第8話 特効薬は火に強い
「……はぁ~~~~」
「どうしたんですか、ルル班長。いつにも増してダラけてますね」
「……ロバート君か。ほっといてよ……」
ルル・マイヤー高危険度魔法生物管理班班長は、自分の執務室の机に突っ伏していた顔を上げ、目の前の男を追い払うように手を振った。
ロバート・レイダス中危険度魔法生物管理班班長は苦笑して、書類の束をルルの顔の隣に置いた。
「別にサボってくれてもいいですけど、すべき仕事はしてくださいよ」
「言うようになったなぁ、ロバート君も……」
「高危険度班はいま一番忙しい部門なんですからね。以前までのルルさんの仕事量じゃ、本当に管理局が崩壊しますよ」
「……例の収容違反で空いた第1、第2セクターの収容室が、なぜか高危険度魔法生物の収容に使われてるからね~~……。局長は何を考えてるんだ、まったく……」
愚痴っぽく漏らすルルに、ロバートは眉をひそめる。
「ハルトール局長は素晴らしい人だと思いますよ。王太子としての仕事もあるのに、毎日熱心に管理局長としての仕事もこなして……」
「あーはいはい、わかったわかった。仕事はやっとくから。ウチの執務室から出て行ってほしいなぁ……」
「……わかりましたよ、もう。それ、こっちの班からの連絡書類ですから。ちゃんと今日の終業までに目を通しておいてくださいね」
そう言って出て行ったロバートを見送ってから、ルルはため息をついた。
目の前の机には大量の書類が積まれている。ロバートが置いていったものだけではない。高危険度魔法生物は取り扱いにおいて上役の決裁が求められるものが多く、ルルの承認を待つ書類が溜まりに溜まっているのだ。
実は高危険度生物管理班班長に承認してからのルルはそれなりに真面目に仕事をしているのだが、それでも書類は溜まる一方だった。あのハスターとかいうおっさん、ああ見えてデキる男だったんだなぁ……とルルは今さらながら感嘆している。
ところで。
実のところ、ルルが今ため息をついたのは、この山積みの書類のせいだけではなかった。
「……相変わらず人気者でいらっしゃるなぁ、ハルトール局長さんは~~……」
昨日、ルルはかなり遅くまで管理局に残っていた。
目的は、ハスター・ラウラルが遺した資料の数々を調べること。
行きずりの強盗によるものとしては、ハスターの死には奇妙なところが多かった。大して金を持っているとは思えない公務員のハスターが狙われた不自然さ。大した抵抗もなくあっさり罪を認めた犯人の潔さ。死の直前にハスターとルルの間で交わされた意味深な会話……。
それらがどうしても引っかかって、ルルは密かにハスターの生前の動向を探っていたのだ。彼が何に興味を持っていて、何を調べていて、何をしようとしていたのか。
自分がそうして調査していることはあまり人に知られるべきではない、という直感があった。だから週に何度か、ほかの職員が帰った頃に残された資料を漁っていたのだ。
ガラにもないことをしている、という自覚はあった。
ハスターの死に裏があったとして、自分がそれを知ってどうなるというのか。
何かにつけて絡んでくるうっとうしいおっさんが死んだとして、それがいったいなんだというのか。
だが。
『ふん。ルル、どうやら俺たち、少し似ているところがあるらしいな』
『……う~わぁ。新人職員を口説くイタい上司だぁ……』
『違うわ。……いや、お前の話を聞いて思っただけなんだけどな。道を究めようとする人間の狂気を間近で見て、自分のどうしようもなく矮小で平凡な未来に絶望したんじゃないか?』
『……詩的な表現だなぁ。まあ……否定はしないですよ』
『実はな。俺もそうなんだよ、ルル』
なぜか気が付くとルルは、夜ごと管理局の資料をひっくり返していた。
そして昨日。それは起きた。
ルルは人目を避けるために、執務室の明かりは付けずに照明魔法の薄い光で資料を探っていた。おかげでエルフキャットの収容室に現われたハルトールに気付かれずに済んだ。
収容室からエルフキャットの群れを連れ出したハルトールに気付き、その行動の異常さからひそかに様子を伺っていたルル。その結果として彼女は、あまりにも重要な場面に立ち会うことになる。
『やあ、ウーリ兄様。こんな夜更けに、管理局に何か用でしょうか?』
ウーリ・クラウゼルのクーデター。そして、
『なかなかのものでしょう? 人間の兵士より簡単に隠せて、人間の兵士よりはるかに強力! 素晴らしい兵器ですよ、この子たちは』
