第3話 過去編:ふたりの王子③
「この衣装室で、誰かに会わなかったかい?」
「……あ~~。なんでそんなことを知りたいんで?」
シュマグ・クラウゼル。クラウゼル王国第四王子。現在11歳。
そして、レイアードがこの世で一番嫌いな人間。
「なんでそんなことを知りたいんで、だって? 僕様がいま一番知りたいのは、どうしてカスの下級国民が僕に質問なんかしてるのかってことだね」
「……そりゃあ……」
あまりにも上からの物言いに、ガウスはあっけにとられたようだった。
「キミ、ちょっと調子に乗ってるんじゃないかな? なんか知らないけど、魔王を倒してくれたとかでずいぶん持て囃されてるみたいだね。まったく余計なことをしてくれたよ」
「……余計なこと、ですか」
「やれやれ、学がないというのも大変だ。僕様より5年近く長く生きてるくせにそんなこともわからないのかい? ここら一帯を支配する魔王の一体が死んだおかげで、生み出される魔物が減ってしまったんだよ」
「そりゃ、良いことなんじゃないですか?」
「良いことなものか! 魔物が減れば冒険者ギルドへの依頼が減る。商人ギルドでは武器や薬が売れなくなる。キミのせいでこの国の経済は停滞してしまったんだよ。貧困は魔物よりも人を殺すんだってことが、無学な下級国民にはわからないらしいね」
「……そりゃあ」
ガウスは黙り込んでしまった。おそらくシュマグの言うとおり、そんなことは考えたこともなかったのだろう。
並んだ衣装の列に身を隠しながら、レイアードはイライラして爪を噛んだ。
今すぐ出て行って兄の暴論を論破してやりたい。魔物の減少は物流の改善を促し、中長期的にはむしろ経済に好影響を及ぼすことを指摘したい。シュマグは自分と繋がりのある商人ギルドや冒険者ギルドからの利権が減ったことに怒っているだけだろうとツッコんでやりたい。あの無学で粗野だが優しい冒険者に、あなたのしたことは立派だと教えてあげたい。
だがそれはできないのだ。自分が王宮に忍び込んでいることを知ったら、シュマグは大喜びでそれを離宮への締め付けを強化する理由に使うだろう。きっと自分は二度と離宮から出られなくなる。
それに、そうなったらハルトールにも迷惑がかかる。下手をすると、今は黙認されているペットの飼育にも制限がかかるかもしれない。それだけは避けなくてはならなかった。
「理解してくれたかな? 自分がどれだけ国民の皆さまに迷惑をかけたかってこと」
「…………」
「はは、イイねぇ! 良い表情をするじゃないか。やはり無知な国民を教育するのは気分の良いものだ。……そうだ、気分が良くなったから教えてあげよう。僕様たちはいま、不審者を捜しているのさ」
「……不審者、ですか」
「そうとも。この近くで、小柄な人影がこそこそしているのが目撃されてね。しらみ潰しに捜索しているところだよ」
しまった、とレイアードは歯噛みした。どうやらここに来る途中で誰かに見られていたらしい。
しかも『小柄な人影』というところまでバレている。わざわざシュマグじきじきに捜索に来ている以上、もしかしたら不審者の正体がレイアードであるというところまであたりを付けているのかもしれない。
そして、衣装室の唯一の出入り口はシュマグたちに固められている。いまガウスがレイアードのことを話してしまえば、どうあがいても逃げ場はない。
「というわけで教えろ、ガウス。この衣装室で人に会わなかったかい?」
「……いや、会ってねえですね」
……ふう。
と、レイアードは胸をなで下ろす。どうやらガウスは、じいやの叱責を恐れるメルフィレンディアちゃんを守ってくれる気でいるらしい。
「そうかい? ……ふん、当てが外れたか」
「……あ~、というか。別にその人影ってのも大した話じゃないんじゃねえですか? 小柄だってんなら、いたずら好きな子供がなにか悪巧みでもしてるんでしょうよ」
「……おい。おいおい。おいおいおい」
心底驚いた様子のシュマグの声。
「驚いた。これは驚いたな! 僕の知性とキミの知性の間に天と地の隔たりがあることはついさっき証明してあげたはずなのに、もうそれを忘れて僕に意見するのか!? どれだけ記憶力がないんだ、下級国民ってやつは!」
「……いや、まあ、ひとつの可能性っつーか……」
「そんな可能性などない。教えておいてあげよう。今日は士官学校とのくだらない交流会で、王宮で暮らす子女たちはほとんどが出払っているのだよ!」
「……なっ」
思わず声が漏れそうになった口を、レイアードは必死で抑えた。
……そんなことは知らなかった。士官学校との交流会に直系の王族は参加しないし、王宮の子女たちの動向は離宮には届かないから。
それは、あまりにも間の悪い偶然だった。
