第7話 ジャック・クール

 俺の前世における勤め先は投資銀行だ。ある意味もっとも資本主義的な仕事なのかもしれない。企業が投資家から効率的に金融資本を調達する手助けをしている。ちょっと難しい言い方だったかもしれないな。要は自分のお金を使って儲けたい人とお金を借りて商売をしたい会社の間を取り持ってうまくお金が回るようにする仕事だ。


 だからジャック・クールの名前は知っていたし、どんなやつか会って話をしてみたい。王太子からジャックの名前が出た時は、本当はすごくドキドキしていたのだ。


 シャルル王太子とマリー妃に別れを告げて、彼らの居城を後にした。教会の午後3時を知らせる鐘が少し前に鳴ったので今は午後4時くらいなのだろう。


「で、今日はどこに泊まればいいんだ?」


「ちょっと待ってよ。今、天使ノートで確認するから」


 アイヒがノートをペラペラめくって次の指示を探す。


「えっとー、市場の近くに貴族用の宿屋があって次の指示があるまで泊まれるんだって。地図も載ってるわ」


「へー、ミカエル様はすげえ親切なんだな」


「へへ、まあね」


「何でお前が偉そうにしてるんだよ」


 えっへんと腰に手をあてるアイヒにあきれながら宿屋へ向かう。宿屋は貴族向けだけあって綺麗で設備もととのっていた。


 ただ、問題がひとつあった。俺とアイヒは当然のように相部屋でベッドもひとつしかなかったのだ。


「ちょっと! 冗談よしてよね。あんたみたいなケダモノと寝るなんてゴメンよ! あんた、1階の厩舎で寝なさいよ」


「なんだと、誰がケダモノだよ! なんで俺が馬といっしょに寝ないといけないんだよ」


 売り言葉に買い言葉というやつで言い合いになってしまった。


「それにね、あんたには言いたいことがあるんだからね」


 アイヒはエナン帽をおもむろに脱いでテーブルに置いた。中から金色のお団子ヘアーが出てくる。そうか中はそうなっていたのか。


「何だよ、言いたいことって?」


「王太子のところで、あんたが話てたことについてよ。テンプル騎士団とあと、何だっけ? サン……ジョ……ジョルジョル?」


「サン・ジョルジョだ」


「そうそれよ、それ。ジャンヌと全然関係ないじゃない。ていうか、ジャンヌからどんどん離れていくんですけどっ! まだあるわよ。王太子が言ってたあんたの同類男、ジャック。まさかその男と会うつもり?」


「ああ、会うつもりだよ。興味あるんでね」


 アイヒの透明な青い瞳が大きく見開かれてギラリと光を放った。形の良い眉も吊り上がっている。


「私たちが会わないといけないのは、ジャンヌなの! わかる? ジャックじゃなくて、じゃ・ん・ぬ」


「仕方ねーだろ。あのまま王太子の言いなりになったら俺はヴェルヌイユで死ぬかもしれんのだぞ」


「訳わかんなーい。何であんたに先のことがわかんの? 預言者なの?」


 ここに来て俺の中にある疑念が生じた。なんか変だ。話が噛み合ってない。まさか……


「おい、アイヒ。その椅子に座れ」


 俺は努めて冷静な声で言った。アイヒが着ている長丈のチュニックはとても座りにくそうだ。俺は座りやすいように椅子を引いてやった。


「な、なによ。気がきくじゃない」


 王太子の館では使用人が着席の手伝いをしていたので多分大変なんだろうとわかっていた。この時代の女性はかなり大変そうだ。俺の手伝いもあって何とか椅子に座ったアイヒは少し冷静さを取り戻していた。


「ありがとう……」


 少し恥ずかしそうにボソリと言った。


「なあ、アイヒ。お前は俺がいつの時代から来たと思っているんだ?」


「いつって、1400年ごろの日本からきたんでしょ?」


 やっぱりそうか。今、俺たちは1424年のフランスにいる。日本は今、室町時代だ。1392年、3代将軍の義満が南北朝を統一し、南北朝時代が終了。今は室町幕府が最も安定していた時期だったはずだ。


