第8話 フィート君の休日①
「フィート君、君はクビだ」
「えぇ~~……」
唐突になんだかなつかしい言葉を聞かされて、僕は当惑の声を漏らした。
場所はかつてアルゴさんにクビを宣告されたのと同じ、魔法生物管理局の局長室。
前回と違うのは局長席に座っているのが僕であることと、クビを宣告したのが中性的な顔立ちをした黒髪の王子であることだ。
とまどいを隠せない僕に、メルフィさんはいたずらっぽく笑った。
「ふふ……。といっても一日だけね。フィート君、ぜんぜん有休消化してないでしょう?」
「ああ。なんだ、そういうことですか」
口調も崩れて、レイアード王太子としての厳格なものからメルフィさんの聞き慣れたものになった。
うん、個人的にはこっちの方がしっくり来るな。
「ふふ……。知ってのとおり、最近ようやくカフェ専属職員の定員確保と採用が完了したわ。フィート君の忙しさも、これでだいぶマシになったんじゃないかしら?」
「それは本当に助かってます。……まあとはいえ、新人のみんなはやっぱり慣れないことも多いですからね。やっぱり僕が現場にいないと……」
「ふふ……。今期の人事局の組織目標は、計画的な有給休暇の取得促進なのよ」
なるほど。
「公務員に戻ったからには、上司の命令には従ってもらうわよ。フィート君、明日は休みにしなさい」
「わかりました」
そんなわけで。
2か月ほど勤めた魔法生物管理局局長の職を、僕は1日だけクビになったのだった。
●
「……で、来たんだ?」
「うん。ごめんね、忙しいときに」
「やーいいよ。なぜなら別に忙しくないから!」
ロナはそう言って、びしりと人指し指を突き立ててみせた。
「王都は平和! 魔物もほぼなし! 毎日毎日訓練となにも起こらない警備巡回だけで、正直めちゃくちゃ退屈してました!」
「本当にうらやましい……」
「わっはっは! そうだろうそうだろう! ……ちなみにマジで大丈夫? 本当に死ぬほど忙しいって噂は聞くけど」
「こうして有給休暇を取らせてもらえる程度の余裕はあるよ」
心配ありがとう。と言いながら僕はお高いにんじんの入った籠をロナに渡す。ペガサスたちへのおみやげだ。
「ありがと。……でもさ、カフェのほうは大丈夫なの? なんかこう、フィートの防護魔法とかが必要なんじゃなかったっけ?」
「あ、それは大丈夫。ここからでも防護魔法くらいなら維持し続けられるから」
「あ~~……。相変わらず人間じゃないなぁ」
「いや、結局人間だって言ってたよ」
「……誰が?」
「ボケ老人」
「う、うおお……! その人には悪いけど、説得力がなさすぎる……!」
たしかに。
……しかし、うーむ。マズいな。
ロナと話していると無限に時間が溶けていく。それはそれでいいんだけれど、今日はちょっと別の用事があるのだ。
「ところでロナ、クレール隊長はいる?」
「へ? うん、隊長ならこの時間は昼休みだと思うけど。何か用事?」
「うん。ちょっと書いてもらいたい書類があって」
「へー。なに、どんな書類?」
……んー。いちおう、あんまり人に見せるものでもないんだけど。
まあ、ロナならいいか。
「これ」
「……なにこれ。ベガパーク家の遺産相続権譲渡確認書……?」
「うん」
「……。え。あの。ええっ? フィートとクレール隊長って、その、親戚だったの?」
「うん。戸籍上はいとこだよ」
「うええええええっ!?」
うんうん。
ここまで驚いてくれるなら見せた甲斐があったな。
●
「……いや、だからさ。出すよ。そのうち出すって」
「そう言って、もう何年も放置してるじゃないですか。せっかく平日休みが取れたんだから、僕が役場に出してきますよ」
「うん。まあでも、もうここまで来たらいっそ出さなくてもいいんじゃないか?」
「絶対ダメですよ」
孤児のフィートがフィート・ベガパークになったのは、僕が天馬部隊に就職する少し前のことだ。
ブライト家の当主であるクレール隊長が、分家にあたるベガパーク家の養子として僕を迎え入れるよう手配してくれたのだ。
まあ養子と言っても形式的なもので、『親』の顔も1度も見たことがないくらいなんだけれども。
基本的に孤児には名字がない。普段は特に問題ないんだけれど、たまにそれが障害になることがある。
たとえば公職に就こうとする場合なんかがそうだ。名字がない人間は、公務員になることができない。
「そもそもフィート、お前をベガパーク家に迎え入れたのは私の都合なんだ。お前の才能が天馬部隊に必要だと思ったから、無理やり名字を与えたわけで」
「僕にとってもすごくありがたい話でしたし、そもそもそれとこれとは話が別でしょう。ベガパーク家にはいま、現当主とその奥さん以外の人がいない。このおふたりが亡くなったら、僕がベガパーク家の遺産を継ぐことになってしまうんですよ」
