第25話 ジョーカーを切ってみよう

 モールス信号。


 転生者であるルークの元いた世界で使われていた、ごく簡易的な文字コード。

 英語が日常言語として使われていないこの世界で使う人はどこにもいないけれど、僕だけは知っていた。魔物が跋扈する場所において、人間の声を発さずにやり取りできる手段はそれなりに便利だったからだ。


 僕がツイスタに投稿した記憶は、そのモールス信号を使ったものだった。

 トントントン・ツーツーツー・トントントン。この世界でルークにだけ通じるSOS。


 あまり期待はしていなかった。ルークがどのくらいの頻度でツイスタを見てるかなんか知らなかったし。そもそもルークは最近ずっと忙しそうで、僕もしばらく会ってなかったくらいだし。

 しかし予想に反して、ルークは現われた。


「あ、最初に言っておくとだな。ここはお前の、まあ、言ってしまえば精神世界だ。時間が流れる速度は現実世界より遅いから、落ち着いて説明してくれていいぞ」

「精神世界?」

「厳密に言うと、魔力網を介した精神の接続に不慣れなお前のために俺が作ってやったインターフェイスとしての仮想空間だ。まープログラミング言語が使えない人間がPCを使えるように、理解しやすいUIを整えてやるのと同じことだな」

「……だからさあ。ルークの世界の物でたとえられても僕にはわからないんだって」


 変わらないルークに思わず笑ってしまう。

 それで少し落ち着いて、僕は大きく息を吐いた。


 とりあえず、うん。話しておくべきことはとても多い。


 そうして僕は、僕が置かれている状況をルークに伝えた。カフェへの襲撃。ハルトール王子の目的。僕の正体。ランバーン王子によるカフェと冒険者ギルドの制圧。

 それなりに長い話にはなったが、ルークは神妙な面持ちで黙って聞いていた。


 話し終えた僕に、厳かな表情でルークは言う。


「よし、どう考えても詰んでるな。諦めろ」

「……えーと。いちおう助けに来てくれたんだよね? ルークならこの状況を解決できたりしないの?」

「俺が現地にいればなんとかできたかもな。でもいろいろ事情があって、俺の肉体はそっちに行けないんだ。いまは精神だけお前に繋いでる状態」

「えぇ~~……。役に立たないにもほどがあるなぁ」

「ばーか、なんでもかんでも転生者様が解決してくれると思うなよ。お前の問題はお前でなんとかしろ」


 ひどい言い草だった。

 だけどまあ、一理あると言えなくもない。


「しっかし『賢者の石』なぁ。人間じゃないだろうとは思ってたが、よりにもよって……」

「ルーク?」

「ああいや、なんでもない。……そうだな。そっちに行くことはできないが、ちょっとした手助けくらいはしてやるよ。ツイスタに使われてる世界中に張り巡らされた魔力網。これを設置したのが俺たちだってことは知ってるか?」

「知ってるけど」


 たしかクラウゼル王家と協力して、古代遺物アーティファクトなんかも使いつつルークのパーティが設置したんだっけか。


「設置の時にちょっと細工しといた。特定のパターンで魔力を流し込むことで、この魔力網の管理者権限を書き換えられるんだ。ちなみにいまお前と通信するのに使ってるのもこの魔力網な」

