第30話 ひとつの物語の終わり

『ふしゃあああああっ!!』


 ひとり暮らしにしては広い一軒家で、1匹のエルフキャットがこちらを威嚇していた。

 赤、青、緑。色とりどりの魔力球が空中に浮かび、剣呑な空気を漂わせている。


「悪いけど、逃げてあげないよ。君の魔法を見て逃げ出した人間は、君の中で『格下』に位置づけられてしまう。君の元飼い主はきっと、この対処を誤って君を扱いきれなくなったんだろうね」

『みゃ……お~ぅ?』

「正しい対処法は、こうだ」


 僕は手をかざし、掌に魔力を込める。

 集約された魔力が、掌の先に魔力球を形成する。魔力が集まるにつれて、魔力球は徐々に大きくなっていく。

 やがて僕が生み出した魔力球は、エルフキャットのそれよりもはるかに大きく膨れ上がった。


『ぐる……みゃおぅ……』

「…………」


 僕とエルフキャットのにらみ合いが続く。

 いまどちらかが生み出した魔力球を使って攻撃を開始すれば。おそらく小さな家は修復不可能なくらいズタボロになってしまうことだろう。


 ……だが、そうはならない。数十秒のにらみ合いののち、エルフキャットが生み出した魔力球は、糸のようにほどけて空中に消えた。


『みゃう』


 そしてエルフキャットはこてんと転がり、僕に向かって腹を見せた。

 服従のサインだ。僕も自分の魔力球を解除する。


 この魔力球を使った互いの魔力の比べ合いは、エルフキャット同士でも頻繁に行われる習性だ。

 自分より多くの魔力を持つ者に、エルフキャットは敬意を払う。血を流すことなく相手との格付けを完了させることができるこの行動は、エルフキャットという種族にとってなくてはならないものなのだ。


