ボーナストラック⑤
犠牲者ゼロ。重傷者もゼロ。
火災の規模とそこに密集していた人の数を考えれば、それは奇跡的とすら言えた。
「ありがとう、フィート。また助けられたな」
『きゅるぉおおおおぉ~~ん!!』
頭を下げるクレール隊長(と、そのうしろで優雅に吠えるスノウウイング)に、僕は首を横に振った。
「今回、僕は大したことしてませんよ。主な功労者はこっちです」
『――――――』
「キリンの……ニャアくん、だったか」
つぶやいてクレール隊長は、感謝と戸惑いと遠慮がごちゃまぜになったような――とにかく、付き合いの長い僕でもこれまでに見たことのないような表情を浮かべた。
「ありがとう、ニャアくん。……あ~、うむ。難しいな、いろいろと」
「というと?」
「私はまあ……彼を殺しかけたこともあるし、彼に殺されかけたこともあるからな」
……ああ。
そういえばそうだった。『
「私としてはもちろん、彼に含むところはもはやないのだ。今回も助けられたし、ハルトール元王太子の一件でも、醜態を晒していた私に代わって隊員たちを守ってくれた魔法生物の1匹だと聞いている」
「『desert & feed』でランバーン王子が襲撃してきたときのことですね」
「うむ。だが、向こうが私をどう思っているかがわからなくてな。ニャア君は保護後しばらく人間に拒否反応を示していたと聞いている。それにそもそも、私はペガサスとエルフキャット以外の魔法生物にはあまり好かれない傾向にあるし……」
『――――――』
ニャアが面倒くさそうにクレール隊長に近寄り、一度だけ腕に頭をこすりつけた。
明らかに親愛の情を示すその動作は一度きりで、すぐにニャアは元の立ち位置に戻る。
「……。フィート、今のは」
「自分も特に気にしてない、という意味でしょうね」
「……キリンというのは、人の会話の内容を理解できるのか?」
「まあ……キリンに限らず、人の表情や動作からある程度会話の内容を察する魔法生物はいますね」
とはいえ。他の魔法生物たちと比べても、人間の会話についてのニャアの理解はやたら正確ではある。
ニャアの名付け会議のことを思い出す。あのときもニャアは、僕やルイス、フレッドの会話を理解しているとしか思えない反応をしていた。
「……まあ、気にしていないということならありがたい。ありがとう、キリンのニャア君」
『――――』
「ところでクレール隊長。こんなところで話していて大丈夫なんですか? まだ火が上がって消えて、それほど時間は経ってないですが」
「私はもう君の隊長ではないが、ああ。多少は問題ないだろう。放火の実行犯はすでに天馬部隊が全員拘束している。軽傷者もすべて病院に搬送済みだ」
「さすがに仕事が早いですね」
「やめてくれ。今回の件で賞賛を浴びるわけにはいかない。天馬部隊は放火を防げなかった」
クレール隊長はそう言うが、放火を防げなかったのはやむを得ないだろう。複数箇所で同時多発的に火を放つ、おそらく計画的な犯行。
火炎魔法で
しかしクレール隊長は、苦々しげな表情で首を横に振る。
「いちおう追加でなにか事件を起こされないよう、天馬部隊隊員が警戒している。だがおそらく、もはや二の矢が放たれることもないだろう」
「……ええ、まあ。そうでしょうね」
「すでに襲撃者たちは目的を達した。……王都音楽祭は、完全な失敗だ」
残念ながら、この点についてクレール隊長は正しい。
王立公園、メインステージ周辺の風景を見渡す。
美しくメインステージを彩っていたであろう装飾はあちこちが黒く焼け落ちていて、もはや見る影もない。
緑溢れる公園はあちこちが焼け焦げていて、茶色い地面がむき出しになっている。
人はまだあちこちにいるが、その顔はいずれも暗い。ケガや火傷を負った者こそいないが、誰もが間近に炎を見て、自分が焼かれる恐怖に怯えた直後なのだ。
彼らを救った雨が服をぐっしょり濡らしていることも、決して気分の高揚には繋がらないだろう。
誰がどう見ても、音楽祭を続けられる状況ではない。
王都音楽祭を成功させ、レイアード王太子体制の盤石さを印象づける。
そんなメルフィさんのもくろみは、完全に失敗していた。
「……ふがいないばかりだよ。レイアード王太子の期待に応えられなかった、というのも大きいが……それ以前に、王都音楽祭は年に一度の王都民の楽しみなのだ」
「クレール隊長」
「それが政争の道具になり、台無しになる。最も防ぎたかったことを防げなかった」
今回はそもそも、勝利条件が難しすぎた。クレール隊長のせいではない。
