第11話 大聖堂

 行き先が決まった以上、次の行動に移らないといけない。まずは、ジャック・クールの店に行き、旅についての相談をするのだ。行き先にアンジェを加えるならシノンからさらに西に向かわなければならない。大幅に移動距離が増える。ジャックは受け入れてくれるだろうか?


 旅費の問題もある。そもそも日々の生活にもお金は必要だ。追加ベッドや強いエールの代金をアイヒに払わせるつもりだったのだが、こいつはお金を持っているのだろうか? 俺の巾着袋には今のところ天使ノートしか入っていない。


「なあ、アイヒ。このミッションで使うお金はどうやって調達するんだ?」


「ああ、それね。一応初期費用としてミカエル様からいくらかもらってるわ。ただ、そのお金を使い切った後は必要な時にミカエル様に申請して認められたらもらえるの」


「俺の巾着袋には入ってないぞ、お前が持ってるのか?」


「当たり前でしょ! あんたみたいな男にお金預けたらどうせろくなことに使わないのだから、私が管理するの」


 クソッ! いきなり尻にひかれた亭主のような扱いになっている。


「お前の巾着袋を盗まれたら、ふたりとも金がなくなって困るだろ。分けて持つ方が安全だと思うぞ」


「まあ……それもそうね」


 意外にも納得したアイヒは自分の巾着袋をゴソゴソとまさぐると、ドゥニエ銀貨1枚を取り出して俺に差し出した。


「おい、子供のお小遣いじゃないぞ。これじゃパン1個しか買えねーだろ」


「うるさいわね。じゃあこれ」


 今度は、少し大きなグロ銀貨を差し出す。


「金貨をよこせ。万が一のためだ」


「金貨なんか持ってないから!」


「うるさい、銭ゲバ天使!」


 俺は無理矢理、アイヒの巾着袋に手を突っ込む。ジャラジャラと沢山の硬貨が入っている。


「ちょっと、何すんのよ!私のお金を取るんじゃない!」


 アイヒが袋を引っ込める前に何とか1枚の硬貨を奪い取ることができた。それはラッキーなことにエキュ金貨だった。


「返してよー、私の金貨、返してー」


 アイヒがぶーぶー文句を言い続けるが、無視して自分の巾着袋へ入れた。金貨があれば万が一の時にもしばらく生活できそうだ。


 外はまだ薄暗いが、まずは朝のミサに参加するために教会へ行くことにする。せっかくなのでまだ行ったことがなかった世界遺産サンテティエンヌ大聖堂カテドラルへ行くことにする。ぞろぞろと大聖堂カテドラルへ向かう市民の列に合流してゆっくりと歩いていく。


 大聖堂カテドラルとは「カトリックの高位聖職者が座る椅子(カテドラ)がある教会」のことだ。必ずしも“大きな“聖堂だったわけではない。だが見えてきたサンテティエンヌ大聖堂は、まさに大聖堂という言葉がぴったりという感じの巨大で美しい建物だった。尖塔アーチ、大きな窓、そして塔と塔を繋ぐ美しいアーチ型のはりはフライング・バットレスと呼ばれている。


「すごい……綺麗」


 食べ物にしか興味がなさそうなアイヒも言葉を失っていた。西面の扉に最後の審判を描いた巨大な彫刻がありその迫力に圧倒される。人々に続いて内部に入ると思った以上に広く、天井が高い。そしてさらに目を引いたのが色とりどりのステンドグラスだった。朝日が差し込むその荘厳な美しさに心が洗われるような気持ちになった。周りを見渡すと思わずひざまづいてしまった人々が祈りを捧げている。


 その後、礼拝堂まで移動し床にひざまづいて祈りを捧げる。ミサは市民たちの社交場という感じで知り合い同士でおしゃべりに興じたりしながら、おもいおもいに祈りを捧げていた。礼拝を終えると一旦、宿へ戻る。


 一時課と呼ばれる午前6時の鐘が鳴り食堂で朝食をとる。昨晩食べた夕食とほぼ同じメニューが出てくる。飲み物は相変わらずワインとエールだ。アルコール度数は低いものの、これでは一日中酔っ払いになるのでは? そう思ったが日本人と違いアルコールには強い体質らしくそれほど酔っぱらったかんじはしない。


 ああ、コーヒーが飲みてー。飲料としてのコーヒーは14世紀のイエメンで誕生したと言われている。15世紀にはイスラム世界に広がった。そしてヨーロッパ世界に広がったのは17世紀の前半だった。ワインやエールに代わる日常的な飲料として普及したという。コーヒーも紅茶も飲めるのはまだまだ先になりそうだ。


 食事も終わりやっとジャックの店に向かって出発だ。早起きな分朝が長い。後にシャルル7世の会計役として莫大な富を築くジャック・クールは、ジャック・クール宮殿と呼ばれる豪華な邸宅を1443年から1451年にかけて建設する。だがこれはまだ先の話で、俺たちが訪れたのはレンガ造りの小ぶりな商館だった。


「おう、レオ! 奥さんも。よく来たな」


 積荷に囲まれた部屋で、机に向かって帳簿をつけていたジャックが人懐こい笑顔をむけてくる。


「忙しいところ悪いな」


「いや、構わんよ。近頃、帳簿仕事が増えてね。なにしろ地域ごとに金や重さの単位が違ってて面倒で仕方がない。何とか統一したいもんだ」


「ああ、俺もそう思うぜ。単位の統一は経済発展の重要な要素だ」


 まわりでは商館の使用人たちがせわしなく動き回っている。毛織物、香辛料、穀物などの袋が倉庫から運び出されていく。俺、アイヒ、ジャックの3人は商談用のテーブルを囲んで座った。


「ジャック、昨日、お前が言ってたヴォークルールへの旅の話なんだが、ここブールジュからまず西のシノンへ向かいシノンから一転東へ方向を変え、トゥール、オルレアンまで行く。そこからイングランドとブルゴーニュ派の支配地域を通ってヴォークルールまで行くという行程だったよな?」


「ああそうだ。オルレアンまではシャルル陛下の支配地域だから比較的安全な旅になるだろう。たが問題はオルレアンから先、ヴォークルールまでの危険地帯だな。いつイングランド兵やブルゴーニュ派の連中に出くわすかわからねー」


「なあ、ジャック……。その行程なんだが、シノンからさらに西に向かってもらいアンジェまで行ってもらうわけにはいかないかな?」


 ジャックは俺の突然の頼みに少し眉を上げた。


「おっと、そう来たか。レオの頼みだ、わかったと言いたいところだが、行先の追加は旅全体のスケジュールに関わってくる。あと厄介なのは金の問題だ」


 やはりそうか、いくらジャックが気のいいやつでもタダで連れていってくれというのは虫が良すぎるだろう。


「わかっている。どれくらい必要なのか見積りを出してもらえれば費用は支払うつもりだ」


「すまんな、俺にもう少し余裕があればいいんだが、まだ駆け出しなもんでね」


 アイヒが持っているお金に加えて、ミカエル様に申請してもらえるお金、それだけで足りるたろうか? もしかしたら自分で調達する必要が出てくるかもしれない。


 王太子に資金調達の提案をしておきながら自分の金がないというのは、なんとも皮肉なものだ。


「レオ、アンジェにいく理由を教えてもらえるか?」


 まさか、天使ノートの指令でヨランド・ダラゴンに会いに行くとは言えない。


「アンジェにいるヨランド様がブルゴーニュ公やブルターニュ公と休戦の交渉をされていると聞いてね。何かお役に立ちたいと思ったんだ」


「おおっ! ヨランド様か。あの方はシャルル陛下をよく支えておられる。さらになかなかの戦略家だ。お会いしてお話ししてみたいものだな」


 ジャックは声を弾ませて言った。


「よし! わかった。アンジェに行くとしよう。旅費の見積もりが出たら連絡する」


 ジャックが乗り気になってくれてよかった。後はやはりマネー次第だな。

 

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