第9話 フィート君の休日②
「えー……っと? これは?」
「見てわからんか。マナラビットに関する私の研究成果だ」
町中で突然呼び止められて案内されたのは、王宮近くにある小さな貸屋の一室だった。
これまた小さなテーブルに腰掛けさせられた僕の目の前には、そこそこ分厚い研究レポートが無造作に置かれている。
「ああ……。そういえば聞きましたよ。魔法生物学者としてやり直すことにしたんでしね。それで、その研究成果がなにか?」
「読め」
「え」
「読んで感想を聞かせろ」
えぇ~~……。
「え、ええとですね。僕は正直この手の論文はあまり読んだことないですし、内容の確認ならもっと適任がいると……」
「魔法生物に関して、お前より詳しい人間などそうおらんだろう」
「え? ……いや別にそうでもないと思いますよ。僕の知識にはわりと偏りがありますし」
「うるさい。いいから読め。そもそも私に魔法生物学者になれと言ったのはお前だろうが。言ったからには責任を持って協力しろ!」
……言ったかなぁ、そんなこと。
あ、あれか。アルゴさんが自分を局長にしろと乗り込んできたとき、局長より魔法生物学者のほうが向いてるんじゃないかとは言った気がする。別になれとは言ってないと思うけど。
いやまあ、いいや。このまま押し問答しているほうが時間の無駄だ。
気が進まないけれど、さっと読んでしまおう。
「わかりましたよ。読みますけど、大したことは指摘できないと思いますよ」
「当然だ。私の研究に指摘するところなどあるはずがない。お前はただ、これを読んで私の偉大さを再認識すればいいんだ」
うん。アルゴさんの態度は相変わらずだけど、この場合はありがたい。
お言葉に甘えて、読むだけ読んで適当に感想を述べたら帰ることにしよう。
●
「ふざけるな! 以前フィールドワークで見たものと違うだと? フィート貴様、そんな薄弱な根拠で私の説が間違っていると言うのか!」
「条件設定が不十分かもしれないって言ってるんです! ほら見てください、管理局提供データのこれとこれ。アルゴさんの仮説が正しいなら、この状況でもマナラビットの魔力保存機構はもっと長く維持されるはずですよね!」
「知ったことか! おそらく管理局の温度管理がずさんだったんだろう! 正確性に欠けるデータに何の価値がある!」
「アルゴさんは自分の仮説と合わないデータを軽視しすぎなんですよ!」
「おー……。やってるやってる。てかフィート君じゃん、久しぶり~~」
はあ、はあ……。つい議論に熱が入ってしまった。
ぎしぎし軋む扉を開けてルルさんが現われたことで、僕とアルゴさんのやり取りは一時中断される。
「ご飯買ってきたよ。フィート君も食べる……?」
「食っていけ。まだまだ話さなくてはならんことがある」
「そうですね。ありがとうございます、いただきます」
「おっけー……」
ルルさんが出来合いの食事をテーブルの上に広げていく。
慣れた手つきだ。これも助手の仕事の一環ということなんだろう。
……アルゴさんの書いた研究レポートは、想像以上に興味深いものだった。
着眼点も証明のためのアプローチも常人離れした発想だ。このレポートを2か月やそこらで仕上げたというんだから、魔法生物学者としての実力はやっぱり本物だ。
ただいくつか、思い込みによる決めつけや、自説に都合のいい強引な解釈があるように思えた。だからその点について掘り下げて聞いてみたんだけれど……結果、けっこうな大激論になってしまった。
「もぐ……。ふん。仮に、もし仮にだ。私の説が完璧ではなかったとして、どう修正すべきだと思う?」
「ふぉうれすね。……ごくん。そうですね。温度変化に着目した点は秀逸だと思います。ただおそらく、それ以外にも条件があるんじゃないでしょうか」
「もぐもぐ……。ふむ。お前の野外での経験と管理局の2件の実験が、それ以外の実験とどう違うかを考えるべきだな」
「ふぁんふぁえられうほほはひふふかあいますね。ごくん。考えられることはいくつかありますね。たとえば湿度、空気中の魔力濃度、あるいは被検体の健康状態なんかも」
