第5話 こだまでしょうか

「……これはどういうことだ、ロバート。この資料、火噴き鳥とのクロステストの結果と死体の持つ魔力保存効果の持続性記録が書いてないじゃないか。私はマナラビットに関する研究資料をすべて出せと言ったんだ」

「はい。だから一般公開されている部分をまとめて提供しているんですよ」

「機密事項が書かれた分は渡せないというのか? 貴様、私はこの管理局の元局長だぞ!」

「でも今は部外者ですよね」

「ぐ、この……」


 一瞬拳に思い切り力を込めたアルゴ・ポニークライは、しかしすぐにその拳をゆるめた。

 無理やり口角を上げて作りなれない笑顔を作り、目の前の若造に微笑みかけてみせる。


「そ……それもそうだな。うむ。悪かった、ロバート君。この資料で十分だ」

「え。……はい」


 少しとまどった様子のロバートから、アルゴは『縮小魔法』で小さくなった紙の束を受け取る。


 ――本当に大事な場面で頼りにされず、助けてももらえない。そんな人生を送りたくなかったら、ちょっと生き方を改めてみた方がいいですよ。

 そんなことを、新しい助手がなにやらやたら真剣な表情で言っていた。


 別にそれに感化されたわけではないが、アルゴにも思い当たる節はある。自分が局長という職を失ったときに手を差し伸べてくれる人はどこにもいなかった。

 だからまあ。いち魔法生物学者として生きるにあたって人との接し方を考え直してみるのも悪くないか、とアルゴは思ったのである。


「正直君が渡してくれたデータは私自身でも用意できる程度の価値の低いものだが、これを用意してくれた君の手間と労力には敬意を払おう。ありがとう」

「……はあ、それはどうも」


 まあ、まだまだ適切な接し方を習得できているとは言いがたいのだが。


「しかし……ふむ。君が高危険度生物管理班の班長で、あのフィートが局長か。ずいぶんと出世したものじゃないか。ちゃんとやれてるのか?」

「まあ、僕にとっては身に余る職ではあります。……でもフィートさんはすごい人ですよ。局長業務に従事している時間は短いんですが、指示が的確なおかげでトラブルの数が激減したんです。局員の何人かがカフェの対応に回ることになって人手は減ったんですが、それを補って余りありますよ」

「……ふ、ん。ふん。そうか。そうかそうか。それは素晴らしいことだな、ふん」


 苦虫を噛み潰したような表情でアルゴは何度もうなずく。


 かつて自分が局長でフィートにクビを宣告したときのことを、この建物にいるとどうしても思い出してしまう。

 今や完全に逆転してしまった状況を思うと、どうしてもこういう表情にならざるをえないのだ。


「個人的に特に嬉しかったのが、カフェと提携して魔法生物たちを観光資源として活用する方向性が決まったおかげで……あ、いや」

「ふん。魔法生物の軍事実験がなくなったのが嬉しかったとか言うんだろう? だいたい察しは付く」

「いえ、それは……」

「機密事項は話せないか? いちいち部外者扱いしてくれるじゃないか。……まあいい」


 話を切り上げてアルゴは立ち上がった。

 これ以上追加のデータがもらえない以上、こんなところにもう用はない。どうやら管理局のほうもお呼びではないようだし。


「しかしそれにしても、軍事実験か。ハスターといいワーケンといい、まったくくだらんことを気にするものだな」

「え? ……ハスターさん。それに、ワーケンって」

「君の前々任者のハスター・ラウラルと、私の前任の管理局局長のベル・ワーケン。彼らも魔法生物たちの軍事転用実験に反対していたのだよ」

「そう、だったんですか……。でもそうですよね。軍事実験というものの必要性は理解できますが、生き物を愛する身としては複雑な気持ちになる実験ではあるでしょうから……」

「……ふむ」


 言いかけた言葉を飲み込んで、アルゴは黙って部屋をあとにした。

 最初に情報を秘匿してきたのは向こうの方なのだ。なんでもかんでも教えてやる必要はあるまい。


 そう。教えてやる必要はない。

 ベル・ワーケン元魔法生物管理局局長が、動物愛護の精神から生物実験の中止を願うような人間ではなかった、などということは。





「ベル・ワーケン。俺たちが暮らした孤児院の設立者。お前の記憶に出てきた『先生』は、おそらくこの人だ」

「……ベル・ワーケン」


 それは僕もよく知っている名前だった。

 といってもそれは、暮らしていた孤児院の設立者としてではない。


「『魔法生物学の父』ベル・ワーケン。危険度に応じたクラス1からクラス5までの分類の提唱者。アルゴさんの先代の管理局局長でもある。その人が僕の暮らしていた孤児院を建てた人で……」

