お金の力で聖女ジャンヌ・ダルクを救うのは邪道なのか?

おあしす

第1部 フランス編

第1話 乙女の火刑

 1431年5月30日水曜日、フランス北部の都市ルーアン。ヴィユ・マルシェ広場に設置された火刑台を、私は遥か雲の上から見下ろしていた。7年前初めて私の声を聞いた少女は、私の言葉を信じ自らの信念のもとに行動を起こした。イングランド軍に包囲されたオルレアンの町を解放したときは本当に驚いた。ランスで行われたシャルル7世の戴冠式で旗をもって立つ姿には思わず涙ぐんでしまった。


 それなのになぜこんなことになったのだろう?

 


 白い服に身を包んだ「乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル」にボーヴェー司教のピエール・コーションが死刑判決を言い渡す。ジャンヌの青い瞳に恐怖と怒りの色が浮かぶ。


「司教様! あなたがわたしを正当に取り扱ってくれれば私は死ぬことはなかったのです! 教会の牢に入れ見張りをつけてくだされば男の服を着ることもなかったでしょう」


コーションは鼻で笑う。

 

「お前は罪を認めて悔い改めると約束した。だが再び男の服を着ることで約束を破ったのだ。恐るべき異端者となったのだ。おとなしく罰を受けるがよい」


「ああ、イエス様!ミカエル様! どうか私をお救いください」


 ジャンヌの悲痛な叫びが私の耳にまとわりつく。『異端者』と書かれた紙帽子を被らされ火刑台の柱に縛り付けられる様子を夢でも見ているようにただ見守るしかない。イングランド兵がジャンヌの足元に薪を並べる。


 ジャンヌをここまで追い詰めたのはいったい誰だろう?


 異端裁判の首謀者であるボーヴェー司教、ピエール・コーションか?


 それともジャンヌをコンピエーニュで捕らえ、イングランドへ引き渡したジャン・ド・リュクサンブールか?


 いや、囚われたジャンヌを見捨てたシャルル7世だってひどいと思う。


 私は自分に問いかける。


 7年前、ドンレミ村の平凡な娘に「フランスを救え」と告げた私は?


 私がジャンヌを救国の英雄にまつり上げたんじゃないか?


 火刑台に火が放たれた。ジャンヌが苦痛の叫びをあげる。もうもうと立ち登る黒い煙が少女の姿を覆っていった――


 


 ――どれくらい時間が経っただろう? 私は自分を呼ぶ声で我に返った。


「アイヒへルン様、ミカエル様がお呼びです」


 使いの天使が私を呼びに来たのだ。


 いやな予感がする。


 大天使ミカエル様に使える下級天使(女性)の私は、忙しいミカエル様の代理として人間を導く役目を担っている。


 そうだ……7年前も今日と同じようにミカエル様に呼び出されたのだった。その時の記憶が蘇ってくる――あの日、呼び出しに応じてミカエル様の部屋に行くと、彼は机に向かって書類を作成中だった。


「アイヒへルンです、御用でしょうか?」


 ミカエル様は机から視線をあげてこちらをチラッと見た。


「急に呼び出して悪いな。お前に仕事を頼みたくてな」


「はい……どのような?」


「フランス北東部にヴォークルールという城塞がある。その城塞のさらに南10キロメートルの地点にドンレミという小さな村があってな、その村にいるジャンヌという娘を『声』で導いてほしいのだ」


 ドンレミ? 聞いたことがない地名だった。確かにミカエル様の手をわずらわすほどではない小さな仕事っぽい。それにそのジャンヌという娘もわずかな可能性に賭けて声をかける大勢の中の1人に過ぎないのだろう。


 正直、気乗りしない仕事だった。だってそうだろう、ミカエル様のお告げはもっとスケールが大きいのだ。例えばフランス、ノンマンディー地方の海岸にあるモン・サン−ミシェルという修道院はミカエル様のお告げで造られた。それが今やイングランド軍からフランスを守る要塞となっている。


