第10話 撤退戦:『desert & feed』

『みゅ……?』


 カフェにいる全員の視線がハルトールとガウスに注がれる中。

 ナイトライトは、突如目の前に現われた金髪の男を呆然と見つめていた。


 視界の端でちらりと光ったなにかは、きっと振るわれる直前の曲刀なのだろう。

 つい先ほど見た、体をまっぷたつに斬られるフィートさんの姿がナイトライトの脳裏をよぎる。いま思い出しても全身の毛が逆立つような光景。


 あ、そうか。とナイトライトは気付く。


 いまから私は、フィートさんと同じことをされるんだ。





 目まぐるしく状況が変化する戦場において、言葉以外のコミュニケーション手段を持つことは非常に重要だ。

 ゆえにハルトールとサズラヮは、いくつかの符牒をあらかじめ取り決めていた。


 そのうちのひとつが、『一音目が特定のアクセントで発せられた場合、その指示は無視する』というものだ。

 そしてハルトールの「サズラヮ兄様、こちらに……」という指示は、このアクセントを伴って発せられていた。


 ゆえに、サズラヮはこの指示を無視する。従うべきはその直前に発せられた、黒猫を狙えという指示。


『みゅ……?』


 その場にいた全員の注目がハルトールとガウスに集中した瞬間、サズラヮはすでにナイトライトのすぐ目の前に迫っている。

 自分の体を膨大な魔力で打ち出すことによる超加速。短射程なのが玉に瑕だが、きわめて高い不意打ち性能を誇るサズラヮの得意技だ。


 ガウスに殴られる直前、ハルトールは笑っていた。


 ガウス・グライア。本当に救いようもなく愚かな男だ。せいぜいこの一撃で友人の仇でも取った気になって、一時の感情を満たしていればいい。

 現在の盤面において、あの黒猫が持つ戦略的価値はきわめて高い。自分を囮にしてあの猫を取れるというなら、ハルトールは迷いなくそうする。


 ガウスの拳が顔にめり込み、骨がみしみしとへし折られるのを感じる。それでもなお、ハルトールは笑っていた。




 その笑いが消えたのは、ガウスの拳に吹っ飛ばされる寸前。


(……は?)


 ほとんどが拳に覆われた視界の片隅に、ありえないものを見付けたから。


(……なんで)


 この状況に適合する答えを探して、ハルトールの思考はフル回転する。

 一見異常に見える状況でも、考えれば必ず合理的な説明は見付かるはずだ。


 だが。いかに優秀なハルトールの脳と言えど、今回はさすがにお手上げだった。

 制限時間が短すぎた、というのもあるが。それ以上に、この状況はいくらなんでも不可解すぎた。


(……


 つい先ほどまっぷたつに斬られたはずのフィート・ベガパークが、2本の脚でしっかりと立っている、などという状況は。


 答えが見付からないままガウスの拳が脳を揺らし、

 そして、ハルトール・クラウゼルの思考はブラックアウトした。





『みゅ……?』

「おいおいおい、どうなってんだよこりゃあ」


 完全にその場の全員の不意を突いたはずのサズラヮの曲刀は、ナイトライトの体を切り裂く直前で止まっていた。

 止めているのは、超高濃度の魔力障壁。


「っ、『水の槍』!」

『みゃあ!』

『――――』


 一瞬遅れて飛んできた攻撃からひらりと身をかわし、サズラヮはガウスを跳び越えて大きくうしろに下がった。こうなった以上、すぐにナイトライトを排除するのは難しいと考えたのだろう。


「ふふ……。フィート君?」


 異様な状況に困惑しつつ、メルフィは呼びかける。

 無表情でその場に立ち、ナイトライトの方をじっと見ている男……フィート・ベガパークに。おそらくナイトライトを守った魔力障壁は、彼によるものなのだろう。


 その表情には(当然と言えば当然だが)一切の生気がない。そもそも意識がないように見える。

 なにより異常なのは、その腹部だ。いや、厳密にはなにも異常はない。というか、なにも異常がないことがなにより異常なのだ。

 なんせつい先ほどまっぷたつに斬られたはずのその腹部に、傷跡ひとつ見当たらないのだから。


「おいおいおい、フィートフィートフィートよぉ~~! 人間離れしたヤツだとは思ってたが、いよいよもって人間だとは思えなくなってきたなぁ~~!」

「はは、面白え! 確かにこの手で切り裂いたはずなんだがな。……ま、いいか。くっついたなら、もう一回斬れば」


 言い捨てたかと思うとサズラヮの姿が消え、次の瞬間にはフィートの目の前に迫っている。


『くぉ~~ん!』


 が、その曲刀はいち早く飛び込んできた水棲馬ケルビーのルビーに阻まれる。

 身を挺して曲刀を受けたルビーの体は切り裂かれるが、ぬめりを帯びた体はある程度刃を受け流した。


「おらぁ、お前の相手は俺がしてやるよぉ~~!」

「おっと」

『くぅあああぁあ!!』


 さらにガウスが剣を振るい、それをサズラヮが曲刀で受け止める。その隙を突いて突っ込んできたグリフォンのサニーが、首を器用に使ってフィートを背中に乗せ、そのままメルフィたちの方に戻ってきた。


「あーもう、持ってかないでくれよ。……しかしまあ、さすがに人数差がきちぃな。『人数』っつっていいのかわかんねえけど」

「ははっ! マジでなにがなんだかわからねえが、とにかくこっちが有利な状況だってことは間違いねえみたいだな! てめえがいくら強くても、多勢に無勢だ。俺たちの総力ですり潰してやるぜぇ~~!」


 そのままサズラヮとガウスは足を止めて斬り結ぶ。

 悪役顔で悪役っぽい言葉を言い放つガウスだが、発言内容に間違いはないように思われる。

 一瞬でいろいろありすぎたおかげで場は混乱したが、(フィートの謎の復活はひとまず置いておいて)状況は非常に単純になった。ガウスに殴られてハルトールは戦闘不能。それに伴ってエルフキャット軍団も機能不全。あとはサズラヮを全員で叩けば、メルフィたちの勝利……


「ふふ……。いや、違うわね」


 メルフィは首を横に振る。


 ハルトールはなぜこの場に現われた? おそらく常時メルフィに見張を付けていたのだろう。そんな中で、様子のおかしいルルがメルフィと接触したのが注意を引いたのだ。

 メルフィがルルと接触してから、それなりに時間はあった。であれば、いまこの場にハルトールとサズラヮ、エルフキャット軍団しかいないのは妙だ。憲兵団を集める時間はあったはず。


 なぜここに人間の兵士がいないのか? 予想される答えは1つだ。


「ふふ……。ガウス、どうやら聞かれてたわ。あなたが、王家に伝わる指輪を冒険者ギルドに隠したって話。おそらく今頃、冒険者ギルドで憲兵団が捜索大会の真っ最中よ」

「な……なにぃ!?」

「おー、気付いたか。さすが俺の弟。つーか俺の兄弟、マジで全員頭いいんだな」


 指輪はメルフィが第五王子であることを示す唯一の根拠。ここでサズラヮやハルトールを制圧しても、指輪さえ処分されてしまえば、メルフィたちは王族に歯向かった逆賊の汚名を着せられるだけで終わる。


「ちっ、了解した。でも結局やることは変わらねえ! こいつをさっさと制圧して、俺たちも冒険者ギルドへ向かうぞ!」

「ふふ……。いえ、それもおそらくは罠」

「は……罠ぁ?」


 どうも先ほど、ハルトールは自分の身を囮にしてナイトライトを殺させようとしたように見えた。

 それはつまり、ガウスの攻撃を受けてもある程度のダメージで済ませられるという計算がハルトールにはあったということだ。ガウスの攻撃でハルトールが完全に戦闘不能になるならば、その時点でエルフキャット軍団は戦力外になるのだから、ナイトライトを殺させる意味はない。


 ハルトールが用意していると思われる、不明な手段による防御。おそらくこの場の制圧には、ガウスが想定しているより時間がかかる。


「ふふ……。つまりこの状況での唯一解は、最小限の戦力だけを個々に残してハルトールやサズラヮの足止めをし、残りの戦力ですぐに冒険者ギルドを目指すこと」


 店の正面から脱出するのは危険だ。さっき吹き飛ばされたハルトールやエルフキャット軍団が闇の中に潜んでいる。

 だが、この店には裏口もある。そちらから抜ければ、大きな危険を冒すことなくカフェを出てギルドに向かえるはずだ。


 サズラヮと斬り合いながら、ガウスはうなずく。


「了解したぜ、メルフィ~~! 俺ぁここに残って、このクソつええお前の兄ちゃんを止めておいてやるよぉ~~!」

「ふふ……。ありがとう、ガウス。またあとで!」

「おう、またあとでなぁ~~!」


 手短な協議の結果、ガウスの支援要員としてルルとナイトライトがその場に残ることになった。素早く身を翻し、メルフィは出口に向かう。


『みゃ!!』『きゃんっ!』『――――』『くぉ~~~ん!』『くうぁあああっ!』『SHHHH....』


 デザートムーンたち魔法生物(と、サニーの背中に乗ったフィート)もそれに続いた。

 メルフィが裏口の扉を開け、冷たい夜の風の中に身を躍らせる。


「お、や~~~~っと来やがったぜ!! 王子ばっか楽しみやがってよぉ!」

「いえーい! 俺たちすっげえ頭悪いから、捜し物よりこっちで待ち伏せの方が適任なんだってよ!」

「ひゃははははっ! すっげえ馬鹿にされてて笑える! 馬鹿だからしょうがねえけど!!」


 そして待ち構えていたサズラヮ直下の兵士たちに、メルフィはため息をついた。


「ふふ……。ま、そうすんなりとは行かないわよね」

『みゃ!』

「ふふ……。わかってるわ。ここに時間は掛けてられない」


 メルフィの指先に魔力が集まる。


「速攻で突破するわよ」

『くうぁあああっ!!』

『――――――――』


 そうして。

 『desert & feed』撤退戦の火蓋は、切って落とされた。

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