「……ほとんどが出払ってるって。たとえば、メルフィ……あの、長ったらしい名前の子も?」
「メルフィレンディアか? なんでそんなことを気にするのかは知らないが、ああ。彼女もそうだ」
レイアードが名を騙ったメルフィレンディアは、いまこの王宮にいない。
いくらガウスが鈍そうな男でも、これほどまでに明白な矛盾を見落としてくれるとは思えなかった。
「…………」
「ふん。そうやって自分の愚かさを今一度噛みしめているといい。さて、衛兵ども。お前たちはこの衣装室を捜索しろ」
「え? しかし王子、この男は衣装室で誰にも会っていないと……」
「……お前もたいがいバカだなぁ、中級国民の衛兵長。こんなに広い衣装室だ、たまたまこのカス下級国民が会わなかった可能性は十分にあるだろう。なんなら衣装の間にでも隠れてるのかもな」
「あ、な、なるほど。失礼しました!」
「……あ~~。王子様。シュマグ王子、でしたっけか」
ガウスが口を開く。
状況は絶望的だった。衛兵たちに衣装室を捜索されれば、レイアードに逃げ道はない。おまけにガウスもきっと、衣装室で出会った嘘つきの少女について申告することだろう。
涙がこぼれそうになるのをレイアードは必死でこらえた。泣いてちゃダメだ。なんとかこの状況をやり過ごす方法を考えなくちゃいけない。
……でも。この状況はどう考えても詰んで……
「この衣装室には、誰もいませんでした」
「……え」
広々とした衣装室に、ガウスの言葉が反響した。
「あん? ……ああ、お前は本当に本当に救いのないバカなんだな。いま衛兵長に言ったことを聞いてなかったのか? これだけ広い衣装室なんだから……」
「誰もいなかった。俺がそう言ったんすよ。シュマグ王子、あなたは俺の言葉を疑うんですか?」
「は? ……おいお前、ついに本当におかしくなったか? つうかなに勝手に立ち上がってんだ」
「俺の言葉を疑うってことは。つまり、ガウス・グライアに喧嘩をふっかけてるってことでいいんですよね?」
「……あ、え」
「いいんですよね?」
レイアードは、ひたすらに混乱していた。何が起きているのか理解できない。
なぜガウスはさっさと自分をシュマグに突き出さないのか。なぜシュマグは急になにも言わなくなったのか。
状況を確かめたくて我慢できず、レイアードは衣装の隙間からこっそり覗き込んだ。
「……え」
そこにあった、光景は。
●
シュマグ・クラウゼルはひたすらに混乱していた。何が起きているのか理解できない。
なぜ目の前の下級国民は突然立ち上がったのか。なぜ自分は急に何も言えなくなったのか。
ただひとつ、理解できたことは。
(……こ、わい)
圧倒的な恐怖。
数秒ほど考えて、シュマグは気付いた。自分はどうやら、このガウスというカス下級国民に恐怖心を抱いているらしい。
そんなことは許されなかった。
「……え、衛兵でも! 僕様を、僕様を守れ!」
「は……はひっ!」
シュマグの言葉に応じて、背後に立っていた衛兵たちがずらりとシュマグの前に並んだ。
丸腰の男相手に、武装した衛兵が10人ほど。過剰とすら言える戦力差だ。
だがそれでもシュマグの恐怖心は消えなかった。ガウスの発する威圧感から、シュマグは直感的に感じていた。こんな衛兵が何人いたって関係ない。この男がその気になれば、いつだって僕様を殺せる。
「守る? 妙なことを言いますね、シュマグ王子さん。俺ぁただ聞いてるだけですよ。俺に喧嘩をふっかけてるのか、って」
「あ……あうあ、あう。こわ、怖くなんかない! 僕様はお前なんか怖くないぞ!」
「そりゃあそうでしょう。天下の第四王子様が、俺みたいな木っ端冒険者を怖がるはずがない」
「ひ……ひぃっ! おい衛兵ども、あとはなんとかしとけ!」
「な、お、王子! 待ってくださいよぉ!」
言い捨て、シュマグは衣装室を駆け出した。衛兵たちもあわててそのあとを追う。
……そして。さらにそのあとに続いて、ガウスもまたのっそりと衣装室から姿を現わした。
「なん、な、ななななんで付いてくるんだ!」
「や、付いていっちゃいませんよ。ただ俺ぁ式典に向かわなきゃいけないんで……」
「向かうなバカ! バカ! 来るな! バカ!」
「やあ、そう言われましても。国王様の名前で呼ばれてるんで、こればっかりは許してください」
「うっ、う、うわああああっ!!」
足をもつれさせて何度も転びながら、シュマグは必死で走ってガウスから逃げた。
シュマグ・クラウゼル、11歳。人生で初めて感じた本物の威圧感と、死の恐怖だった。
●
「見付けた」
静かになった衣装室で、レイアードはひとりつぶやいた。
「見付けた。……僕の、王子様」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます