第14話 初めての商談
「売るってどういう意味よ」
「この地図すごく綺麗で正確だろ。地図の必要な商人に売れるんじゃないかな?」
「でもそんなことしたら反作用が起こるかもよ」
アイヒの目がつり上がるのがわかる。たが俺は引かない。反作用を恐れすぎたら何もできねーじゃないか。
「なあ、アイヒ。俺たちは金がない。まずは旅にでなきゃ何も始まらない。なら出来ることはやる、多少リスクをとってもな」
俺の迫力にアイヒは少したじろいだようだ。
「それはそうだけど……」
「まずは、ジャックの店に行って相談してくるぜ。その間、お前も金を稼ぐアイデアを考えといてくれ」
「わかった……、行ってらっしゃい」
まだ納得いってなさそうなアイヒを残して宿屋を出る。もしかしたらミカエル様の狙いはここにあるのだろうか? 今回のミッションには金がいる。天使のアイヒに金儲けは難しいだろう。だから俺が選ばれたじゃないのか?
ジャックの店は、さっき来たときと変わらず活気があって人が大勢出入りしていた。
「クール殿はおられるか? 私はレオ・ルグランというものだ」
従業員のひとりに声をかけてジャックを呼んでもらった。しばらくしてジャックがやって来た。
「おや、レオ、もう来たのか? まだ見積りは出てないぞ」
「実は売りたい物があるのだ。見てもらえるか?」
ジャックと俺は商談用のテーブルへと移動して腰を下ろした。俺は天使ノートに挟まれているフランスの都市地図をテーブルの上に拡げた。
「おおっ! これは地図か? しかし見たことのない地図だな。木工版画か……いや、やけに色がはっきりしている。かすれや色のムラが全然ない。どうやったらこんなふうになるんだ」
感心したようにジャックは言い、地図の隅々まで観察している。
「入手先は明かせないのだが、それは異国で作られた正確な地図だ」
「正確とはどういう意味なんだ? レオ」
「ここを見てくれ」
俺は地図の右下に表示されている縮尺を指さす。
「この線の長さが実際の距離10km※に当たるんだ。そして都市と都市の間の距離もこの線の何倍に当たるのか計算することで割り出せる」
※注 メートル法は1790年に制定され、それ以前は長さの単位として「トワーズ」が使われていました。この作品ではわかりやすくするため距離をメートルで表しています。
「プトレマイオスの地理書を使ったのか?」
クラウディオス・プトレマイオス(83頃−168頃)は古代ローマの天文学者で緯度・経度を用いた地図を作った人物だ。中世ヨーロッパではギリシアやローマ時代に発達した地理学は失われてしまった。中世の地図で残されているのは『TO図』と呼ばれるキリスト教の世界観を表す実用性のない地図だった。
「わからん、妻の実家に放置されていたお宝らしいんだが、調べたらなかなか使えそうだと思ってね」
「ちょっと、待っててくれ」
そう言うと、ジャックは倉庫に入っていった。戻ってくると手に木製の定規と紙そして鉄製のコンパスを持っていた。ジャックは、まずコンパスの二股に分かれている先端を縮尺の両端へ当てがい、縮尺の幅になるようにコンパスを開いた。次に定規を地図上のブールジュとシノンを直線で結ぶように置いた。開いたコンパスの片方の先端を地図上にあるブールジュの場所に乗せるとその点を支点としてくるりと回転させながら、定規に沿って進んでいきシノンまで何回転で行けるのか回数を数えた。
うわーっ、めんどくさいことするなー、とは思ったものの黙っておく。定規でブールジュからシノンまでの長さを測る。その長さを最初に測った縮尺の長さで割る。その数字に縮尺の本来の距離である10kmをかける。この計算で簡単にはじき出せるはずだが、割り算と掛け算がめんどくさいのだろう。
「よしっ! 17回と半分くらいだ。ということは1回が10kmだから175kmくらいということか」
