決着の夜

第1話 過去編:ふたりの王子①

 「ええええええええ!?」とか。

 「そんな……い、今まで失礼しました!」とか。


 本来ならそういう反応をすべきなんだろう、とは思うんだけど。だけどそういうしっかりとしたリアクションを取ってみせるには、ルルさんの言葉はあまりに唐突すぎた。


「……俺が口を出すことじゃねえのはわかってるが。だがメルフィがどんな気持ちで決断したかも知らねえヤツが好き勝手言ってるのは、あまり愉快な気はしねえな」

「まあたしかに、ウチは事情なんてなんにも知りませんケド……。正直、知ったところで理解できるとは思えないですね。王族なんていうとびきり恵まれた血筋に生まれておきながら、その恩恵も責任も全部放り出す人の考えなんて……」

「てめえ……!」

「ふふ……。いいのよガウス。彼女の言っていることは間違っていない。私は確かに、果たすべき責任を放棄したんだから」


 ちょっ……ちょっと待てほしい。勝手に話題を進めないでほしい。

 ……ええと、つまり。


「メルフィさん」

「ふふ……。何かしら?」

「男性だったんですか?」

「ふふ……。身体的にはね」


 まあ、第五王子だというならそりゃそうか。

 たしかにメルフィさんは中性的な顔立ちだ。話し方と服装で勝手に女性だと思い込んでいた。それにゆったりとした魔術師のローブのおかげで、胸の膨らみがないことにも気付かなかったわけだ。


 なるほど。その点は納得した。

 次に気になるのは、


「王子だったんですか?」

「ふふ……。元、王子よ。レイアード・クラウゼルは、7歳の時に突如として王宮から姿を消した。懸命な捜索にもかかわらず王子は見付からず、内部の者の手引きによる誘拐略取として事件は片付けられた」

「で、まあ、その誘拐犯が俺だ」


 お……おいおい。

 僕、もしかしたらけっこうとんでもない話を聞いてるんじゃないだろうか。


「ふふ……。そうね。少し長い話になるけれど、まずは話しておきましょうか。レイアード・クラウゼルが、メルフィリア・メイルになるまでのこと」


 そう言って、メルフィさんは語りはじめた。

 17年前に起きたとある事件と、それを巡る物語について。





 王家の主要な人間が暮らす場であり、なおかつ高位の政務官が日々執務を行う場でもあるクラウゼル王宮。

 随所に芸術的な装飾が施された優美な宮殿は、見る者すべてが息を呑む美しさを誇る。どれだけ王国に敵対的な人間であっても、この宮殿を目にすれば賞賛の言葉を述べずにはいられない。美しさと平和の象徴である銀嘴鶴スカーアイズから取って銀嘴宮シルヴァビークとも称されるこの宮殿は、王都民たちの誇りだった。


 しかしながら。その王宮に隣接する形で存在する小さな宮殿については、王都民の間でもあまり知られていない。

 離宮ノイタォシ。質素な造りの宮殿と、その前に広がるこれまた素朴な庭園から成る離宮。庭園に植えられた植物は生命力の強い常緑樹が中心で、そもそも頻繁に手入れされることを想定されていないように思える。