「もぐもぐもぐもぐ。対照実験の用意をしておくか。ルル、手配を頼む」
「いいけど……。食べてから喋ったほうがいいと思うよ、ふたりとも」
ルルさんの指摘はとてもまっとうなものだったけれど、僕とアルゴさんはそれを無視することにした。
そんなわけで食事中も食事後も議論は行われ、いちおうの決着らしきものがついた数時間後までひたすら続いたのだった。
●
数時間の議論を経て、ようやく長い感想会もお開きとなった。
いつも通り不機嫌そうな表情でアルゴさんが言う。
「……ふむ。これでいちおう当面の方針は立てられたな」
「それはよかったです」
「ふん。まあお前のおかげと言えなくもなくも……いやまあ、お前のおかげだ。いちおう礼は言っておこう」
おお……。かつて管理局職員として働いていたころには1度として聞けなかったアルゴさんの感謝の言葉を、まさかここに来て聞けるとは。
それだけではなかった。アルゴさんがなにやらいくつかの黒い球体が入った籠を差し出してくる。
「みやげだ。持っていけ」
「ええと、これは……。さっきのレポートにあった?」
「マナラビットの魔力を保存した球体の試作品だ。その、なんだ。お前のところのエルフキャットは、こういうのが好きだろう」
おお……。
当然管理局職員時代にも、アルゴさんからおみやげなんてもらったことがない。それがまさか今になってこんなものをもらえるとは。人生何があるかわからないものだなぁ。
「……フィート。おそらくお前は思っているんだろう。局長の座を取り戻すために、また私がお前に媚びを売っているのだと」
「え? いや、別に思ってませんが……」
「安心しろ。もう局長の座なんぞに興味はない。……というか、そう。私は最初から、局長などになってはいけなかったのだ」
おお……。
お気づきになりましたか、と言いたくなるのをぐっとこらえる。たしかにアルゴさんは、局長という職に向いているとは言いがたい人だった。
「……憧れだったのだよ」
「え?」
「ベル・ワーケンという狂気の研究者は、私の憧れだったのだ。ふん……。今思えば実に愚かだが、局長という職をまっとうすることが、局長職を途中で追われたあの男を越える方法だと私は思い込んでいたのだろう」
「……なるほど」
「いま何十年も離れていた研究の場に戻って、私の人生はようやく本道に戻ったのだと思う。……フィート。お前にとっては何気ない言葉だったんだろうが、あの夜のお前の言葉は私にとって大きな転機になった」
言って、アルゴさんは大きく深呼吸し、
そして、こちらに向かって頭を下げた。
「感謝する、フィート。……そして、その。すまなかった」
「おお……」
たぶんそういう場面じゃないんだろうけれど、思わず感嘆の声が漏れてしまった。
いやあ、うん。いろいろありすぎた今となっては、過去にアルゴさんにされたことなんてもうわりとどうでもよかったりはするんだけれど。
「ええと、はい。許します。研究、うまく行くといいですね」
「うむ」
いちおう形式上、謝罪は受け入れておくことにする。
……いやしかし、まさかアルゴさんから謝られる日が来るとは。人生本当に、何があるかわからないものだなぁ。
●
「……人生本当に、何があるかわからないものだなぁ」
『みゃ!』
アルゴさんの歴史的な謝罪から1時間ほどあと。
「きゃああっ! デザートムーンちゃん!! こっち向いてええええ!!」
「うおっ、生デザートムーンじゃん! カフェの外にいるとこ初めて見た」
「ねえねえ、サインってお願いしても大丈夫かなぁ? ……え? あ、そっか。ネコはサイン書けないか」
僕とデザートムーンは、信じられないくらい大量の人に取り囲まれていた。
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ここまでお付き合いいただいている皆さま、ありがとうございます!
『魔法生物カフェ』はあと1話で完結なので、土曜日ですが次のエピソードは明日投稿しようと思います。よろしくお願いします!
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