「もしかしていま僕、めちゃくちゃ大規模な犯罪の話聞かされてる?」

「で、だ。この会話を終えたあと、魔力網の管理者をお前に設定してやる。そうすりゃあ、お前の魔力を遠隔地に伝えることができるようになるだろ」


 ……つまりエウレイア公会堂にいる僕が、『desert & feed』や冒険者ギルドに魔力を伝えられるってことか。

 なるほど。それならたしかに……


「いちおう言っとくが、距離が離れるほど伝わる魔力は減衰する。お前の普段の魔力量じゃ、ある程度距離があればまともな魔力を伝えることはできないぞ」

「え。じゃあ意味ないじゃん」

「ばか。普段の魔力量なら、だ。ペンダントを外せ、フィート」


 ……。なるほど。


「ごめん。それは無理だ、ルーク」

「うん? なんでだよ」

「僕はたぶん、ペンダントを外した自分をコントロールできない」


 かつて。

 ゴードンにカフェを襲われたとき、ペンダントは僕から離れた。

 あの時のことはまったく覚えていなかった。思い出そうとすると漠然とした不安感と恐怖に襲われるので、あまり考えないようにもしてきた。


 だけど今日サズラヮ王子に体を切断されてから、おぼろげながらあの時のことを思い出せるようになった。

 世界全部が暗く塗りつぶされたような絶望感。体を突き動かす破壊衝動。存在するすべてのものへの憎悪。


 ぼんやりと覚えている。

 一生懸命に僕の方に駆け寄り、必死で鳴き声を上げる小さな命。

 いま思えばあれはきっと、デザートムーンとナイトライト、それにレイククレセントだったんだろう。


 あのときの僕は、それに気付かぬまま。

 


「むかし言ってたよね、ルーク。ルークの世界でいう魔王って存在は、もしかしたら僕みたいな存在なのかもしれないって。きっとその通りなんだよ」

「…………」

「前にペンダントを外したとき、僕は封じられていた人格に呑まれて暴走状態になってしまった。もしペンダントを外してしまえば、きっと僕は今度こそ魔王としての自分に飲み込まれてしまう」


 前にペンダントを外したときには、なんとか自分を取り戻すことができた。

 だけど。だけどもし、今度は元に戻ることができなかったら。

 きっと僕は王都を壊し、大勢の生き物を殺して。そして最後には、ルークの手によって討たれるんだろうと思う。


「だからごめん。ペンダントを外すという選択肢はないんだ、ルーク」

「……フィート」


 僕の独白を聞いて。

 ルークは、とても大きなため息をついた。


「お前ってやつはほんとに、人の話を聞かねえヤツだなぁ」


 …………。


 ……え、なに。どういう意味?


「言っただろ。そのペンダントは魔力を制限する古代遺物アーティファクトだ」

「うん」

「百回復唱しろ。古代遺物アーティファクトだ。お前の中に悪しき人格が隠されていたとして、それを封印するような機能はそのペンダントにねえよ」


 ……。あー。

 それは、まあ。そうだ。


 いやでも実際に僕は、ペンダントを外したときに暴走状態になっているわけで。


「お前の持つ意思ってのは『賢者の石』としてのエネルギーから生じてるものだからな。ペンダントによるエネルギーの制限がなくなったことでそれに連動した感情のたがも外れて、抑えが効かなくなったんだろうよ」

「…………」

「お前がペンダントを外したときに感じてたって感情……絶望感も破壊衝動も憎悪も全部、カフェを燃やされて大事な魔法生物を奪われたお前自身の感情だよ。得体の知れない隠された謎の人格のせいにしてんじゃねえ」


 ……なる、ほど。


「……言ってることはわかったよ、ルーク。でも結局、同じことじゃない? ペンダントを外せば僕は感情を抑えられなくなるんでしょ?」

「同じじゃねえよ。フィート、自分の感情と向き合ってみろ。お前の中にある感情の中で、いま一番大きいものはなんだ?」


 いま一番、大きい感情?

 そりゃあ……。


 絶望感、だろうか。ルークの言ったように、いまの状況は詰んでいる。このままだとデザートムーンもロナもケガすることになるだろう。それに僕だって、エンペリオ復活のために死ぬことになる。

 ……いや、違うな。たしかに希望の見えない状況ではあるけれど、僕はカフェが焼かれた時のような世界が重苦しような感覚を覚えてはいない。


 怒り、だろうか。ランバーン王子やハルトール王子、僕の大事なものを危険に晒す人たちに対する怒り。

 いや、これも違うな。自分の目的のために戦う彼らに、怒りは少しも感じない。


 というか。

 そもそも、そうだ。なんで僕はこんなにふわふわした気分でいるんだろう。

 さっきからそうだ。僕を弾き飛ばしたデザートムーン。カフェに乱入してきたロナ。それぞれなにひとつ状況を改善させない出来事なのに、なぜか僕に不快感はなかった。


「……。ああ」


 そして僕は、自分の抱く感情の名前を理解する。





「悪いが時間切れだよ、フィート君」


 ハルトール王子が言い終えるのとほとんど同時。

 僕は、自分の首元にかけられたペンダントを引きちぎった。

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