 十字軍だってそうだ。ミカエル様は守護天使として兵士の心の支えになっていた。ただ7回目の十字軍でルイ9世が捕虜になっちゃった時にはとっても焦っていたけど。


 ミカエル様の説明によるとジャンヌはとても聡明で信心深い娘らしい。その娘に窮地のフランスを救うようお告げを与えよ、とのことだった。お告げを与えると言っても天界にいながら遥か遠方にいるジャンヌの心に語りかければいいというお手軽仕事ではない。まずは現地へ行ってジャンヌがどんな娘でどんな生活を送っているか調査しなければならない。


 私はドンレミ村の郊外で実体化すると村人に化けて潜入調査を行った。ミカエル様がおっしゃる通りジャンヌは常に祈りを忘れず、教会にも足しげく通う信心深い娘だった。


「よし、そろそろお告げを伝えなきゃね」


 私は村の教会に身を隠すと、ジャンヌがやって来るのを待った。しばらくするとグレーのチュニックを身につけ頭巾を被った少女がやって来た。


 ジャンヌだ!


 私はジャンヌの心に直接語りかけた。


「ジャンヌよ。聞きなさい」


 ジャンヌがピタリと歩みを止めた。青い瞳が大きく見開かれて一点を見つめている。そりゃ驚くよね、突然声が聞こえたら。


「フランスの王を助けなさい。イングランド軍を駆逐するのです」


 ああっ!とジャンヌは叫ぶとひざまずいた。


「神さま! ミカエル様なのですね!」


「そうです。疑ってはなりません、ただ信じるのです」


 正確にはミカエル様ではなく、下級天使のアイヒヘルンなのだが、ミカエル様から伝えるように言われた言葉なんだから、まあいいだろう。


 その後も3年にわたり私はジャンヌに『声』をかけ続けた。神の『声』を聞くことのできる少女の噂はひろがっていき、ジャンヌ自身も「乙女ジャンヌジャンヌ・ラ・ピュセル」と名乗るようになった。


 1428年5月、私の『声』に従うことを決心したジャンヌは最初の目的地であるヴォークルール要塞へ向かって出発した――


 そして7年の月日がたった。今、私は再びミカエル様の呼び出しを受け、彼の部屋の前に立っている。ジャンヌがルーアンで火刑に処されたことは、当然ミカエル様の耳にも入っているだろう。天使にできることは限られている。天使の力を使って直接、人間の世界に介入することは禁じられている。


 あくまでも『声』によって人間の心に訴えかけ、対象の人間に行動をおこしてもらうしかない。私は暴走するジャンヌを止めることができなかった。ジャンヌは信心深く、正義を求める強い心を持っていた。だが決して素直で従順な娘ではなかった。私の『声』に従わないことも少なくなかった。


 特にシャルル7世をランスで戴冠させた後は、ジャンヌは自分に自信を持ったのだろう、私の『声』を無視して突き進むようになってしまった。そう、最近のジャンヌは私の手には負えなくなっていたのだ。


 ――入りたくない。私はミカエル様の部屋の前で固まっていた。ミカエル様は私に失望しているに違いない。「お前は天使失格だ!」そう言って断罪されるかもしれない。


 ふうーっと1回深呼吸してから扉をノックする。部屋に入るとミカエル様は机に向かって下を向いていた。


「アイヒへルンです。お呼びでしょうか?」


 おそるおそる声をかけると、ミカエル様は視線を上げて私を見た。何の感情も浮かんでいない表情だった。


「ジャンヌのことは聞いた。残念だったな」


 穏やかな声を聞いて、私はほっとした。少なくとも怒っているようには見えない。


「申し訳ありません。私の努力不足でした」


「謝る必要はない。今回のことは私にも責任があると思っている。それにシャルル王太子を戴冠させるという目標は達成できたしね」


 そんな目標があったのか、聞いてないぞ。ミカエル様は机の上にある紙をペラペラとめくる。


「だが……」


 私を見据えるミカエル様の眼光が鋭くなった。ビクッと体が震える。


「このままでは、お前も心残りだろう。なんせジャンヌは火炙ひあぶりになったのだからな。火炙りでは終末の日に肉体を復活できない――」


 何を言い出すのだろう? 言いようのない不安が広がっていく。

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