ボーナストラック④

 王都音楽祭は、王立公園に設置されたメインステージとその周辺にいくつかあるサブステージで構成される。

 王立公園は『desert & feed』の併設されている魔法生物管理局からさほど遠くない場所にあるので、メインステージの喧噪が漏れ聞こえてくる。くわえて音楽祭の間はあちこちの街角で音楽家たちが演奏していて、カフェは多様な音楽の重なる意図せざる交響曲に包まれていた。


「いいっすねぇ。俺も行きたかったなぁ、音楽祭」

「ごめんね、こんな日に働かせて」

「いやあ、誰かが残んなきゃいけないっすからね」


 フレッドの言葉に僕はうなずく。残念ながらそういうことだ。『desert & feed』は年中無休だし、店員がいないとお店は回らない。

 特製オムライスにバジルを乗せながらそんなことを考えていると、隣でデミグラスソースをすくい上げるフレッドが顔を近付けてひそひそ声で話しかけてきた。


「でもたまに思うんすけどね。店長の『賢者の石』としての力を解放すれば、別に俺らなんていなくてもお店は回るんじゃないっすか?」

「いや、そんなことはないよ。たしかに魔力量的にはこのお店にあるすべての備品をここから動かず操作できるけど……それを管理する僕の意識はひとつしかないからね」

「あ……そっか。全部の注文を把握して、魔法生物たちのお世話もして、会計もやって……となると、たしかに店長ひとりじゃ無理っすね」

「うん、手が足りても耳と脳が足りない。まあ自分の体もやろうと思えば変形させられるから、体を膨張させて店内に行き渡らせて、耳とか脳とか増やしまくればひとりで対応できるかもしれないけど」

「な、なんかグロいっすね、それ……。店長にそんなことさせないために、俺も頑張るっす……」


 ……そもそもそんなお店、絶対誰も来ないだろうな。


 僕が種族的に『賢者の石』であることは、ごく親しい人間にしか教えていない事実だ。ロナ、クレール隊長、メルフィさん、ガウスさん、フレッド、ルイス……あとはもうこの世界にはいないルークたち。


 当然だが、『desert & feed』を訪れるお客さんたちはそんなこと知らない。というか、知られてはいけない。

 考えようによっては僕は、『蠅の女王ベルゼマム』などとは比較にならないほど凶悪な生物兵器だ。正体が世間に公開されれば、今みたいに『desert & feed』でデザートムーンたちと一緒に暮らす……なんてことはきっとできないだろう。


「……あれ?」


 ふと、フレッドが顔を上げた。


「店長、なんかおかしくないっすか?」

「ん? なにが?」

「や、なんか。聞こえてくる音楽が、おかしいっていうか……」


 言われて耳を澄ます。

 ……うん、たしかにおかしい。


「メインステージからの音楽が聞こえない」

「聞こえてくる声も、音楽で興奮してる声ってより、怒号って感じっすよ」


 厨房から顔を出して、店内の様子を覗いてみる。

 メインステージの異変に気付いたのはフレッドだけではなかったらしい。店内のお客さんたちも、不安げにざわめきながらメインステージのほうに視線を向けている。


 ややあって、そのざわめきは具体的な情報を伴ったものに変わった。ツイスタや水晶玉などで情報を得た者が、メインステージで具体的になにが起きたかを周囲に伝えたのだろう。


 ――王立公園で、火の手が上がったらしい。

 ――複数箇所で同時に火が付いて、消火が間に合っていないらしい。

 ――何百人もの人が取り残されていて、天馬部隊の救援も間に合っていないらしい。


「――店長。行って、なにするつもりっすか」


 足を踏み出しかけた僕の腕を、フレッドががっしりと握った。


「火を消すんだよ、もちろん」

「どうやって」


 水魔法は殺傷能力をともなう。人が大量にいる状況で、彼らを傷付けずに火だけ消すのは難しい。

 だが、方法はある。


「僕の体を膨張させて、燃えている地点を覆う」

「――――!」


 燃えている箇所を膨張させた僕の体ですっぽり覆ってしまえば、酸素のなくなった炎は鎮火する。

 人間ごと覆うことになるが、人間のほうは数秒呼吸ができなくなったくらいでは死なないだろう。

 僕は多少焼けるが、これも問題ない。僕の体はたとえまっぷたつになっても再生する。


 間違いなく、これが最適解だ。


「――店、長」


 フレッドの懸念はわかっている。

 というかついさっき、まさに僕が考えていたことだ。『賢者の石』という正体が大勢の人に露見すれば、今のままカフェの店長ではいられない。

 いや、それどころか。きっとたくさんの人から異物として排斥されることになる。当たり前だ。人間じゃないものが人間のふりをしているなんて、そんな気色の悪いことはない。


 でもだからといって、ここで我が身かわいさに人が焼け死ぬのを見過ごせば。

 きっと僕は種族うんぬんではなく、もっと決定的に――人間では、なくなってしまう。


「――っ」


 僕がことがわかったのだろう。

 フレッドは、掴んでいた僕の腕を離す。


「愛してるっす、店長!」

「ありがとう」


 不器用な愛の言葉に笑いと感謝を返して、僕は駆け出した。


 ざわつく店内を抜けて、

 凝った意匠の扉を開け、

 カフェの外に出て、


『――――』

「えっ」


 そして、キリンのニャアがそこで待っていた。


 まるでそこにいるのが当然であるかのように。

 静かに佇むニャアは、その透きとおるように深い目でじっと僕を見つめていて。


 僕は、本能的に、なにかに促されるようにして、その首にしがみついた。


『――――』

「うわっ!?」


 瞬間、自分の体がふわりと軽くなり、重力から解放されたのを感じた。


 たんっ。たんっ。首に僕をしがみつかせたまま、ニャアが空を蹴って駆け上がる。

 軽量化魔法と風魔法を組み合わせた、キリン独自の飛行方法だ。


 王都の建物が、眼下を次々に通り過ぎていく。

 キリンと僕はいま、メインステージに向かって空を走っていた。


「ニャア、お前」

『――――』

「…………。うん、わかったよ」


 僕はニャアの首にしがみついたまま、自分の核にあるに意識を集中させる。

 魔力の流れを感じ、掴み、ねじ曲げる。

 ハルトール元王太子との最後の戦いの時に起きた現象を、意図的に再現する。


 すなわち――『賢者の石』の力の一部を、一時的にニャアに貸与する。


『――――――――――――――!!!!』


 天を駆けながら、ニャアが音のないいななきを上げた。


 それは『霊獣』キリンの持つ権能のひとつ。

 原理としては、単に雷魔法と氷魔法を組み合わせているにすぎない。魔法生物学会はそう結論づけたが、キリンを信仰する現地民は信じなかったそうだ。


 無理もないな、と。空を駆けるキリンのわしゃわしゃしたたてがみが顎を撫でるのを感じながら僕を感じる。

 だってその光景はあまりにも神秘的で、人の持つ知識なんかで推し量れるものだとは思えない。


 王立公園の上空、燃えさかるメインステージ。

 快晴の王都で、その部分にだけ――雨が降っていた。

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