口には出さなかった。そんな言葉は慰めにもならないと、わかっていたから。
『――――――』
「……ニャア?」
いや、僕がそう鳴いたわけではない。
キリンのニャアがゆっくりと、僕の側を離れて歩き出したのだ。
悠々と王立公園を横切るニャアは、音楽祭に集まった人々の視線を次第に集めていく。
『desert & feed』の影響で、キリンのニャアの知名度はそれなりに高い。ニャアが雨を起こして火を消したことに気付いている人も少なくないのだろう。
いくつか、ニャアを見守る人々の間から感謝の声が投げかけられる。だがニャアはそれに反応を示さず、ただのんびりと歩を進めた。
「…………」
「……フィート? いいのか、放っておいて」
「ええ」
「……? いや、お前がそう言うならそれでいいんだが……」
やがてニャアは目的地にたどり着いた。
あちこちに黒い焦げが見えるメインステージ。たんたんと軽やかに空を蹴り、ニャアはそのステージの上に上がる。
そして、
「……え」
「あ……!」
音楽が、鳴り響いた。
~~~~
~~ ~~ ~~~~~
~~~~~~
~~~ ~~ ~~~~~~
美しい音楽だった。
まったく未知の言語による歌声にも聞こえる。とんでもなく複雑な機構を持った楽器の音色にも聞こえる。
だけどそれは、そのどちらでもない。
「……フィート。これは」
「『霊獣』キリンの、鳴き声ですよ」
「この……美しい音楽が、生物の鳴き声なのか?」
よく考えれば、不思議なことではあったのだ。
鳴き声を上げないキリンに、なぜ声帯があるのだろうか。
答えは簡単だった。いま音楽祭のメインステージで、キリンは鳴いている。
「これ……なんだ? あの生き物が、歌ってるのか?」
「……なんか、なんだろう。すげえ落ち着くな、この音楽」
「ああ。すげえすっきりした気分になるっつうか……」
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~~ ~~~~ ~~~
~~~~~~~
~~~ ~~~~ ~~
いつの間にか、その場にいる誰もがニャアの奏でる音楽に聴き入っていた。
その表情からは、苛立ちや憂鬱が消えている。ただ無心で、その場を満たす心地いい音に浸っている。
ふと横を見て、衝撃を受けた。
スノウウイングが――人前では決して気を抜くことのないクレール隊長の愛馬が――完全にリラックスした様子で目を閉じている。
……ああ。
やっぱりそうだったんだ。
あの山岳地帯の
キリンと
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~~~ ~~~~~ ~
~~ ~~ ~ ~
~~~ ~ ~
そうして。
ゆるやかに、ゆるかに、ニャアの演奏は続き――
~~~ ~
~~
~~~
~
やがてその音楽が終わったとき――王立公園に漂っていた不穏な空気は、完全に霧散していた。
「……あ」
「お……おお」
「おおおおおおおっ!!!!」
誰からともなく、拍手が巻き起こった。
飛び交う歓声。万雷の拍手。もちろん僕もクレール隊長も、惜しみない拍手をニャアに送った。
安堵が、そして熱が、ニャアによって熾された。
拍手が鳴り止まない中、ニャアはすたんとメインステージから飛び降りた。
「…………おいっ!!」
そして――ニャアと入れ替わるように、メインステージに駆け上がる影たちが見えた。
「最高じゃねえか、おい! これまで聞いた中で一番の演奏だったぜ!」
「飛び入り参加の魔法生物がこんなにかましてくれたのによお! エルフの俺たちが、人間のお前らが落ち込んでていいのかよ!!」
「しょぼくれてる場合じゃねえ! みんな盛り上がっていくぞ!! 今日は年に一度の王都音楽祭だぜ!!」
熾された炎が、伝播していく。
やがてずぶ濡れになった群衆たちは、エルフたちが奏でるパンクロックに最高潮の盛り上がりを見せ――
そんな群衆たちの間を抜けて、静かにニャアが戻ってきた。
「ありがとう、ニャア」
『――――――』
ちらりと投げた一瞥が、『気にするな』と言っているような気がした。
結局。
その後のメインステージは、途中で起きたトラブルにもかかわらず、例年を遥かに越える盛り上がりを見せ――
今年の王都音楽祭は、大成功に終わったのだった。
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明日でラストです!
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