第3話 ミカエルのミッション
女の反応は俺の想像していたものとは違っていた。
「うっ、酒臭い。魂だけでも匂うわ」
向かって右側にいる背の高い方の女が眉をひそめながら言った。肩まである赤毛の入った金髪が緩やかなウェーブを描いている。透明な青色の瞳は冷たい光を放っていた。
「あらあら、酔っ払いさんなんですね」
左側の女の声音は優しい。背は右側の女より少し低く、ブリュネット(栗色)の髪を後ろでまとめている。やや垂れ目で琥珀色の瞳だった。おそらく性格的に対照的なふたりなのだろう。
「残念だけど、パーティじゃないから」
背の高い金髪女が言う。
「悪いけど、あんたは死んだの」
俺が死んだ……。だんだんと記憶が蘇ってくる。そうだキッチンでこぼした水に足を滑らせ転んだ。だがそれくらいで死ぬか? いやいやいや、俺が死んだというならここはどこだ? この女どもは誰なんだ? そうだ夢だ。これは夢に違いない。
「ちょっとアイヒちゃん! 言い方良くないよ、もう」
背の低い方の女がたしなめるように言った。どうせ夢なら少し付き合ってやるか。ふたりともムチャクチャ美人だし。ある意味ご褒美なのかもしれない。
「それで、俺が死んだって言うなら、ここはどこなんだ? それにお前たちは何者だ? コスプレのねーちゃん」
もちろん普段は女にこんな口のきき方はしない。すぐにセクハラで訴えられるだろう。
「ねーちゃん? コスプレ? 訳の分からないこと言ってんじゃないわよ。ここは審判の部屋。死んだ人間の魂が一時的に来る場所よ。それから私たちは、ミカエル様に使える天使よ」
「天使? 天使がそんな口のきき方していいのか? そのミカエル様っていう人に言いつけるぞ」
「ちょっと、ちょっとふたりとも。ケンカしてる場合じゃないでしょ。これからふたりで協力してミッションをこなすんだから」
険悪な雰囲気になっている俺と金髪女をなだめようとする栗毛の女。だが、女の言葉が引っかかった。協力してミッションをこなす、そう言ったのか?
「ちょっと待て、栗毛のねーちゃん。ミッションって何だ?」
「くりげ? ねーちゃん?」
女は目を
「私の名前はペリエル。中級天使よ。あなたのお名前は?」
おかしい、夢にしては話の流れが自然すぎる。試しにほおを思いっきりつねってみる。痛い! これは現実だ。
「馬上渓太(うまがみ けいた)だ。普通の日本人だよ」
ペリエルと名乗った女が金髪女の方を向いた。おそらく、あなたも名乗りなさいという意味だろう。女が渋々という感じで口を開く。
「私はアイヒへルン。下級天使よ」
「天使って、本当にいるのかよ。信じられん」
天使です。あーそうですかと信じるほど俺はピュアじゃない。
「アイヒちゃん、見せてあげよう」
とペリエルがアイヒへルンに言った。アイヒヘルンは無言でうなずく。
バサッ、バサッ
鳥の羽ばたくような音がした。俺は目の前の光景に唖然とする。ふたりの女の背中に大きく美しい羽が広がっている。そのままふたりは宙へ浮かび上がった。さらに今まで見えなかった光の輪がふたりの頭上で輝き出した。まぶしい! クソッ、これは本物だ。さすがの俺も信じるしかない。
「電撃もあげようか? まだ信じられないなら」
俺を見下ろしながら、アイヒヘルンが冷たく言い放った。
「いや……電撃は遠慮しとく」
天使のふたりが床に降り立ち、ようやく落ち着いて話をする雰囲気になった。
「ほら、立ってるのもなんだから座ったら」
ペリエルに言われて俺とアイヒヘルンはテーブル越しに向かい合って座る。椅子は二脚しかなかったが、ペリエルがパチンと指を鳴らすともう一脚椅子が現れて彼女はその椅子に座った。便利なもんだ。
「そうそう、ミッションの話だったわよね。アイヒちゃん、あなたから説明してあげて」
