行ってほしい』ってな」


 そうか、中世も捨てたもんじゃないな。

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