第4話 過去編:王立天馬部隊

 王立天馬部隊に入隊したとき、ロナ・ファッジは17歳だった。


「君がロナ・ファッジか。聞いているぞ。実家が厩舎で、馬の扱いに慣れているそうだな」

「く……クレール隊長! 名前を知っていただけているなんて光栄です!」

「帝国との戦争で、人手はいくらあっても足りない。君には期待しているぞ」

「はい! 頑張ります!」


 ロナには自信があった。

 幼い頃から馬たちと触れ合い、7歳の頃には馬にまたがって草原を駆け回っていた。一緒に入隊した誰よりも、ペガサスを乗りこなせると思っていた。


 だが。


「きゃ……!」

「ロナ! 危ない!」

「だ、大丈夫。立て直したから。……シルフィード! お願いだから言うことを聞いて……!」

『ぎゅるぉおおおおおんん!!!』


 現実は甘くなかった。

 空中で体を制御する感覚になれることができず、演習でロナはいつも一番うしろを飛んでいた。どころか、空中で振り落とされそうになることもしばしばあった。


 ペガサスの希少性から、天馬部隊に入隊する前にペガサスの騎乗経験がある人間はほとんどいない。新人隊員はしばらく王宮でペガサスへの騎乗訓練を積んだのち、一定の実力に達した者から実戦に投入される。

 

 同期の中には、すでに戦闘訓練に入っている者もいる。にもかかわらず、自分はいまだにただ飛ぶことすらままならない。

 ロナの焦りはつのっていくばかりだった。


「ねえロナ。やっぱり相棒のペガサス、変えてもらった方がいいんじゃない? 先輩が言ってたんだけど、シルフィードは誰も乗りこなせたことのない暴れ馬だって……」

「……うん。ありがと。でももうちょっとだけ挑戦してみる」


 天馬部隊隊員には、それぞれ相棒となるペガサスがいる。

 ふつうは適正に応じて厩舎員がペガサスを選ぶのだが、ロナは自分で指定した。練兵場を走る姿を一目見たときから、自分の相棒はこのペガサスしかいないという確信があった。


 だがその確信は間違っていたのかもしれない、とこの頃のロナは考える。

 シルフィードはきわめて気性が荒く、いつまで経ってもロナの言うことを聞いてくれない。おまけに空中制御も乱暴で、乗り手を振り落としたがっているのではないかと思われるほどだ。


 自分が馬に詳しいと思い込んで、思い上がって、ペガサスの専門家である厩舎員の言葉をないがしろにした。その結果が今の状況なんじゃないだろうか。

 クレール隊長をこれ以上失望させる前に、もっとおとなしいペガサスを彼に選んでもらうべきなんじゃないだろうか。


 そんなことを考えながらロナはその日、居残って飛行訓練をするために厩舎へと向かった。





「あ、ロナさん。今日も居残りですか?」


 ロナが入ってきた気配を察してか、厩舎員が顔を上げる。


「はい。ちょっとでもみんなに追いつかなきゃいけないから……。シルフィードの調子はどうですか?」

「悪くなさそうですよ」


 と厩舎員は言ったが、ロナの目にはそうは見えなかった。シルフィードは相変わらず不機嫌で、ロナの方を見てくぐもったうなり声をもらす。


「う……やっぱ威圧感あるなぁ、こいつ」

「あはは。ロナさんから見てもそうですか?」

「そりゃあもう。体はデカいしすぐ怒るし動きは乱暴だし……。正直、選んでもらったペガサスを相棒にしとけばよかったって思うこともあります」


 ぽろっと本音をこぼしてから、ロナはあわてて手を振った。


「っていや、ごめんなさい。こんな話、あなたにもシルフィードにも失礼ですよね。ごめんなさい!」

「ああいや、そんなこと気にしないでください。……でも、そうですか。ちょっと意外ですね」

「意外?」

「ロナさんがシルフィードを選んだとき、なんというか、すごく納得したんですよ。言われてみればロナさんにはこいつしかいないなぁ……って」

「へ……。なんですかそれ。というか正直、結局正しかったのはあなたの方ですよ。あたしはいまシルフィードのこと、ちっとも乗りこなせてないですし」


 ロナは自虐する。


「どれだけ訓練を積み重ねても、あたしもシルフィードもちっとも成長しないし。毎日こうやって居残りして飛行訓練してるのに、ぜんぜん成果が出ないし。クレール隊長もあたしを採用してくれた人事局の人も、きっとみんながっかりしてます。実家のみんなだって、厩舎を継がずに王都に行ったあたしのことを応援してくれてたのに、あたしは何もできない落ちこぼれで……」