アイヒヘルンは、途中、ペリエルから「もっとわかりやすく」とか「それじゃわからないでしょ」などと言われつつこれまでの経緯と与えられたミッションについて俺に説明してくれた。一言でいうと俺とアイヒヘルンのふたりで火刑にされるジャンヌダルクを救うということだった。
もちろん学校で一通り世界史は勉強していたし、ゲームやアニメでジャンヌ・ダルクは非常に多く取り上げられてきた人物だ。さらに俺は資金運用で利益を上げるために金融や経済の勉強を積んできた。並の人間よりは経済や金融の歴史に詳しい自負があった。
「ひとつ聞いていいか?」
ふたりが何? という顔をした。
「なんで俺なんだ?」
「審判の部屋に現れる魂はランダムに選ばれると聞いてるわ。だってそうじゃないと不公平だから」
アイヒヘルンが答えるが納得がいく答えではなかった。つまり運ということか。
「もうひとつ、そのミッションを受けて俺になんの得があるんだ? そもそも断れるのか?」
「あんたねえ、ミカエル様のミッションに選ばれたんだから光栄に思いなさいよ。断ったら地獄行きよ! じ・ご・く・い・き」
アイヒヘルンが軽蔑の眼差しを向けてくる。いけすかない女だ。
「アイヒちゃん! いい加減なこと言ったらダメでしょう。
そうか、それなら金融危機が起こる直前まで戻ってうまく切り抜けることが出来るかもしれない。悪くない話だ。
「わかった、やるよ」
「よかった、それじゃあ準備に入るわね」
ペリエルは、ほっとした表情を浮かべると部屋の床に魔法陣を描き始めた。
「細かいことはこの天使ノートにまとめてあるから、ちゃんと読んでね」
渡された天使ノートは俺の時代にあるノートに近いもので今回のミッションについて文字や図で説明が記載されているらしい。だが文字はフランス語で書かれたいた。
「おい、これじゃ読めないぞ。そもそも俺とお前たちは何語で話しているんだ?」
「大丈夫よ。あなたはフランス人の貴族に転生するんだから母国語のフランス語はちゃんと読めるわ。それからここ天界には言語という概念がないの。口から言葉を発しているつもりでもみんなが直接心に語りかけてるのよ。だから誰でも意思疎通がとれるというわけ」
何だか都合のいい話のような気がするが、ここは神の世界なのだ。それぐらいのことはあるのだろう。そういえばさっきからアイヒヘルンが静かだ。様子を伺うと青い顔をして何かブツブツとつぶやいている。
「おい、アイヒヘルン。何してんだ?」
「アイヒでいいわ。長いから。天使ノートの『安全な旅をするための注意点』を読んでるのよ」
フランス語で書かれているので俺は読めないが、どうやら海外旅行ガイドによく載っている『治安上の注意点』を必死で読んでいるらしい。
「なんだ、怖いのか?」
「当たり前でしょ! 私に人間になるの初めてなんだから。それにあんた頼りなさそうだし。不安しかないの」
ひどい言われようだ。だが、不安そうな横顔には普通の少女のようなあどけなさがあった。天使といえどもまだ若い少女なのだ。大目に見てやろう。
「さあ、準備ができたわ。ふたりとも魔法陣の中に入って」
俺とアイヒが魔法陣の中に入ったのを確認するとペリエルが両手を広げて叫んだ。
「時間と空間の門よ開け!」
俺の足元からぐるぐると雲の渦が湧き上がってくる。足元にあった床の感触がなくなると少しずつ体が沈んでいくのを感じた。足元を見ると光のトンネルが遥か下まで繋がっているのが見えた。正直、ちょっと怖い。
「落ちるよー、はわわわー、いやー!」
隣にいるアイヒがぎゃあぎゃあと騒いでうるさい。こんなんで本当にジャンヌ・ダルクを救えるのだろうか? そう思いながら俺は光のトンネルを落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます