第8話 心はいつも地中海だぜ!

 もしかしてシャルル王太子が俺をノルマンディーへ送ろうとしたのも反作用なのか?俺を排除しようとしたのか?


 余計なことするなって言っても俺は未来の歴史知ってんだから危険は避けるよな。まあいい、要するにミッションに関わること以外はなるべくするなってことだろう。


「それで、ジャックには会うの?」


 アイヒが答えは決まってるでしょ、と言わんばかりの口調で聞いてくる。


「わかったよ。ジャックに会うのはまた今度にしとくよ。王太子には会いに行ったけど不在で会えなかったと言っとくか」


「よろしい。ききわけがいいわね」


「で、王太子の館でした話なんだが……」


「あんたはノルマンディーへ行きたくなかったのよね。それでテンプル騎士団とサン・ジョルジョの話をもちだしたんでしょ」


「ああ、そうだ。だけど俺が持っている未来の知識をおまえに言わないほうがいいんだろ」


「うーん、そうねー」


 アイヒは考えるように首をひねった。


「私が知ってることならいいんじゃないかな? 私も1431年から7年間時を戻ってるんだから、その7年間にあったことなら知っていてもおかしくないんだし」


「じゃ聞くが、ヴェルヌイユって地名聞いたことあるか?」


「……知らない」


「テンプル騎士団は知ってるのか?」


「バカにしないでよ! アーサー王とてんぷるの騎士でしょ。聖杯を探すのよね」


「それ、円卓えんたくの騎士な。ん、しかあってないぞ」


「うそっ!」


 サン・ジョルジョは聞くだけムダだろう。まあ、ヴェルヌイユとサン・ジョルジョは現代人でも知らない人の方が多いだろう。だが、俺の前にいる天使はそんなレベルじゃない気がする。反作用がどのくらいヤバいのかわからない以上、うかつに話すことはできない。くそっ! うまく出来てやがる。


「まずは目の前の大問題を片付けましょう」


 真剣な表情になったアイヒが言った。


「大問題?」


「とぼけないで! この部屋にベッドがひとつしかないという問題よ」


「夫婦なんだから、一緒に寝るか?」


 みるみる顔が赤くなっていくアイヒ。ガタンと座っている椅子を後ろに引いて倒れそうになっている。


「ちょちょちょっと! だだだだめに決まってるでしょ! 不潔、不潔よ。そうだペリエルに手紙を書くわ。エロ男に電撃を喰らわしてってね!」


 うろたえる天使を部屋に残して、俺は宿の主人のところへ行ってベッドをひとつ増やしてもらうよう交渉した。追加料金を払うということで、移動用の車がついた簡素なベッドを部屋に入れてもらえた。料金はアイヒに払わせよう。


 主人によると夕食は晩課の鐘がなったら、つまり18時ごろだそうだ。中世ヨーロッパでは昼食が正餐せいさんと言われ一番豪華だったようだ。逆に朝食と夕食は軽い食事をとった。アイヒの指示でベッドをなるべく離して配置するのに手間取り、気が付くと夕食の時間になっていた。俺とアイヒは2階の食堂へ降りていく。


 食堂にはすでに何名かの先客がいてガヤガヤと騒がしい。長いテーブルがいくつかあり、好きな場所に座っていいらしい。貴族用の宿なので市場にある居酒屋に比べればまだ静かな方だ。俺とアイヒはトラブルを避けるためテーブルの端っこに目立たないようにして座った。客ひとりひとりに皿はなく、薄く焼いたパンの切れ端を皿として使っている。


 やがて、牛の塩漬け肉と豚のソーセージが大皿で運ばれてきた。客はそれを自分のナイフで切り取ると指でつまんで食べている。赤ワインは大きな壺に入れられて木製のカップに注がれる。白パンと黒パンもあった。ルグランとしての記憶もあるので食事の作法に戸惑うことはないが、手づかみに少し抵抗があるのは仕方がない。


