第9話 旅の計画

「つ、妻のアイヒヘルンだ」


 妻と言う言葉にちょっと照れた。


「おー、おー、うらやましいぞー。こんなキレイな奥さんもらってー、この幸せ者があ」


 急に馴れ馴れしくなったジャックが俺の背中をバンバン叩く。ジャックの妻、マセ・ド・レオデパールは浪費家だったと聞く。案外こう見えてストレスが溜まっているのかもしれない。


「ジャックさん、もっと言ってやって」


 なんなんだ、さっきまでジャックと会うなと言ってたくせに、調子のいいやつだ。


「それで、陛下とはどんな話をしたんだ?」


 ジャックは思い出したように聞いてきた。俺はアイヒの方を横目でチラっと見た。アイヒは小さくコクリとうなずいた。言ってもいいという合図だろう。


「テンプル騎士団を知っているか?」


「もちろん知っているさ! やつらは実に上手くやったよな。十字軍を守り、そして利用した」


 ジャックはシャルル王太子とは違い、テンプル騎士団に悪い印象は持っていないようだ。

 

 十字軍――異教徒から聖地イェルサレムを奪還するという目的のもとに派遣されたキリスト教勢力による遠征軍。世界史に詳しくない人でも名前くらいは聞いたことあるだろう。1096年の第一回から1270年の第八回まで続いた。


 テンプル騎士団は、第二回から参加し前衛と殿しんがりをつとめたと言う。だがテンプル騎士団が担った役目は異教徒と戦うことだけではなかった。


 遠征には膨大な費用がかかる。騎士団は費用を調達するための徴税、集めた現金の運搬、はては不足した資金の貸し出しまで行っていた。第7回十字軍でフランス王、ルイ9世をはじめ多くの兵士がイスラム教徒軍の捕虜となった。総額40万リーヴルに上る巨額の身代金を支払って王と側近たちは解放されたが、その身代金の一部はテンプル騎士団が支払った。


 各国の王は財政面でテンプル騎士団に頼るようになり、特にフランス王は丸投げ状態になっていった。フィリップ2世は自らの遺言で国王の金庫を、騎士団のフランス管区本部「タンプル」へ移すことを明文化してしまった。


「俺は、陛下にテンプル騎士団の隠し財産の話をしたんだ」


 ジャックの表情が一瞬固まったように感じた。


「何か情報を持っているのか?」


「いや、具体的には何もないんだ。だだテンプル騎士団から聖ヨハネ騎士団へ移された資産は、元々テンプル騎士団が持っていた額から考えて少なすぎると言われている」


「それだけだと根拠に乏しいな。それで陛下は何と?」


「そういったことに詳しいジャック・クールという男がいるから相談するように、と言われたよ」


 俺の答えを聞いてジャックは「ハハハハッ」と愉快そうに笑った。


「それで、そのジャック・クールに偶然出会ったというわけか、ハハハハ、こりゃ傑作だ」


「俺だって驚いてるよ。こんな偶然あるんだなって」


 偶然という言葉を使ったが、これが反作用というやつかもしれない。だとすると反作用はいい方にも働くのか? わからん。


「いやいや、神のおぼしめしというやつかもしれんぞ。それにルグラン殿の考えはなかなかいい線いってるんじゃないかな」


「信じてくれるのか?」


「すまんな。正直なところ隠し財宝の線は微妙だと思っている。でもな……もともと俺は、テンプル騎士団がやっていたこと――各地に張り巡らされたネットワークを利用した交易や金融業に興味があってね。いつか俺も同じことをやってみたいと思っていたんだ。それでまずはネットワークを作るための旅に出ようと考えていてね。その旅の間にテンプル騎士団の財宝を探すのも悪くないかもな」


「わーっ、旅するんですか? どこ? どこ行くんですか?」


 急にアイヒが割って入る。ワインで酔っぱらったのか?


「シノン、トゥール、オルレアンからヴォークルールへ行くつもりだよ」


「ヴォークルール!」


 アイヒが声を上げた。ヴォークルールはジャンヌが住んでいるドンレミ村のすぐ近くだ。その名を聞いて思わず声が出たのだろう。


「んん? ヴォークルールがどうかしたかい?」


「あ、えっ……と、前から行ってみたいなーっと思ってまして……へへ」


「ムチャクチャ遠いし、途中はずーっとイングランドとブルゴーニュ派の支配地域だぞ。奥さんももの好きだな」


 ジャックはあきれたように言った。


「クール殿がヴォークルールまで行くのは何か目的があるのか?」


「ジャックでいいぞ、堅苦しいのは苦手なんだ。あんたのこともレオと呼んでいいか?」


「ああ、もちろん」


「知っていると思うが、ロワール川より北はパリを含めてイングランドとブルゴーニュ派が支配している。ただヴォークルールだけはシャルル陛下に忠誠を誓ってくれててな、ありがたいことだよ。ただ、まわりの都市は敵側についちまってるから物資が不足しててな。俺が支援物資を届けることになったというわけさ」


「なるほどな。ついでに交易ルートも作っちまおうということだろ?」


「ハハハハ、鋭いな、レオ」


 ジャックは嬉しそうに笑った。

 

「おい、ジャック帰るぞ!」


 ジャックの連れが声をかけてきた。もしかしたら待たせていたのかもしれない。


「おおっとすまない。この続きはまた今度にしよう。ここには食事を取りに来ただけなんだ。俺の商館は市場の近くにあるからぜひ寄ってくれ、じゃあな、レオ、奥さん」   


 そう言い残して、ジャックは連れと一緒に食堂を出ていった。俺とアイヒは残りの食事を済ませてから部屋に戻った。


「ジャックさん、いい人じゃない? あんたみたいにひねくれてないし」


「お世辞にホイホイのせられてんじゃねーよ。反作用はいいのかよ?」


「うっ……、それは困るわ。何とかしなさいよ」


 もしジャックの旅に同行させてもらえれば非常に都合がいい。俺とアイヒだけで旅をするのは正直不安だ。この時代の旅は現在の旅とは比べ物にならないくらい危険だ。商人として旅慣れているジャックと一緒に旅ができるのはとても心強い。それにジャックはテンプル騎士団の隠し財産を探すのを手伝ってくれるかもしれない。


 そしてもっとも魅力的なのは旅の目的地がヴォークルールだという点だ。ヴォークルールからジャンヌの住むドンレミ村まで10kmしかない。まさに一石二鳥なのだ。ここで俺は天使ノートのことを思い出した。

巾着袋から取り出して最新のページを開いてみる。


『シャルル王太子のメールに会え』


 これだけ? シャルル王太子のお母さんって、まさか……


「おい、アイヒ。これを見ろ」


「これって……。イザボー・ド・バヴィエールに会えってこと?」


 フランスには『この国は一人の女によって滅び、一人の乙女によって救われる』という伝説がある。当時の人々はこのフランスを滅ぼす女こそ、シャルル王太子の母、イザボー・ド・バヴィエールだと思っていたようだ。


 ところで歴史上の悪女と聞いて誰を連想するだろうか? 『パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない』でおなじみのフランス王ルイ16世妃、マリー・アントワネットだろうか?それとも、嫉妬に狂い、夫の側室の四肢を切り落とし、目をえぐった上に便所に放り込んで「人豚」と呼んで見せ物にした、中国、漢の高祖劉邦の皇后である、呂雉りょちだろうか? はたまた『血の伯爵夫人』の異名を持ち、24年間に700名近くの若い娘を殺害、『鉄の処女』と呼ばれる器具を使った残酷な拷問でも有名なハンガリー王国の貴族、エリザベート・バートリーか?


 イザボーは残虐行為を行ったわけではないのだが、この時代のフランス民衆にとっては紛れもなく『悪女』だった。

 


 


 


 

 

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