第2話 審判の部屋

 私がどう答えていいのか分からず黙っていると、ミカエル様は話を続ける。


「そこでだ。お前にもう一度チャンスをやろう。7年前に戻ってもう一度やり直すのだ。ただし、天使としてではなく人間としてね」


 頭が真っ白になる。天使としてではなく人間としてですって? 意味が分からない。ただひとつ分かったのは、ミカエル様がとても怒っているということだ。


「あっ……それは……そのどういう」


 もごもごと質問しようとするがうまく言葉が出てこない。


「お前にはもうひとつの使命も与えよう。まもなく審判の部屋に若くして死んだ人間の魂がやってくる。その人間を転生させてお前の協力者としよう。ふたりで協力して今度こそジャンヌを救うのだ」


 言い終わるとミカエル様は再び机に視線を落とした。話は終わったのだ。部屋を出ると扉の外で中級天使のペリエルが待っていた。


「災難だったわね、アイヒちゃん」


 ペリエルは中級天使で私より位が上の天使なのだが、自分より下の位の天使にも決して偉ぶることがなく、その上とても優しく接してくれるお姉さんのような存在だ。


「はい、怖かったです」


 素直に弱音を吐いてしまった。ペリエルは私の肩に手を置いて、うんうんとうなずく。


「ミカエル様から詳しい説明をするようにって言われててね。まずは審判の部屋に行こうか」


 ペリエルと共に審判の部屋への通路を歩きながら話をする。審判の部屋というのは天使である我々が死者の魂と接触するために造られた部屋だ。魂が天国や煉獄へいく前に立ち寄らせることができる。この部屋にくるのは基本的に悪人以外で、悪人はそのまま地獄へ直行する。


 ペリエルの話によると今回、私に与えられたミッションは、7年前つまりジャンヌに初めて『声』をかけた時まで戻り、人間の姿で地上に降り立つ。その際天使としての特殊能力はごく一部を残して全て失ってしまうのだという。その上でジャンヌをサポートして火刑となる運命を回避させるのが目的だった。


 さらにミッションを複雑にしているのが、若くして死んだ人間を転生させてふたりで協力しながらミッションを進めなければならないという点だった。


「一体なんで人間と協力しなければならないのでしょうか?」


 私はペリエルに聞いてみた。


「なんででしょうねえ? 私にも分からないわ。でもミカエル様のことだからきっと何かお考えがあるんじゃないかしら」


 ペリエルが首を傾げる姿はとても可愛らしかった。長い通路を歩き続けて大きな金属製の扉に突き当たった。私たちが近づくと重い金属音を響かせながらゆっくりと扉が開く。


 そこは何もない真っ白な部屋だった。前にも何度か来たことがあるので驚きはしないが、それにしても白くて目がチカチカする。さらにお城の広間ぐらいの広さがあって落ち着かないのだった。部屋の中央にこれまた白いテーブルとふたつの椅子がテーブルを挟んで置いてある。


 テーブルの近くまで歩いていく。照明もないのに部屋は明るく照らされておりお互いの顔がはっきりと見えた。


「さあ、待ちましょうか。人間の魂が現れるまで」


 そう言ってペリエルは微笑む。


 やがてテーブルから少し離れた床に白い煙の渦がぐるぐると回り始めた。渦の底からゴーッと地鳴りのような音が聞こえてくる。胸の鼓動が早くなり手のひらに汗がにじんできた。床から人間の体がせり上がってくる。頭、首、胴体と順番に姿を表す。一体どんな人間なのだろう? 役に立つ人間ならいいのだけれど……期待と不安が入り混じった気持ちを抱きながら私はその光景を眺めていた。




 ※※※※※※※※※※※※※※※※※


 20XX年、世界を再び金融危機が襲った。すごい勢いで株式、不動産が値下がりしていき機関投資家(顧客から預かった資金を運用・管理する大口の投資家、生命保険会社、信託銀行、年金基金など)、個人投資家の区別なく大きな損失をこうむった。


