第19話 魔法生物はとっても便利

「寿命ですね」


 急にぐったりしだしたエンペリオを最初に診た医者は、沈痛な顔でそう言った。


 誤診だろうと思ったので次の医者を呼んだが、次の医者も同じことを言った。その次の医者も次の次の医者も言った。シュマグが嫌がらせで医者に嘘をつかせている可能性を考慮して、身分を隠して市井の医者にも診せに行ったが、答えは同じだった。


 寿命ですね。


「フェザーオウルとしてはかなり長く生きたほうです。大往生ですよ」

「栄養面でも精神面でもまったく問題はありません。愛を持って世話されて、きっと幸せだったことでしょう」

「お辛いのはわかりますが、受け入れるしかありません。死は自然の摂理なのですから」

「きっとエンペリオだって、あなたがずっと落ち込んでいることなんて望んでませんよ。生き残った人間は前を向いて進むべきです」


 うるさい。


 同情的な顔で僕を慰めるな。ペットの鳥が死んだからなんだって言うんだ。

 たしかにエンペリオは便利な道具だった。でも死んだなら新しいのを買えばいいだけのことじゃないか。割れた食器を代えるのと同じことだ。


 そう思ったので、僕は新しいフェザーオウルを買った。

 でもそのフェザーオウルには、エンペリオにはあった機能が付いていなかった。


 1年ほどして新しいフェザーオウルがまた寿命で死んだので、僕はまた新しいのを買うことにした。

 今度こそ間違えないように、エンペリオとそっくりなフェザーオウルにした。名前もまたエンペリオにした。


 それなのに。

 それなのに。


 体重も身長も年齢も産地も眼の色も嘴の形もかぎ爪の鋭さも毛の色も鳴き声も起きる時間も寝る時間も甘え方も好きな餌も、全部全部ぜんぶぜんぶ同じフェザーオウルを選んでるのに、最初のエンペリオにあった機能が2番目以降には付いていなかった。


 餌をねだるときに首をかしげるのを見ても、幸せな気持ちになれなかった。

 背中の柔らかな毛を撫でても、胸の奥が暖かい液体で満たされるような感触がなかった。

 すやすやと眠る寝顔を眺めていても、自分が敵だらけの世界にいることを忘れられなかった。

 死にたいとき、死なない理由になってくれなかった。

 殺したいとき、殺さない理由になってくれなかった。


 ペット販売の業者をずいぶんと困らせたのちに、僕はようやく悟った。

 最初のエンペリオに付いていた機能は特別だったんだ。他のフェザーオウルをいくら買い漁っても無意味なんだ。


 だったらどうすればいい。


「……『賢者の石』だ」


 自分の出身国にある至宝のことを僕は覚えていた。その莫大なエネルギーによって命すら蘇らせる、クラスSの古代遺物アーティファクト

 あれを使って最初のエンペリオを蘇らせればいいんだ。

 他のエンペリオと違う、特別なフェザーオウルを。





「いや違うでしょ」


 黒髪のどこかつかみどころのない青年……フィート・ベガパークが首を横に振り、僕の言葉を否定した。


「……違う? なにが?」

「別に最初のエンペリオが特別なフェザーオウルだったわけじゃないでしょう。違うのは王太子殿下の感情の受け取り方のほうです」

「バカな。そんなことは……いや、いい。僕の主観においては、どちらにしても本質的には同じことだよ」

「まあ、それもそうですね」

「そんなことはどうでもいいんだ。……それでフィート君。僕の隠された真の目的ってヤツを暴いて、君の行動は何か変わるのかな?」


 我ながら意地の悪い質問だと思う。フィート君がちょっと困ったように笑った。


「昔のペットを蘇らせたいってのは、世界征服よりは同情を誘う目標かもね。でも僕はその目的のために大勢殺したし、君の大好きな魔法生物たちだって利用してきた。君は今さら僕を許せるのかい?」

「許す……? いや、それは無理ですね」

「そうだろうとも。だから結局のところ、こんな問答は無意味なのさ」


 言いながら僕は歩を進める。一歩、二歩。フィート君との距離を詰めていく。


「たったひとつの命のために多くの命を奪った僕は、君から見れば間違っているんだろう。だけど僕にとってそれは当然の選択だった」

「いや、あの」

「恨まれて当然だ。許す必要もない。僕はただ、自分の目的のために……」

「ええと。王太子殿下は何か勘違いしてるみたいですけど」


 相変わらずちょっと困ったような顔のままフィート君は首を傾げて、


「僕はそもそもあなたのしたことが悪いとも、許せないとも思ってませんよ」


 と、言った。


「……は?」


 ……あまりに意表を突かれたので、つい足を止めてしまったじゃないか。

 急に何を言い出すんだ、この男は。


「……理解、してるのかな。もう一度言うよ。僕は自分の目的のために大勢殺した。君の上司だったハスター・ラウラルも、自分の兄であるウーリ・クラウゼルも、罪もないたくさんの兵士たちも。君のことも殺そうとしたし、君のカフェの魔法生物たちも傷付けた。こんな僕のことを、君は許せるって言うのかい?」