「いいか、よく聞け! 俺が来たのは20XX年の日本からだ」


「あーそうなんだー。20XX年ねー……」


 そう言ったあとアイヒの目はまんまるに、口はあんぐりとなった。


「う、う、うっ、うそおおおおおーっ、にににっ、にせん、にせんXXねんんんんっー!」


 天使ノートを狂ったようにめくるダメ天使。


「だめだめだめだめぇー、歴史がー、歴史がぁー変わるー」


 グビをぶんぶん左右に振るダメ天使。


「はあーっ、はあーっ」


 俺はアイヒに水でも飲ませてやろうと思ったが、この時代、すぐに飲める水などないのであきらめた。あとで庶民が飲むエールでも飲ませてやろう。


「なんか、マズい状況なのか?」


「マズいわ。本来は転生する年よりも前に死んだ人間しか、審判の部屋に来ないはずなの。まあ多少前後して10年ぐらいの誤差はあるんだけど。20XX年って何百年先なのよ。そんな先の人間を転生させちゃったら未来のことがわかってしまうじゃない。最悪、歴史が変わっちゃう。それは世界のことわりを変える重大な違反なの」


「そんな大変なことなら、何で転生させる前に確認しなかったんだよ?」


「だって、あんた酔っ払いだったし、審判の部屋に時空をさかのぼって人間が来るなんて想定してないの。想定外なの、ありえないのー」


 あー、想定外ね。大体の失敗は想定外から起こる。金融危機が起こるのも想定外だったし、ペットボトルからこぼれた水に足を滑らせてすっ転んだのも想定外だったさ。


「で、どうするんだ? ミッション。やめちまうか」


「それはいや! そうだ、ペリエルに相談するわ」


 アイヒは天使ノートの白紙ページを指でなぞった。するとなぞった部分に文字が浮かび上がる。最後にページを破り取るとクシャクシャと丸める。丸めた紙に息を吹きかけると光となって消えてしまった。


「何なんだそれは?」


「ペリエルに手紙を送ったの」


 なんかわからんが、メールみたいなものか?


「返事はすぐ来んのか?」


「わからない。でもペリエルなら、きっと何とかしてくれるはずよ」


「確かに誰かさんと違って優秀みたいだからな」


 アイヒはこちらをきっとにらみつける。


「違って、じゃなくて、同じくでしょ」


 俺は肩をすくめて「ちょっと2階の食堂へ行っている」と言い部屋をでた。食堂にいた宿の従業員から木のカップにエールを入れてもらい部屋へ戻ってきた。アイヒはぼーっとした顔で椅子に座っていた。俺が未来人だったことがショックだったのだろう。


「まあ、エールでも飲んで一息つけよ」


 そう言って木のカップを手渡す。


「……ありがとう」


 受け取ったアイヒはエールをごくりと飲んだ。俺も一口飲んでみる。うわっ! まずっ。酸っぱいしなんかいろいろなものが入ってそうだ。前世で俺が飲んでいた、のどごし爽やかなビールとは比べるまでもない。この時代、生水は非常に汚く危険なものとされており、実際その通りなので水分を取るにはワインやエール、蜂蜜酒といった酒を飲むことが多い。


 あー、お茶が飲みてー。ペットボトルのお茶がいつでも飲める現代の生活がいかに便利か思い知った。ちなみに西欧にお茶を伝えたのは、オランダの東インド会社で1610年のことだ。あと200年弱待たないといけない。


 エールをちびちび飲みながら待っていると、部屋の中で光の粒子がパーッと集まってきた。アイヒがそれをてのひらで包む。再び手を開くと丸まった紙が出てきた。アイヒは紙をひろげると食い入るように読んだ。読み終わると俺に渡してきたので読むことにする。


『アイヒちゃん、手紙読んだわ。安心して。ミカエル様にも報告したんだけど、今回は一時的なシステムの不具合だったみたいだし、私たちの責任じゃないからそのままミッション続けていいって。でもね、ひとつだけ気をつけて欲しいの。未来から転生した馬上さん(レオ・ルグラン)が行動すればするほど反作用が起こるらしいの。なるべく余計なことしないでね』


 何だよ、反作用って。安心できねーだろ!

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