 俺が運用していたファンドも例外ではなく巨額の損失が発生している。俺は自宅マンションのソファーにぐったりと腰掛けていた。目の前のテーブルにはアルコール度数の高いウイスキーの瓶とグラスが置かれている。ひどく疲れていた。グラスにウイスキーを注ぐと一気に流し込む。喉に焼けるような痛みがはしり思わず咳き込んでしまった。


 今年26歳になる俺の職業はヘッジファンドのファンドマネージャーだ。日本の大学を卒業した後、夢だったアメリカの投資銀行に就職した。歩合制のセールスで実績を上げ高額のボーナスをもらいながら資金を貯めた。次のステップとしてみずからの資金を担保に銀行から借入れを行い、その資金でヘッジファンドを立ち上げたのだ。


 資産家への営業を必死にやりファンドへ出資してもらうことによって徐々に規模を拡大していった。今思えばバブルだったのかもしれない。世界経済は好調で投資した株式、不動産などあらゆる資産が値上がりしていた。当然、俺のファンドも高いパフォーマンスをたたき出し、高額の報酬を手に入れた。


 それなのにどうしてこうなった?


 もちろん、小さな値下がりはたびたびあった。その度にうまく切り抜けていた俺は調子に乗りすぎたのかもしれない。今回もどんどん下がっていく株式や不動産の値段を見ても、すぐに元に戻るだろうと楽観的に考えていた。だが値下がりが止まることはなかった。


 不安になった俺の顧客はファンドを解約して資金の返却を求めてきた。顧客へ返す資金を捻出するために無理やり保有している株式、債券などを安値で売却せねばならず、そのことでさらに損失が拡大していった。いまや完全に負のスパイラルに陥っている。俺のファンドが破綻する前に貸した資金を回収しようと銀行は融資した資金の返却を求めてきている。


 このままでは間違いなく破産だ。もっと早くに売り抜けることが出来たはずだ。後悔の気持ちだけがグルグルと頭を回っている。壁にかかった時計を見る、夜中の2時半だった。明日の朝もマーケットのチェックを行わなければならない。ベッドで少し横にならなければ……そう思いソファーからノロノロと立ち上がった。


 酒の飲み過ぎだろう頭がガンガンと痛む、胃がムカムカとして吐き気もしてきた。水が飲みたい。よろよろとした足取りでキッチンへ向かう。なんとか冷蔵庫まで辿り着きミネラルウォーターのペットボトルを取り出してゴクゴクと飲んだ。半分ほど飲んで蓋を閉めようとしたが手が滑ってペットボトルを床に落としてしまった。


 流れ出した水がキッチンの床に水溜りを作っていく。あわててペットボトルを拾おうと一歩踏み出した時だった、濡れた床で足が滑った。


「あっ……」


 グルリと視界が回転する。自分の体がスローモーションのように後ろへ倒れていくのがわかったが、酔いがひどいせいか全く反応できない。次の瞬間、目の前が真っ暗になりそれきり何もわからなくなった。




 まぶた越しに光を感じる。俺はゆっくりと目を開けた。真っ白い壁が視界に入る。あれっ、確か自宅マンションにいたはずだが……俺がいるのは天井も壁も白いただっぴろい部屋だった。よく見ると俺の立っている左側に白いテーブルと椅子があり、そのそばにふたりの女が立ってこちらを見ている。白いガウンのようなゆったりとした服を身につけ、顔立ちからして西洋人ぽい。


 まあ、ここはニューヨークなんだから当たり前だ。そうか、仮装パーティーに参加していたのかもしれない。酔っ払いすぎて一時的に記憶を無くしたのだ。


「ああ、ゴメン。少し酔っ払いすぎちゃったよ。えっと……ここ何のパーティだっけ?」


 俺は言い訳まじりに声をかけた。

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