『お前が帝国に間者を放ち、『賢者の石』について探らせていることは知っている。あの石で世界を操る力を手に入れることこそがお前の狙いで……!』
ハルトール・クラウゼルの陰謀について。
そしてハスターの資料を調べていたルルは、これまで繋がらなかったバラバラの情報が線で結ばれていくのを感じた。
管理局の収容違反。管理局の権威失墜。ハルトールの局長就任。エルフキャットたちの捕獲。それらすべてが魔法生物の私兵化のための布石で、真実に近付きすぎたハスターはハルトールによって殺された。
……それで、すべてのつじつまが合ってしまう。
「……合ってしまいは、するんだけどね」
だからといって、ルルにはどうすることもできなかった。
ルルの持つ情報は、すべて自分の目撃談と推測に基づいている。明確な根拠はない。
『記憶共有』の魔法には偽造手段がいくつもあり、証拠としては物足りない。
つまりルルがハルトールを告発した場合、お互いの社会的信用が結果を分けるわけだが……。管理局の不良職員と人望厚い王太子殿下とでは、いくらなんでも勝ち目はないだろう。
「つまり。ウチは偶然にも真相にたどりついたものの、ただたどりついただけ。何一つ変えることはできない、と。ほんと、ガラじゃないことはするもんじゃないなぁ……」
ルルは胸ポケットにその細い指を差し込み、小さな紙の感触を探り当てる。
取り出したのは毛煙草。ルルはふだん煙草を吸わない。この毛煙草は、ハスターが死んだ日にその当人から渡されたものだ。
「こいつはどうしようもない状況の特効薬だぜ、でしたっけ。……はぁ~~」
ため息をついたルルは、火炎魔法で毛煙草の先端に火を付けた。
ハスターの仇を討ちたいという気持ちは、まあ、ある。
国家を陥れ、世界を支配しようとするハルトールを止めたいという気持ちも、まあ、ある。
だが、ルル・マイヤーは聡明だった。聡明であるがゆえに、自分の能力と状況を分析し、自分にできることがないということを正しく認識できてしまっていた。
たぶんこれが、人生で最初で最後の煙草だ。
これを吸い終わったら、もうハスターのことは忘れよう。ルルはそう頭の中でつぶやく。
ルルは毛煙草を口にくわえると、その煙を大きく吸い込み――
「……ん」
吸い込み――
「…………?」
毛煙草は、燃やすと香り高い煙を発する一部の動物の毛を紙に詰めて作られる。
この毛煙草に詰まっていたのは、たぶんジャコウギツネの毛だろう。特に強い香りを発する魔法生物で、こいつの毛で作られた毛煙草は高級品の部類に入る。
だからルルとしてもそれなりに期待して息を吸い込んだのだが……。口の中に入ってきたのは、なじみ深い執務室の空気だけだった。
顔をしかめたルルは毛煙草を口から離し、先端を確認してみる。
「……なんだこれ。ジャコウギツネの毛は本当に先端だけで、ほとんどは……これ、フシチョウモドキの毛じゃん」
フシチョウモドキ。きわめて高い耐火性能を有する、特に不死ではない魔法生物。
ハスターの毛煙草には、そのフシチョウモドキの毛が詰められていた。これでは毛煙草に火が付くはずもないし、当然香りもまったくない。
「おいおい……。最後の最後になんでこんな子供みたいな、いたず、ら……」
愚痴っぽくつぶやいたルルが、何かに気付いて動きを止める。
そしてルルは毛煙草を机の上に置き、中に詰まったフシチョウモドキの毛をほじくり出しはじめた。
数秒ののち。
「…………。マジかぁ~~……」
完全な耐火性能を持った毛の奥から、小さく丸められた紙が現われた。
「……これが『どうしようもない状況の特効薬』? 最後まで気取ったことするなぁ、あのおっさん……」
つぶやきながらルルは、その紙を広げる。
指先ほどの小さな紙だ。当然、そこに記載された情報量も大したものではない。
記載されていたのは、とある男の正体を示すだけのごく短い文章だった。
だがその情報は。
「……お、おいおいおいおいおい。ちょっと待ってよ。そんなバカなことが……」
ルル・マイヤーを心底驚愕させるに十分なものだった。
そして。
「……これが、真実なら」
そしてそれは。
ハルトール・クラウゼルの野望を、阻止しうる情報でもあった。
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