最初からこの点については話が付いていたはずだ。僕が遺産の相続権を放棄し、本家の当主という僕の次に優先的に遺産を相続できるクレール隊長にそれを譲渡する。
これがもともと決まっていたシナリオであり、僕とクレール隊長それぞれの署名が記された確認書もずっと前に用意している。あとはこの確認書を王宮に提出すればそれで問題解決だ。
なのにクレール隊長は、頑として確認書を提出しようとしないのだ。
「……まあその、最初は本当に忙しくて出しそびれていただけだったんだがな。だがまあ、今となっては……」
「今となっては?」
「いや、まあ。うん。すまないフィート、昼休みが終わってしまう。今日はこのあたりで失礼しなくては」
「隊長!」
「私はもう君の隊長ではないぞ、フィート!」
言い残してクレール隊長は、素早く部屋を出ていってしまった。それはもう、かつて見たことがないほどの素早さだった。
……やられた。くそ、今日は確認書に署名をもらうために来たのに。
僕はため息をついて、隊長の執務室をあとにしたのだった。
●
「あ、フィート。なんかさっき、にわかには信じがたいくらいの素早さでクレール隊長が走り去っていったけど」
「すごいな隊長。王国最速の女をもってしてそこまで言わせるか……」
執務室を出た僕は、またばったりとロナに出くわした。
「その様子だと、目標達成ならずかな?」
「まあね。……このあと役場に行くつもりだったのに、今日の予定なくなっちゃったよ」
「それは残念。……いや残念じゃないよ、よかったじゃん。予定がなくなったってことは好きなことができるってことでしょ。せっかくの休日なんだからちゃんと休みなよ」
……なるほど。そういう考え方もあるか。
「一理あるね。……うん、そう考えるとちょっとわくわくしてきたな」
「でしょ? 遊べ遊べ。思いきり遊べ」
「任せてくれ」
うむ。素晴らしい気付きに感謝だな。
……さて、これ以上仕事の邪魔をしちゃまずいな。ロナはなにやら資料の束を抱えている。これを運んでいる最中なんだろう。
僕は別れを告げてその場を歩き去る。
「……あ、フィート。ちょっと待って。言わなきゃいけないことがあったんだった」
「ん? なに?」
「や。……まーその、フィートさぁ。自分は恋愛感情を抱かない、みたいなこと言ってたじゃん」
「うん」
「あれって結局、フィートが『賢者の石』だったからってことでしょ?」
僕はうなずいた。ロナをはじめ、親しい人たち(クレール隊長にメルフィさん、ガウスさん、ルイスにフレッド)には僕が『賢者の石』であったことは伝えている。
「うん、そうだと思う」
「だよね。……でもさ、あたし思ったんだけど。フィート、知り合ったころと比べて雰囲気丸くなったと思うんだよね。考え方とかもちょっと変わった気がするし」
「おお、鋭い。うん、僕の考え方はかなり変化したって言ってたよ」
「誰が?」
「ボケ老人」
「いや、だからさ。説得力が……」
こほん、とロナが咳払いする。
「ま、まあともかくね。あたしは思ったわけよ。もともとが『賢者の石』でも、フィートの考え方は周りの影響とかでどんどん変化していくと」
「うん。それで合ってると思うよ」
「でしょ? つまりね、フィートがいま恋愛感情を持ってなくても、将来的にはどうなるかわからないってことじゃん」
それは……
それは、まあ。そうかもしれない。
「……だからね、フィート」
「うん」
「あたしはまだ全然諦めてないからね。そんだけ!」
それだけ言い残して、ロナは素早く走り去っていってしまった。それはもう、王国最速の称号に恥じないほどの素早さだった。
「……うーん」
恋愛感情というのがどういうものなのか、いまいち僕には掴めていないけれど。話に聞く限りなかなかいいものらしい。
抱けるものなら抱いてみたいものではある。頑張ってくれ、ロナ。
そんなことを考えて。なぜか若干早くなっている心臓の鼓動に少しだけ戸惑いながら、僕もその場をあとにしたのだった。
●
……さて。
いろいろあったけれども、とりあえず自由だ。自由な時間だ。
何をしようかな。とりあえず1度カフェに戻ってみよう。非番の魔法生物がいれば一緒に遊んで……
「おい」
……。
…………。
無視しようかどうか数秒だけ悩んで、結局僕は振り返った。
「……お久しぶりです、アルゴさん」
「少し付き合え、フィート」
ぶっきらぼうに言い放って、アルゴさんはすたすたと歩きはじめる。
無視しようかどうか数秒だけ悩んで、結局僕は付いていくことにした。
自由な休日は、どうやらもう少しだけおあずけらしい。
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