 試しに持っているナイフでアイヒに肉を切り分けてパン皿へおいてやる。アイヒはそれを指でつまんでムシャムシャ食べやがった。


「おいし〜い」


 赤ワインに白パンを浸してほおばる天使を俺はまじまじと見つめる。


「食べないの? 肉食べられちゃうわよ。早い者勝ちなんだから。さあ、肉をどんどん切ってちょーだい!」


 その後、俺は何度も肉を切り取るハメになった。アイヒ、大罪を犯しているぞお前は。


 しばらくすると、同じテーブルの少し離れた場所に座っている若い男が、近くにいる別の客と話しているのが聞こえてきた。


「心はいつも地中海だぜ!」


 何だ? どこかで聞いたようなセリフだ。『心はいつも太平洋ぜよ!』は坂本龍馬だったな。


「俺はまずブルッヘ(ベルギーの都市ブルージュ)に行く。それからロンドン、マルセイユ、ジェノバ。いずれは異教徒の国へ行くつもりだ」


「ブルッヘで何をするんだ? あそこはブルゴーニュ公の所領だぞ」



「まずは金を貸す。イタリアのルッカ、ジェノバ、フィレンツェから来た銀行家ばかりにいい思いさせたくねーんだよ」


 ここで男は小声になった。キリスト教世界では金貸しは忌み嫌われているからだろう。だが俺は思わず聞き耳をたたてしまう。イタリア、銀行家という言葉が聞こえて来たからだ。


「おっ、始まったぞ! ジャックのほら話が」


 ジャック! ジャックって言ったか? まさか……。


「ばかやろう、ほらじゃねーぞ。俺は中東レヴァントに行く」


 そう言うと男は席を立ってよろよろとこちらへ歩いてくる。どうやらレヴァントではなくトイレに行くようだ。ちょうど俺の座っている後まできた時、男は何かにつまずいて倒れ込んできた。


「うわーっ!」


 俺と男は重なり合って床に倒れる。ガチャーン、椅子が倒れ大きな音が響いた。


「ちょっと、大丈夫?」


 アイヒが男の下敷きになっている俺に声をかけた。


「大丈夫じゃない、早くどかしてくれ」


 アイヒと近くにいた客の手助けで俺と男は立ち上がることができた。


「すまない。ケガはないか」


 背中や肩が少し痛むがどうやらケガはしてないようなので、「ああ、なんとかな」と答えた。


「あらためて、名乗らせてもらおう。俺はジャック・クールだ。聖職者の資格も持っているが商売もやっている」


 これが反作用というやつだろうか? 会いに行かないと決めたはずのジャック・クールが向こうからやって来た。ジャックは1395年にここブールジュで生まれたとされている。だとすると今29歳ということか。俺はジャックの姿をまじまじと見た。プールポワンの上着とタイツの組み合わせは俺と同じだ。ボネと呼ばれる被り物の上からさらに羽根がついた帽子を被っている。がっしりとした体格に日焼けした肌が爽やかな好青年に見えた。


 ジャックは、人なつこい青い瞳を俺に向けている。


「俺は、レオ・ルグラン。に仕えている」


 シャルル王太子の父親、先代の王、シャルル6世は今から2年前に死去した。次の王位を争っているイングランドとフランスがそれぞれ、ヘンリー6世、シャルル7世をたててフランス王位継承を宣言した。だが、どちらも正式な戴冠式を行なっておらず宙ぶらりんの状態だ。もちろん俺はシャルル7世となることを宣言した王太子に仕えているので、ここではシャルル王と呼んでいる。


「おおっ! そうか、そうか。我らが王のために働いているのだな。俺もいずれ王に仕えるつもりだぞ」


 うれしそうに言ってからジャックはガハハと笑った。どうやら悪いやつではなさそうだ。


「今日、陛下に会ったのだが、あんたの話が出てな」


 そう言った瞬間、背中の肉がギューッとつねられた。


「いててててっ!」


 慌てて振り向くとアイヒが怖い顔で俺をにらみつけていた。


「反作用おこるからっ! 怖いんだからっ!」


 俺の耳元に口を寄せて小声で言ってくる。


「おや、そちらの美しいご婦人は君のお妃か?」


 俺たちのコソコソ話に気がついたのか、つかなかったのかジャックが尋ねてきた。


「いやー、美しいだなんてー、それほどでも〜、ウフフッ」


 俺が答える前にダメ天使のうれしそうな声が耳に響いてくる。

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