第7話 はい、こだまです
「……さて。話を戻そう。ティムとルークを見て自分の失敗に気付いた僕は、考え方を根本から見直してみることにした」
ベル・ワーケンの話は続く。
「そもそもクラス6魔法生物たる人間やエルフと、それ以外の魔法生物を隔てる壁はなんだろうか。わかるかい?」
「……人類に対する脅威度」
「そのとおり。だがフィート君、それだけではないんだ。おそらく直感的に理解できると思うが、クラス1から5までとクラス6の間には明確な差がある。僕はまずこの違いの言語化を試みた」
授業を受けている気分だ。と言っても僕は学校なんてものに通った経験はないんだけど。
「たどりついた結論はありきたりなものだったよ。思考様式の違い。発達した脳を持つ人類やエルフは、高度に洗練された知性を持つ。これがクラス6とクラス5以下の違いだ」
「そして僕は、クラス7魔法生物もまたクラス6たる人類とは異なる思考様式を持つのではないかと考えた。人類の知性の不完全さを補うようななにかを持った生物。その候補のひとつが君……『賢者の石』だった」
「『賢者の石』の最大の特徴は、保有するエネルギーの膨大さなどではない。この世に同種が1匹もいない生物であるという点だった。……つまり生殖のために同種と協調するという、あらゆる生物に遺伝子レベルで組み込まれた本能から自由であるということだ」
ベル・ワーケンの話が右から左へ流れていく。
すでに僕は後悔しはじめていた。この人の話はなにひとつ心に残らない。
やっぱり僕は、ここに来るべきじゃなかったのかもしれない。
「実験開始当初、君は完全に僕の期待したとおりだった」
「……え。待ってください。僕の思考様式が人類とは異なっていたと、そう言いたいんですか?」
「そうとも。人類の本能に根ざす共感能力を排した、徹底した合理性。それが非人間的であるという自覚はなかったかい?」
……。人間の心を理解するのは苦手なほうだった。
それがつまり、人間としての共感能力が欠けていることによるものだったりするのだろうか。
「……そうだったのかもしれません」
「だろう? やはり君の思考様式は、クラス7魔法生物と呼ばれるにふさわしい……」
「いや、昔の僕はそうだったかもしれないという話です。いまの僕は、人間にも人間以外の生物にも共感を覚えることができていると思います」
「……ふむ」
ベル・ワーケンはため息をついた。
相変わらず微笑みは崩さない。……でも気のせいだろうか。その唇の端が、わずかに震えているように見える。
「おっしゃるとおり。君の言うとおり、君の持つ人外的な思考様式は徐々になりを潜めていった。僕はそれを、人間社会で生存しやすくするための合理性の一種だと僕は解釈していたんだがね。だがどうやら違ったらしい」
「ええ。少なくとも僕自身には、そんなふうに取り繕っていたつもりはないですね」
「まあ時にはかつてのような人間と乖離した思考をすることもあって、僕としてはそれを君の本性の発露と見ていたんだがね」
しかし、とベル・ワーケンは続ける。
「王都で君は、君は、エウレイア公会堂で君は、ハルトール・クラウゼルと戦った。そうだろう?」
「……ええ。よくご存知ですね」
「ランバーンの雇った傭兵に、何人か僕が育てた者を何人か紛れさせていた。水晶玉を持って君の前に現われた、水晶玉を持った男がいただろう? あれも僕の教え子だよ」
「ああ。道理でいつのまにかいなくなっていたと思いました」
「そんなことはどうだっていい。あの夜は僕にとって、証明が完了するはずの夜になるはずだったんだよ」
……口のはしに泡が溜まっている。
その泡が唇からこぼれ、あごを伝ってテーブルの上に落ちる。僕はそれを、見るともなく見ていた。
「魔法生物の体組織移植という形でハルトールに協力したのは、かつて管理局局長だったころの違法な実験をネタに彼に脅されたから彼に協力したのではない。彼がクラス7魔法生物になれると思ったわけでもない。彼が君の彼が君の十分な負荷になってくれることを期待したからだ。君が人間社会での生存をあきらめて、自己という個体の保護に目的を切り替えることを期待したからだ」
「……。しかし」
「しかしそうだ、しかしそうだった! 君は自己犠牲を選んだ。それは本来あってはならないことが自己犠牲という選択だったのだと私は考えた!」
だん! と、ベル・ワーケンが机を思い切り叩く。