「よし、良い子だ」

『みゃう~~』

「いいよ、ミルク。飲んでも」


 僕がミルクを指し示すと、どうやら意図が伝わったらしい。エルフキャットはころりと転がって立ち上がり、また夢中でミルクを飲み始めた。


 ちろちろと舌が動き、魔力入りのミルクが小さな口の中に消えていく。

 ああ、うん。今となっては懐かしいな。

 これが僕、フィート・ベガパークと、デザートムーンの出会いだった。





『みゃ~~』

「……っと。ごめんデザートムーン、ちょっとぼーっとしてたな」

『みゃ』


 どうもぽやぽやとした気分が抜けない。意識をはっきり保つのが難しい。

 たぶん、エネルギーの多くが僕から抜けてしまったせいだろう。はっきりとした思考を行うために消費するエネルギーが残っていないのだ。


「思えば管理局をクビになったときには、こんなことになるなんて思ってなかったなぁ。夢だった魔法生物カフェを開いて、そこに大事な魔法生物たちがいる」

『うみゃぁ』

「……あの日デザートムーンがうちに不法侵入してきてなければ、きっと今とは全然違う未来になってたんだろうね」


 だけど、これだけは断言できる。

 今こうしてデザートムーンたち魔法生物たちと一緒に暮らせて、僕は本当に幸せだ。


「フィート君」

「……? ハルトール王子?」

「なにやら感慨深げなところ、本当に申し訳ないんだけれどね」


 かすみがちな僕の視界は、ハルトール王子が片手を上げるのをかろうじて捉えた。

 ……? なんだっけ、あのポーズ。たしか前にも見たことがあるような……


「僕はまだ、諦めていないんだ」


 掲げたハルトール王子の右手が魔力を纏う。

 ハルトール王子の背後に、無数の魔力球が浮かび上がった。





 そう。

 僕はまだ、諦めていないんだ。


 おおよその状況は掴んだ。ペンダントを外したことで解放されたフィート君の圧倒的な魔力は、どうやら味方陣営への強化として表れたらしい。

 現にデザートムーンの魔力が異様に高まっているのが、銀嘴鶴スカーアイズの感覚器官で確認できる。

 おそらく今のデザートムー君は、とんでもない火力の魔力球を放てるんだろう。


 でも、それだけだ。

 フィート君と違って、デザートムーンは障壁を張れない。

 無数のエルフキャットから放たれる無数の魔力球に抵抗する手段は、今の彼らにはないのだ。


『ふしゃあああああっ!!』


 デザートムーンが毛を逆立ててこちらを威嚇する。

 その頭上に浮かんだ白い魔力球は、すさまじく大きく、すさまじくまぶしく光り輝いていた。


 うん、すごいね。あれで攻撃されれば、こちら陣営のエルフキャットが何匹も吹き飛ばされるはずだ。

 でもそれだけだ。残ったエルフキャットの攻撃が、君とフィート君に炸裂する。


「……ハルトール王子。もう、やめてください」

「やめる? やめるだって? ありえないな! 僕は必ず目的を達する!」


 ずっと遠いはずだったエンペリオを蘇らせるチャンスが、今日突如巡ってきたんだ。

 ここでやめられるはずがない。

 エルフキャット軍団も! フィート君も! なんだって利用して、必ずもう一度エンペリオの顔を見るんだ。


 だってそうじゃなきゃ不公平だ。

 あのエンペリオと同じくらい便利な魔法生物をたくさん持っているフィート君と比べて、これはあんまりにも不公平だ。


「フィート君! 君はすごいよ。本当にすごい。ペンダントを外して解放された魔力がこんなふうに作用しなければ、まだ勝ち目は十分にあっただろうね」

「……王子」

「だけど運命は僕に微笑んだ! 大量のエルフキャットによる波状攻撃に対する回答を、君は失ったんだ! 悪いが僕の勝ちだよ、フィート君!」


 腕を振り下ろす。

 さあ行け、僕の便利なエルフキャット軍団!


 フィート君とデザートムーンにとどめをさしてやるんだ!


「……ハルトール王子」

「ほら! ……ほら! 振り下ろした! 腕を振り下ろしたぞ、お前たち! 腕を振り下ろしたら魔力球から攻撃を放つんだ! 忘れたのか!?」

「王子。エルフキャットには、魔力球の大きさを比べ合うという性質があるんです」


 僕はうしろを振り返った。


『にゃぁ』

『にゃん』

『にょ~~ん』


 あるエルフキャットは、こてんとお腹を見せて転がっていた。

 あるエルフキャットは、地面に伏せてうるんだ目で前方を見つめていた。

 あるエルフキャットは、人間のように後ろ足だけで座り込んでいた。 


 どのエルフキャットも攻撃するどころか、そもそも魔力球を出してもいない。

 明らかに、相手に対する服従のポーズを取っていた。


「カフェの戦いではエルフキャット軍団が店外にいて互いが見えませんでしたし、さっきの戦いでデザートムーンと戦っていたのはハルトール王子だったからこの習性が発揮されることはありませんでした。でもこうして双方向かい合って、互いに魔力球を出し合うような状況なら話は別です」

「……な、あ、え」


 フィート君がなにか話しているが、頭に入ってこない。

 理解できるのはひとつだけ。あったと思った勝ち筋が、そこにはなかった。


「ハルトール王子、もう諦めてください。こうなった以上、もう僕を使ってエンペリオを蘇らせることはできません」

「……は。はは」


 ははは。

 だからさぁ。

 諦められるわけないんだって。


 僕の脚がぐんと縮む。


『ふしゃああああっ!』

「王子!」

「あああああああああっ!!!!」


 僕がフィート君の方に跳びかかる、よりも早く。

 デザートムーンのの魔力球から、すべてを覆うような、真っ白でまぶしい光線が放たれた。


 非現実的なほどの魔力の奔流が僕の体を灼く、その直前。視界の端に白いものが揺れたのがわかった。

 白い光でかき消されそうなそれは、


「……ああ、エンペリオ」


 小さな小さな、1本の白い羽根だった。


「ありがとう。迎えに来てくれたんだね」


 そして、僕の視界は白に染まった。





『……みゃあ』

「……お疲れさま、デザートムーン」


 うまく動かない右手で、ぎこちなくデザートムーンの銀色の毛を撫でる。


「……終わったね」

『みゃ』


 うん。

 ……終わったんだ。これで、ようやく。

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