「あっちだ! いいか、絶対に捕まえろ!」

「くそぉ、ちょこまかとふざけやがって!」


 なにより特筆すべきは、離宮の周りを囲む高い塀だろう。この塀の存在ゆえに離宮はそもそも来訪者の目に付くことがなく、ゆえに話題に上がることも少ないのだ。


 そして離宮から出る門には衛兵が常駐しており、昼夜問わず目を光らせていた。

 出入りは厳しく制限されており、離宮に入るにも、そして許可が必要になる。


「どこだ? まずい、見失った!」

「『軽量化』『筋力強化』」

「離宮の方に行ったぞ。もしかしたら離宮に侵入する気じゃ……」


 そんな離宮ノイタォシの外壁付近で、騒動は起きていた。

 王宮に現われた不審な人物。その人物を追跡してやってきた衛兵たちだったが、どうやら不審人物のことを見失ってしまったらしい。


「やむを得ない。増援を要請して、ここら一帯をしらみつぶしに……」

「『跳音』」


 横合いからがさりと音が聞こえて、衛兵たちはいっせいにそちらに視線を向けた。

 その隙を突いて小柄な人影が高く高く跳躍し、離宮の外壁をふわりと飛び越える。


「音がしたぞ。あっちだ!」

「くそ。絶対にとっ捕まえて侵入経路を吐かせるんだ!」


 衛兵たちは音のした方に駆けていく。

 だが当然そこに不審人物はいない。その人物はすでに、塀を乗り越えてノイタォシ離宮に侵入していた。


 いや、厳密には侵入とは言えないかもしれない。彼はただ、自分の家に帰宅しただけなのだから。


「……なかなか堂に入った不審者っぷりですね」


 突然背後から声をかけられて、不審人物はびくりと肩を震わせる。

 そして大きくため息をついた彼は、フードを取って背後を振り返った。


「……ふー。驚かせるなよ、ハルトール」

「はは、すみません。今日はなかなかの大立ち回りでしたね、兄様」

「まあね。しくじったよ。シュマグのバカがまた衛兵の巡回パターンを変えてくれやがったらしい」

「あはは。執念深いですねぇ、シュマグ兄様も」


 赤い髪を揺らしながらハルトールが笑う。

 対峙する不審人物……レイアード・クラウゼルは顔をしかめてみせたが、すぐにその顔には不敵な笑みが浮かぶ。


「ふふ……。でも収穫はあった。見ろよハルトール、マダム・ハルミラの新作ドレスだ。信じられるか? 他の貴賓用のドレスとひとまとめにして保管されてたんだぜ」

「と、言われても。僕にも正直わからないですよ、そのドレスの良さは」

「そうか? なら待ってなよ、あとで僕が着てるところを見せてあげるから。実際着てるところを見れば、きっとこのセンスが理解できるさ」

「ええ。楽しみにしてますよ」


 レイアード・クラウゼル、7歳。クラウゼル王国第五王子。

 ハルトール・クラウゼル、6歳。クラウゼル王国第六王子。

 彼らはここ離宮ノイタォシにて、なかば幽閉される形で生活を送っていた。


 理由はそれぞれ違う。

 浮世離れした性格で女性ものの服を身につけたがるレイアードは、変人として有名だった。使う魔法も『軽量化』などの生活魔法が主で、王家の血筋にふさわしいものではないと見なされた。父王らはメルフィを国家の恥さらしと見なし、極力人目に付かぬようこの離宮での生活を命じた。

 ハルトールの母親は帝国の皇族だった。クラウゼル王国と帝国の関係は悪化の一途を辿っており、ハルトールの立場はそのたびに悪くなっていった。帝国の皇族の血を引くハルトールを人の目から隠すため、また帝国と交戦状態になったときにその身を人質にするため、父王は彼を離宮に隔離した。……もっとも、実際にはハルトールの身に人質の価値などほとんどないことは、誰もが理解しているところではあったのだが。


 そんなわけで。兄たちから隔離され、使用人にすら蔑まれる彼らにとって、お互いの存在こそが数少ない支えだったのだ。少なくともレイアードは、そのように認識していた。


「あ、兄様。そろそろ戻りましょう。もうそろそろ食事の時間です。部屋にいないとまたうるさいですよ」

「ああ、そうだね。……はぁ、ったく。いい加減なんとかならないかな、この籠の中の生活も。服くらい好きなのを着させてほしいもんだ」

「……あはは。そうですね、僕もうんざりです」

「ま、いいか。僕としてはね、ハルトール。この苦境はハッピーエンドへの前振りだと思ってるんだ。ほら、物語では一度主人公が苦しい立場に置かれるのが定番だろう?」

「相変わらず想像力が豊かですね」

「いつか素敵な王子様が現われて、この鳥籠の中の僕を助け出してくれるのさ。だから僕はそれまでせいぜい美しく着飾って、いずれ訪れる運命的な出会いに備えておくんだ」

「いや、兄様だって王子様でしょう。どっちかというと助ける側ですよ」


 王子様を待ちわびるレイアードに、ツッコミを入れるハルトール。このやり取りも、もはやふたりの間の定番となっていた。


 レイアードの部屋とハルトールの部屋は、少し離れた場所にある。途中で別れることになるハルトールに手を振って、レイアードは自分の部屋へと歩を進めた。


「……さまのどこが……かのとり……」

「ん? なにか言ったかい、ハルトール?」

「……あはは、いえ。なにも言ってませんよ」

「? ……そうか。ならいんだけど」


 こうしてまた、1日が終わる。

 幽閉されたふたりの王子の、これが日常風景だった。

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