「しかもそれだけではなかった。君は君を救おうとする不合理な選択に、あろうことか喜びを感じた! それは本来人間固有のバグであるということは僕が思う。他者から好意的感情を向けられるという生存に寄与する事象に対する脳の報酬体系が誤作動を起こし、手段と目的がすり替わっている人間固有のバグであると僕が思う!!」
口から泡をまき散らしてベル・ワーケンがまくし立てる。
目は焦点が合っておらず、だだをこねる子供のように何度もテーブルを両手で叩いている。目の前に僕が座っていることも、もしかしたら認識していないのかもしれない。
隣村で聞いた、彼がボケてしまっているという話。どうやらそれは事実だったらしい。
「『賢者の石』は最後の希望だった。何十年も僕は研究していたそれを最後の希望だったのに! でも失敗だった。僕は何十年もそれを研究していたのに! それは最後の希望だった」
僕は立ち上がった。
おそらく、もうここで聞くべきことは残っていない。
「行ってしまうのかい? やはりお茶がおいしくなかったかな。フィート君はカフェをやっているからね。君はカフェを始めたのがおかしかったから止めるべきだった。カフェがおかしいからお茶の味にはうるさいのかもしれない」
「お茶はおいしかったです。ごちそうさまでした」
「それはよかった!」
口の周りをよだれまみれにしながら、ベル・ワーケンはにこにこ笑っている。
「フィート君!」
「はい」
「結局のところ、君は人間だったよ! 僕はそう思う!」
「そうですか」
いまさらどちらでもいいことだった。
扉を押して家を出る。結局僕は、貴重な休日を無駄にしたらしい。
●
「実にみじめな人生です。そう思いませんか、ルーク?」
宿屋の一室でベッドに寝転がりながら、デアポリカはひとりごとのように言う。
「あん? 誰のことだよ」
「ベル・ワーケン」
「ああ……」
座椅子の背もたれに体重を預けて、ルークは天井を見上げた。
「まあな。でもなんでまた、急にあの人の話なんかするんだ?」
「いまちょうど、フィート君との面談が終わったみたいですよ」
「……また盗み聞きしてんのか、お前。ほどほどにしとけよ」
「しかしそれにしても……彼は最後の最後まで言っていたようですよ。フィート・ベガパークは途中まで自分の想定通りに育っていた。途中でなんらかの狂いが生じなければ、きっと実験はうまく行っていたんだと」
デアポリカはあきれ顔でため息をつく。
「まるで忘れてるみたいですね。あいまいな意識しか持たなかった『賢者の石』に毎夜語りかけ、指向性を持った意思を与えたのが自分だということを」
「……まー、うん。わりとよくあることなんじゃないか? 子供が親の言うことを繰り返すのも、それを聞いた親が我が意を得たりとうなずくのも。そんでもって成長した子供が自分の考えを持つようになって、親が勝手に裏切られた気分になるのも」
「それにしたって、喜劇的ではあります。彼が『冷徹な合理性だ! クラス7魔法生物にふさわしい新しい思考様式だ!』などとひとり興奮していた幼いフィート君の思想が、単に反響して返ってきていたワーケン自身の思想だったなんて」
「まーな」
フィート・ベガパークの思考の基礎は、ベル・ワーケンによって形作られた。それが『賢者の石』の正体を知って、ルークたちが出した結論だった。
合理性や他者への共感性の低さはワーケンが『賢者の石』はかくあるだろうという予断を持っていた部分であり、またワーケン自身の特徴でもある。性欲のなさは、ワーケンがすでに当時から老人と呼べる年齢だったことに由来するのだろう。
いずれもワーケンが考えたような『同種を持たない生物の特徴』などではない。
「……ま、でも。ある意味幸せだったんじゃねえか? 自分が求めてたクラス7魔法生物なんてものがこの世にいないってことに、気付かないまま終わることができてさ」
「ふむ……。さて、どうでしょうか」
「うん?」
「山で遭難した男は、返ってくる声がただのこだまだということに本当に最後まで気付かなかったんでしょうか? うすうす気付いていても認めたくなかっただけではないんでしょうか? 自分の努力がムダだったこと。自分が探し求めていたものがそもそも存在しなかったこと」
「……意地の悪いことを言うなぁ、お前」
「だからほら、言ったじゃないですか」
デアポリカは冷めた目で、ルークと同じように天井を眺めている。
「実にみじめな人生です。そう思いませんか、ルーク?」
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