第2話 チョコレートケーキとTボーンステーキ

「なあ、兄貴。チョコレートケーキは好きか?」


 突然の問いに、ランバーンは首を横に振って答える。


「いや。甘いもの全般があまり好きではない」

「そうか。俺は大好きだ。だがな、好物だからって三食チョコレートケーキじゃ飽きちまう」

「…………」

「たまにはがっつりとTボーンステーキが食いたくなるわけだ。わかるだろ? それと同じことだよ。俺ぁ確かに雑魚をいたぶるのが大好きだが、そればっかじゃ飽きちまうんだ」


 そう言いながら、くすんだ金髪の大柄な男……クラウゼル王国第二王子、サズラヮ・クラウゼルは曲刀に付いた返り血を拭った。


「なあ兄貴。俺は久しぶりにTボーンステーキが食えるって聞いたから、わざわざ最前線から退屈な王都に帰ってきたんだぜ。それがどうしたことだ。甘くてふわふわで、食いごたえも何もあったもんじゃねえ」

「彼らはウーリが自ら集めた強者たちだ。それが50人規模。戦時ならともかく、この平和の世において彼らほどの難敵はそういないはずだ」


 言いながらもランバーンは、自分の言葉にそれほど確信が持てないでいた。

 なんせその50人の強者は、いまひとり残らず地に倒れ伏しているのだ。


 彼らはウーリとは別に動いていた部隊で、王宮の制圧を目的としていた。それがサズラヮと、彼が連れて来た10名余の小隊によってあっさりと壊滅している。


「王子~。こいつらの死体、漁りがいがねえよ。貧乏人ばっか」

「ばーか、そりゃそうだ。王子も言ってただろ? 貧乏人だからクーデターとかいう一発逆転に夢見ちゃうんだよ」

「かわいそうに。こいつらもそこらへんの奴よりは強かったし、戦争さえやってりゃもっと裕福に暮らせただろうによぉ」

「ぎゃははは! 言えてる!」


 そしてそのサズラヮ直下の部隊は、死体を漁りながら王宮に似つかわしくない下卑た笑い声を周囲に響かせていた。

 眉をひそめるランバーンに、サズラヮが肩をすくめる。


「品のない部下で悪いな。礼儀作法の代わりに効率のいい殺し方ばっかり習ってたような連中なんだ」

「人目に触れる場所では大人しくさせておけ。お前は王国民にとって英雄なんだ。幻滅させるなよ」

「わーってるよ。……はあ。しかしそれにしても、やっぱ戦場でもねえと食いでのある敵にはありつけないか。ハルトールの奴がちっとは急いでくれるといいんだが」


 サズラヮは曲刀を鞘に戻し、ため息をつく。


「そういえば兄貴。あんたはウーリに付かなかったのか? 兄貴みたいなタイプが、私欲で戦争を始めることに同意するとは思えないんだが」

「……戦争には今でも反対だ。だが私がハルトールに敵対することはない」

「へえ?」

「2年前に王政の実権の一部がハルトールに渡って、王国民の暮らしは大きく向上した。人事局の設置によって王政の腐敗は一掃された。物流が大きく改善し、新鮮な果実がいつでも市場に並ぶようになった。勇者と協力して設置した『ツイスタ』によって、遠く離れた友人とも毎日話せるようになった。いずれも、何十年も王太子だった私が思い付きもしなかったことだ」

「はん。まあ全部、国民の人気を得て王太子の地位を盤石にするためにやったことだろうけどな」

「それでも。私とハルトールの間には絶対的な才覚の差がある。あいつが帝国と戦いたがっていることを加味しても、あいつが王になった方が国民は幸せだろう」

「ふうん。それが兄貴がウーリを売った理由ってわけだ」

「私がウーリを売った、だと?」

「違うのか?」

「ウーリが私に話を持ちかけてきたときには、私はすでにクーデターのことを知っていた。その3日前にハルトールから教えられていたからな。ウーリの計画も、人員も、なにもかも」