「ほぼあってるぞ、やるな! ジャック」
「フハハハハ、やる時はやるぞっ! レオ」
「よし、後は俺が測った数字があるから必要なら書き写してくれ」
俺はあらかじめ天使ノートのページに書いておいたメモをジャックに渡した。
「な、なんだこの紙は? えらく上等じゃねえか」
しまった。この時代の紙にしておけばよかった。そっちに食いつかれるとヤバい。
「そ、そうかー? ちょっと上等な紙かもなー。そ、それよりこれで行き先の位置関係と距離が一目瞭然だろ」
ジャックはうーんと腕を組んだ。あれれ思ってた反応と違うぞ。
「いったいどうやって、距離と方角を測ったんだ? いや確かにすげーと思うのだが……なんか信じられないっていうか、こんな風に全体をいっぺんに見たことがないっていうか。ピンとこねーんだよな」
誤算だった。中東へ行くという夢を持っているジャックでさえこの感覚なのだろうか? 封建社会で、生まれた土地、住んでいる領地に縛り付けられて生きている中世ヨーロッパ人の地理感覚は現代人とはかなり違うようだ。俺もレオ・ルグランとしての視点でこの地図を見た時、「これ、なんの役に立つのかな?」という考えが一瞬よぎったのを思い出した。
「いや、売る方法を考えてみるぞ。ちょっとこの地図預かっていいか?」
地図はアイヒの分があるのでひとつは預けても大丈夫だろう。
「ああ、いいよ。俺も考えてみるよ」
俺はジャックの商館を出て、宿に帰ることにした。アイヒに偉そうなことを言って出てきた手前なんだか帰りづらい。
ちょっとブールジュの街を散策してみるか。ブルボヌー通りをゴルデーヌ広場へ向かって歩いて行く。木造の家屋が狭い道の両脇に密集して建っている。狭い通りを荷馬車が進んでいく。肉や魚、卵、バターを市場へ運ぶのだろう。水汲み場へ水を汲みに行った帰りと思われる女性たちが休憩中におしゃべりしているのも見える。
俺は少し、この場所では浮いた存在なのかもしれない。そう思ったが、自分の仕事に忙しい住民たちが俺に注目することなかった。通りは緩やかに左へ曲がりゴルデーヌ広場までやってきた。なんだ? 広場には明らかに普通の住民とは違う一団が整列していた。銀色のプレートアーマーを身につけた騎士や大きな盾を持った歩兵がいる。
広場の周りには見物人も多数集まっていた。俺は見物人の男に声をかけた。
「この兵士たちは何なんですか?」
「スコットランド兵さ。もうすぐノルマンディーに向かって出陣するらしいぞ」
うげっ、こいつらが王太子の言っていたフランスの同盟軍か。一歩間違ったらこいつらと一緒に出陣するはめになっていたのだ。それにしても遠路はるばるブールジュまで来たと思ったら今度はノルマンディーまで移動とは、こいつらも大変だな。
いや、待てよ……
軍隊にとって重要なものはなんだ? もちろん兵站など物資も重要だが、もっと重要なのは情報じゃないか? 効率的な移動ルート、都市の場所、距離、これらは喉から手が出るほど欲しい情報じゃないのか?
――もしかしたら売れるかもしれん、あの地図が。
しまった。地図はジャックに預けてしまった。どうするジャックを呼びにいくか? いやだめだ。呼びに行っている間にいなくなってしまうかもしれん。仕方ない――
「そこの少年!」
俺は目を輝かせて兵士を見つめている、近くにいた少年に声をかけた。年の頃は12、3歳というところか。
「何? おっさん」
めんどくさそうに少年は顔をこちらに向けた。ぐっ、確かにおっさんなのだが……
「ちょっと、君にお願いがあるのだが聞いてもらえるか?」
「何だよ、お願いって?」
「市場の近くにジャック・クールの店があるのを知ってるかい? もし知ってたらその店に行ってジャックを呼んできて欲しいんだ」
俺はなるべく優しい調子で言った。
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