第4話 ブールジュの町
まるでジェットコースターで急降下するような浮遊感をしばらく味わった後、両足が地面にゆっくりと着地した。
目の前に掛かっていたモヤがスーッと晴れて視界が開ける。ああー、これは? 自分が見覚えのない狭い路地に立っているのに気がついた。旅行ガイドで見たことがある両脇に古い建物が密集して立っている路地。
太陽の高さから言って、時刻は昼過ぎという感じだろう。ふと気になって横を見ると女が立っている。上半身のシルエットがはっきりとでている長丈の上着を着ている。襟ぐりが大胆にひらいているので、きれいなデコルテがよく見えた。
さらにその女は、奇妙な円錐形の帽子を被っている。帽子は黒でレースのような白い布が垂れ下がっている。よく見るとその女はアイヒヘルンだった。
「お、お前! なんだそのかっこは?」
大胆に開いた胸元に少しドキドキしてしまった。
「何よ! 人間になったんだから普通でしょ? ていうかあんただって完全にフランス人ね」
「なんだと?」
そう言われて俺は自分がプールポワンと呼ばれる体にピッタリした赤い上着とタイツのようなズボンを履いていることに気がついた。上着の丈が短くて膝上15センチほど露出している。うっ、これは恥ずかしい。
「言っとくけど、顔もフランス人の顔に変わってるから。鏡がなくて見せてあげられないけど」
あわてて近くに鏡になりそうなものを探すが、現代社会と違い光が反射しそうなガラスや金属がありそうにもない。手のひらで顔の表面を触ってみると、なるほど東洋人にあらざる凹凸がある。
「それぐらい天使ノートで確認しときなさいよ! 注意事項として書いてあったでしょう?」
「だからフランス語は読めないんだよ!」
そうだ、俺の天使ノートはどこに行った? ふと気がつくと腰に
『お前の名前はレオ・ルグランである。妻はアイヒヘルン・ルグラン。シャルル王太子に仕えるお前はアルマニャック派の本拠地であるベリー地方の中心都市、ブールジュへ行く』
おお、これは親切だ。ロールプレイングゲームのチュートリアルのように設定が解説されている。さすがのミカエルも何もわからない東洋人を15世紀のフランスに送り込んだりはしないようだ。だが一点引っかかる点がある。『妻はアイヒヘルン・ルグラン』のくだりだ。
「なんでアイヒが俺の妻なんだよ?」
「何よ、なんか文句あるの?」
「単なる知り合いとか、使用人とか他の設定あるだろ。妻はないな、ないない」
「は? 何が『ないない』よ! 私だって好きであんたの妻やるんじゃないから。この時代ある程度の身分がなかったらいろいろ不便なんだからね。シャルル王太子にも会えないじゃない。我慢しなさいよ」
むすっとして反論するアイヒヘルン。頭のとんがり帽子がブンブン振り回される。確かに俺とアイヒの服装は貴族のものだ。本当ならお付きの従者も一緒なのだろうが、さすがにそこまでは用意されていないようだ。
天使ノートの先を読むと、さらに注意事項が書かれていた。
「転生してしばらくするとレオ・ルグランとしての過去の記憶が形成されてくる。前世の記憶と混ざって混乱するかもしれないが転生先で生活するのに困らなくなるだろう」
この言葉の意味はすぐにわかった。なぜなら今見ているもの、狭い路地と古風な街並み、通りを歩く奇妙な服装の人々、隣にいるアイヒヘルンのとんがり帽子、これらに違和感を感じなくなってきているのだ。当たり前の風景として受け入れ始めている。
かといって
レオ・ルグランとしての記憶が形作られるとともにシャルル王太子に会うという最初のミッションに気乗りしない自分がいることに気がついた。シャルル王太子は、とにかくネガティブなのだ。後世に伝わる、優柔不断、猜疑心が強いという人物評もあながち間違っていない。だから会うととにかく疲れるのだ。
とにかくまずはシャルル王太子の館へ行こう。『ブールジュはベリー公ジャン1世の時に大きく発展した都市です』ベリー公ジャンって誰だよ? 天使ノートに書いてあるブールジュの説明に俺はツッコむ。今から会うシャルル王太子が将来のシャルル7世で、その父親がシャルル6世、そのまた父親がシャルル5世。そのシャルル5世の弟なのだった。とにかくフランス史は、シャルル、ルイ、ジャンが大量に出てくる。もう誰が誰かわからなくなる。対策を考えねば。
ブールジュの説明をさらに読む。パリのほぼ真南に位置しており現代ではパリから電車で1時間45分の距離だ。1992年に「ブールジュ大聖堂」として世界遺産に登録されているサンテティエンヌ大聖堂は俺たちが転生した1424年のブールジュにもすでにあった。
「なあ、アイヒ。王太子に会ってどうするんだ?」
「さあ、とりあえずご挨拶するんじゃない。あんた王太子の配下なんでしょ?」
改めて今回のミッションについて考えてみる。俺に与えられているミッションは『ジャンヌ・ダルク』を救うことだ。救うというのは火刑を回避することだとアイヒは言っていた。それなら話は簡単じゃねえか。ランスでシャルル王太子が戴冠した時点でジャンヌに戦闘をやめてもらえばいいだけだ。
ジャンヌが捕らえられるきっかけになるパリ奪還へ行かせなければいい。それこそ拘束でもなんでもして物理的に行かせなければいいのだ。だが……問題はシャルル王太子が人気が高騰しすぎたジャンヌを意図的に排除しようと考える可能性があることだ。王太子はジャンヌ救出に消極的だったと伝えられている。
そうだ、やはりジャンヌを救うための最重要人物はシャルル王太子で間違いない。王太子に意見ができるほど、いや意見が取り入れられるほどの関係になっておかなければこのミッションは成功しない。では王太子に影響力を持つことができる俺の武器はなんだ? なんで俺が選ばれた?
――
答えは明白だよな。いつの時代でも世の中を動かしているのは
俺には、金を儲けるための知識がある。才能は――あると信じたい。15世紀のフランスで俺の知識が有効なのかどうかはわからない。だがこの知識を使ってジャンヌを救ってやる。そしてもう一度やり直す。失った自信を取り戻すのだ!
「どうしたの? 鼻の穴ふくらませて。まさか女の子を見て興奮しちゃった?」
狭い通りの両側にはさまざまな店舗が並んでいる。肉や魚、卵、チーズやバター、野菜、果物などの食料品、コショウ、シナモン、ショウガ、ナツメグ、サフランといった香辛料、絹、皮製品、宝石など装飾品まで売られておりとても賑わっている。貴族の使用人と思われる若い女が買い物に来ており、アイヒはそのことを言ってるのだろう。
「ちげーよ! ミッションのことを考えてたんだよ」
俺が即座に否定しても、アイヒはゲスな笑みを浮かべていた。
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