「いやあ。そもそも王太子殿下のしたことを恨んでいるわけでもないので、許せるも許せないもないんですよね」


 本格的に意味がわからない。


「あのね。善人の度が過ぎると聖人だけど、聖人の度が過ぎると狂人だよ。自分の大事な仲間が傷付けられて、君は何も思わないのかい?」

「思わないわけないでしょう。友達を傷付けようとする人間は殺してでも止めますし、知らない人間や魔法生物だって傷付けられるのは不快です」

「……だったら」

「でもそれで王太子殿下を恨もうとは思いません。……そうですね。たとえば肉食獣が草食獣を食い殺す場面を見たとしましょう。命を絶たれた草食獣はかわいそうだし、同情もします。でもそれで肉食獣に怒りを覚えたりはしませんよね?」


 僕はその肉食獣と同じだと、そう言いたいのか。

 そんな。

 ……そんな。そんなはずが、あるか。


「……たとえ話として適切だとは言えないな。その肉食獣は自分が生きるために必要な命を奪っただけだ。僕とはまるで違う」

「自分という命のために他の命を奪うことと、エンペリオという命のために他の命を奪うこと。両者の間に本質的な違いはありませんよ」

「っ……だとしても! 奪う命の数が違う! 僕はこれまでに何百人も殺したし、これから先は戦争で何万人も殺すつもりだった! そんな僕が肉食獣と同じなはずが……」

「いやまあ、それに関してはみんな似たようなものですよ。僕だって毎日のように動物の肉を食べますし」


 気が付けば、僕は言葉を失っていた。

 なんだ、これ。

 目の前の相手が放つ、この異物感はなんだ。


「あらゆる命は、他のすべての命に値札をぶら下げている」


 ごく当たり前の事実を述べるような調子で、フィート・ベガパークは話す。


「値札に書かれた値段はそれぞれごく身勝手な理由で決定され、そして行動を規定します。たとえば、魔王という生き物は人間に害があるから滅ぼそうとか。たとえば、この動物の肉はおいしいから食用にしようとか。たとえば、このフェザーオウルは幼少期からずっと一緒だったから蘇らせようとか。たとえば、エルフキャットは可愛いからカフェを建てて生き残らせようとか。良い悪いじゃなくて、なんですよ」


 ああ。そうか。


「王太子殿下にとってエンペリオに付けられた値段は、失われる命ぜんぶを足したより高かった。ただそれだけのことでしょう。僕がそれを止めようとするのは、僕が書いた値段があなたと違うから。ただそれだけのことです」


 理解できた。なぜフィート君の言葉がこんなに気持ち悪いのか。

 語っている理屈なんてどうだっていい。結局のところ理屈なんてものは、本能と感情を正当化するために後付けされる兵装にすぎない。


 人間が人間を殺すということに対する、絶対的な嫌悪感。

 それは人間という種族が存続するために種に組み込まれた本能だ。

 どんな大量殺人鬼にも、それこそハルトール・クラウゼルにだって。麻痺したり無視したりはされていても、その機能自体は備わっている。

 だがフィート君の言葉からは、その感情が一切感じられないのだ。


 フィート・ベガパークの眼は、太陽よりもまばゆく濁っていた。


「……はは」

「? どうしたんです、王太子殿下」

「いや。やっぱり君は人間じゃないんだな、と思ってね」

「……?」


 いぶかしげに首を傾げるフィート君に、僕はまた苦笑した。


「ありがとう。君の理論は、そうだね。ある種の救いにはなったよ。でもそれよりフィート君、もっと大事な話をしないか?」

「大事な話、ですか?」

「エンペリオを蘇らせる方法についての話だよ」


 フィート君の顔に、ふたたび警戒の色が戻る。


「……さすがに、もう諦めたかと思ってましたよ」

「諦める? はは、まさか。僕ほど諦めの悪い男はそうそういないよ」

「どうするつもりですか? メルフィさんが王位継承権を手にすることは、もはや避けられないと思いますが」

「うん、そうだね。それは間違いない。でもねフィート君、僕はもうどうだっていいんだよ。指輪のありかも、王位継承権も、帝国との戦争も、なにもかもね」

「……え」


 フィート君が驚いた表情をする。

 うん、いいね。びっくりしてもらえてよかった。この公会堂に着いてからは僕の方が動揺させられっぱなしだったからね。


「つい先ほど、帝国に侵入させていた部下から連絡があった。とある不確定情報が真実であると確定した、とのことだよ」

「……その、連絡というのは」

「うん。。20年以上も前に誰かに盗み出されたそうだ。自国の毛に失墜を恐れた帝国は、その事実をずっと隠し続けてたのさ」

「は……」

「笑えるだろ、フィート君? 僕がすがろうとした最後の希望の糸は、最初からそこには存在してなかったんだ」


 僕は自嘲に満ちた表情を作ってみせる。

 笑顔を作るのは得意なほうの僕だけど、きっと僕じゃなくてもその表情は簡単に作れただろう。


 だって実際に、自嘲に満ちた気分だったからね。

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