「そしておそらく『賢者の石』だったお前に明確な意識を与え、俺と引き合わせた張本人。このへんは憶測も混じってるがな」


『名前がないのは不便だな。うん、君は今日からフィートと名乗りなさい。かつてこの世界に漂流した異世界人が使っていた、距離を表わす単位だよ』


 ……以前、ハルトール王子に内面をぐちゃぐちゃにされたときに取り戻した断片的な記憶を思い出す。

 あのとき僕にフィートと名付けていた、あの人だ。


「……で、だ。どうする? フィート」

「どうする、というと」

「『先生』に会いたいか?」


 ……。

 どうだろう。


「俺はあの人の居場所を知っている。お前が望めば教えることもできる。だが正直なところ、今さらお前があの人に会って『すべての真相』みたいなもんを知ることに、大した価値があるとも思えねえ」

「…………」

「つってもそれは俺が判断することじゃねえしな。お前が決めろよ、フィート。お前はまた『先生』に会いたいと思うか? いったいなんのために自分が意思を持ったのか知りたいか?」


 知りたいか、と言われると。

 まあ知りたくなくはない。けど。


「かつて、ひとりの男が山で遭難したときの話です」

「……。え」

「何日も飲まず食わずでさまよって、男は限界でした。なによりも耐えがたかったのは孤独です。たったひとりで歩き続けることに耐えきれず、男は大声で人を求めて呼びました。するとどうでしょう、どこからか男を呼び返す声が聞こえたのです」


 ……え。

 急になに?


 突然話し出したのは、エルフキャットに埋もれている幼い少女……デアポリカさんだった。

 なんだかじっとこちらを見つめているので、僕に話しかけているんだと思う。たぶん。


「男は歓喜し、声が聞こえる方に向かって歩を進めました。しかしどれだけ歩いても声の主とは会えません。やがて男は誰とも会えないまま力尽きて死にました」

「…………」

「誰かの声だと思っていたものが自分の発した声の反響にすぎないことに、結局男は最後まで気付きませんでしたとさ。おしまい」


 ……拍手を送るべきかな?

 どうリアクションを取っていいのかわからないのは、また僕の人間理解力のなさゆえだろうか。……うん、違う気がする。


「デアポリカ、説明しろ。なんだその後味の悪い寓話っぽいやつは」

「物事の真相なんて、案外つまらないものだ……という話ですよ。あなたの時間は、これから先あなたとあなたの魔法生物が幸せに生きていくために使うべきです。放っておいてもベル・ワーケンが今後あなたの人生に関わってくることはない。私が保証します」

「あ……ああ。アドバイスだったんですね、いまの」


 なるほど。つまりデアポリカさんは、僕が『先生』と再会することに否定的なんだな。


 ……うん。たしかに彼女の言っていることはもっともではある。

 僕の出自がどうあれ、いま僕はとても幸せに生きている。それに正直なところ、かなり忙しくもある。

 いまさら『先生』に会いに行く暇があるなら、ほかにやるべきことはたくさんあるのだ。


「……ま、すぐに決めることはないさ。住所は教えておく。会いに行くかは自分で決めろよ」


 ルークはそう言って、折りたたまれた紙片を僕に渡した。

 おそらくこれが『先生』の住所が書かれた地図なのだろう。


「数年後時間ができてから行ってもいい。まああの人もいい歳だから、それまで生きてるって保証はないけどな」

「わかったよ。ありがとう、ルーク」

「いいってことよ」


 うなずいて僕はその紙片を懐に入れる。

 ……うん。まあ。すぐに行くことはないにしても、知っておくことは悪いことじゃないだろう。





 紙片を渡したルークは、大きく伸びをして言う。


「……さてと。これで俺がこのカフェに来た目的はすべて果たされたわけだ」

「え?」

「お前のカフェの話を聞けた。お前にお別れを言った。『先生』の居場所も伝えた。やれやれ、これで心置きなく……」

「なに言ってるんだよ、ルーク」


 まったく。ルークときたら。

 基本的に優秀な人間なのは間違いないんだけれど、たまにとんでもなくバカなことを言うから困ったもんだ。


「まったくもう、どこが『目的はすべて果たされた』だよ。肝心なところが全然終わってないじゃないか」

「あん? どういう意味だよ。俺はちゃんと……」

「ここは魔法生物カフェなんだよ、ルーク」


 きょとんとしているルークに、僕は呆れ顔で告げる。


「ルーク、話ばっかりでまだちっとも魔法生物たちと触れあってないじゃないか。待っててね、いま人なつっこい魔法生物を何匹か呼んでくるから」

「……は、はは。お前はほんと相変わらずだなぁ、フィート。おう、期待して待ってるぜ」


 なんせルークはまもなくこの世界を出て行ってしまう。

 エルフキャットにもファイアフォックスにもグリフォンにももう会えないのだ。せめて最後に思い切り、この世界の魔法生物たちと最高の時間を過ごしてもらわなくちゃいけない。


 僕ははりきって立ち上がった。よし、まずはミニマナラビットあたりを連れてこよう。

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