「は……。なんだそりゃ。はなっからウーリの奴に勝ち目なんてなかったわけだ」


 ウーリは演技の上手い男ではなかった。人心を操るハルトールにとって、ウーリの意図を見抜くことなど造作もないことだっただろう。

 ハルトールはとっくにウーリの計画を見抜き、さらにウーリの配下に自分の部下を紛れ込ませることで、計画の詳細も完全に把握していたのだ。


 それでもハルトールがウーリをあらかじめ取り押さえようとせず、この日まで泳がせた理由についてもランバーンは察していた。

 ハルトールがウーリをおびき出した場所は魔法生物管理局。おそらくその目的は、ついに完成した最強の私兵軍団……エルフキャットたちのの実戦投入なのだろう。


 どこまでも彼の手のひらの上だ。年の離れた弟の手腕に、今さらながらランバーンは畏れを抱く。


「しかし結局、兄貴は俺たちの味方か。そりゃあ残念だな」

「残念?」

「ああ。兄貴が敵なら、ウーリよりはマシな兵力を用意してくれそうだったからな」

「……私がお前らの敵になったら、お前との戦いは絶対に避けるさ」

「んだよ、つれねえなぁ」


 加えて。ハルトールに味方する兄たちもくせ者揃いだ。

 そのひとりがサズラヮ・クラウゼル。王族の身でありながら自ら最前線に立ち、敵を斬り伏せることに至上の喜びを感じる男。

 特筆すべきはその戦闘能力だ。クラウゼル王家は代々高濃度かつ多量の魔力を生まれ持つが、その魔力の才能が戦闘方面に開花するとは限らない。

 しかしサズラヮの才能はそのすべてが戦いに向けられていた。


 かつてサズラヮ率いる100人の部隊が帝国軍と接敵し、蠅の女王ベルゼマムの狂気の霧に飲み込まれた。誰もが第二王子の非業の死を確信したが、サズラヮは生きのびた。霧によって強化された帝国兵100人と、敵に回った王国兵100人。その両方をひとり残らず斬り捨てての生還だった。


 クラウゼル三英雄のひとり、『黄塵』サズラヮ。蠅の女王ベルゼマムに苦戦しつつも王国が帝国と停戦にまでこぎ着けられたのは、彼と天馬部隊の活躍によるところが大きいと言われている。


「……ふあぁあ。ま、いいや。仕事は終わりだよな? 俺は寝るぞ。しばらく王都に滞在するから、あいつらの寝るとこも用意しといてくれ」

「む、わかった。……意外だな。お前のことだから、すぐに前線に戻りたがると思ったが」

「まあ戦争状態でもない現状じゃ、前線っつっても名ばかりだからな。戦いの相手なんて戦災で焼け出された山賊もどきくらいだ。急いで帰るほどのとこじゃねえ」

「王都にはその山賊もどきすらいないぞ」

「はは、なんだよ兄貴。早く帰ってほしそうだな。でも悪いな、せっかく王都に来たからには寄っていきたいところがあるんだ。あそこに行くまでは帰らねえよ」

「……? この王都に、お前が興味を示すような場所があったか?」


 首を傾げるランバーンに、サズラヮはにやりと笑ってみせた。


「魔法生物カフェ『desert & feed』。俺が王都を離れてる間に、ずいぶんと面白そうな場所ができてるじゃねえか」





「ぐあっ……血、血が止まらねえ……!」

「あちぃ、あちいよ……。う、ウーリ。どうなったんだ。計画は……」

「くそ、体が動かねえ。俺たちが。俺たちが止めなきゃいけねえのに……」


 管理局前の中庭は、凄惨たる有様になっていた。

 青々と茂っていた緑は焼き尽くされ、その上を流れる血の赤が塗りつぶしていく。生き残った数名の戦士も立ち上がることはできず、ただうめき声を漏らすのみだ。


 冷たい月の下で、満足げにハルトールが笑う。


「うん、期待以上の威力だ。たった一度の斉射でこの規模の部隊を完全に無力化できるとは。しかもこれが連射可能なんだからね。やっぱり魔法生物ってやつは本当に便利だ」

「はる、とーる……」

「ウーリ兄様。生きてらしたんですね」


 足下から聞こえてきた声。ハルトールは視線をそちらに向ける。


「なかなかのものでしょう? 人間の兵士より簡単に隠せて、人間の兵士よりはるかに強力! 素晴らしい兵器ですよ、この子たちは」

「私利私欲のために帝国と戦争を起こそうとするお前を、見逃すわけにはいかないんだ……! わかっているぞ、お前の狙いは王国や帝国のみならず、世界を手中に収めること……」

「しかもみんな僕によく懐いていて、決して裏切らないんですよ。素晴らしいでしょう?」

「お前が帝国に間者を放ち、『賢者の石』について探らせていることは知っている。あの石で世界を操る力を手に入れることこそがお前の狙いで……」


 ぱぁん、と。乾いた音が中庭に響き渡った。


「こんなふうに、簡単に敵に利用されてしまう従来の兵器とは違うんです。……いてて。この拳銃ってやつ、思ったより反動がすごいな」


 顔をしかめるハルトール。

 足下のウーリが声を発することは、もうない。


 不意に。ハルトールが素早く背後を振り返った。


「……気のせいか。誰かがいるような気がしたんだけど」


 ハルトールは首を振り、倒れ伏した戦士たちの残りの処理を再開した。


 こうして。

 ウーリ・クラウゼル第三王子のクーデターは完全なる失敗に終わった。

 彼とその同志112名は、全員がその夜に命を落とすことになったのだった。


 クーデターの動機は公的には明かされず、『ハルトールが戦争を起こそうとしているという』事実は風説として流れることすらなかったのだった。





 少しして。エルフキャットたちが収容室に戻り、ハルトールが立ち去ったあと。


「……あ~~~~。嫌なもん見たなぁ……」


 月明かりに照らされて、赤みがかった茶髪が揺れる。


「はぁ……。てかこれ、見たのバレたら殺されるよなぁ……」


 ルル・マイヤーは、手の中の毛煙草を弄びながらため息をついたのだった。

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