 気が付くと、本来さほど親しくない厩舎員にする話ではないことが、口からあふれて止まらなかった。

 いやむしろ、さほど親しくない相手だったことが理由かもしれない。だからこそ飾らずに、自分の思うことをそのまま吐き出していた。


 思いをぶちまけたあとではっと我に返り、ロナは顔を上げる。

 失敗した。きっと相手を困惑させてしまったに違いない。……ロナはそう思ったのだが、


「え……えええええええ……」


 厩舎員は、ロナの想像よりもはるかに困惑していた。


「そ、そんなに困った顔します!? いやいきなり語りはじめたあたしも悪いですけど! いちおうほら、こういう場面だとふつう慰めてくれたりするんじゃないですか?」

「い……いやいやいや。そりゃ困惑しますって。毎日シルフィードを連れて居残りしてたのって、ずっと飛行訓練してたんですか?」

「……ん? 引っかかるとこ、そこですか? そうですよ。あたしはずっと、みんなに追いつくために飛行訓練で残ってたんです。な、なんです? なんでそんなにびっくりしてるんです?」


 厩舎員の困惑に対し、ロナも困惑する。

 突然語り出した自分に引いているのかと思ったが、どうもそういうわけでもないらしかった。


「いやだって。ロナさん、シルフィードが走る姿を見て、こいつを相棒に選んだんじゃないんですか?」

「……え」

「こいつはほら、飛ぶのは苦手ですけど、誰よりも楽しそうに走りますからね。ロナさんはそこに惚れ込んだんだと思ってたんですけど」


 ……そうだ。その通りだった。

 シルフィードを初めて見たときのことをロナは思い出す。練兵場の中を、シルフィードは本当に楽しそうに駆け回っていた。


 その走り姿が、実家で見た馬たちにそっくりで、本当にきれいで。

 だからロナは、シルフィードを選んだのだった。


「初歩の演習カリキュラムだと、走る訓練は一切ないですからね。演習中は地上を走れないから、いつも居残りして練兵場を走り回ってるんだと思ってました」

「……! あ、ああ。だから毎日居残って飛行訓練をしてるって聞いてあんなに驚いてたんですね」

「はい。……ロナさんはたしか、厩舎の出身なんですよね? 地上での騎乗技術は誰よりも優れているはず。きっと、シルフィードとの相性は最高に良いと思いますよ」

「そっか。……そうですね。空を飛ぶのも悪くないけど、私はやっぱり馬と一体になって地面の上を走るのが好き」


 きみもそうなの? と、ロナはシルフィードを見つめる。


『ぎゅるおぉ~~~ん!!』


 シルフィードがいなないた。


 その日ロナは、シルフィードと一緒に練兵場を駆け回った。

 久しぶりに感じる、鋭い風が頬をかすめる心地よさ。

 まるで自分の心と体がシルフィードと溶け合っているような。そんな一体感を覚えながら、ロナとシルフィードは何時間も走り続けた。





「すごいよロナ! めちゃくちゃシルフィードと息合ってるじゃん!」


 不思議と。毎日一緒に練兵場を駆け回るようになってから、ロナとシルフィードは飛行訓練での成績もぐんぐんと向上させていった。


「短期間で成長しすぎでしょ。なんか古代魔法とか使った?」

「ちょっとアドバイスもらっただけだよ。ほら、あの黒髪の厩舎員の……」

「あー、あの人か。めちゃくちゃ優秀らしいよね。たしかクレール隊長が直々に推薦して天馬部隊に入ったんだってさ」

「へぇ……」


 気が付くとロナは、常にその厩舎員を視線で追うようになっていた。

 いつも楽しげにペガサスの世話をする彼のことがどうにも気になって仕方がない。


「……フィート・ベガパークかぁ」


 なんとなく口からこぼれ落ちたその名前を、ロナはしばらく舌の上で弄んだ。

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