第21話 死にゆく者たちの狂騒曲①

 アルゴ・ポニークライがグリフォンにボコボコにされ、病院に送られた少しあと。

 ハスター・ラウラルは、ハルトール王太子の私室にいた。


「…………」


 本来ならハスターなど、いや、ハルトール以外の誰も立ち入ることを許されない部屋だ。

 ハスターがここに到達するためには、これまでに築き上げてきた人脈を総動員した上で、さらにかなりの金品を吐き出す必要があった。

 だが。その代償を払ってでもこの私室を捜索する必要がある。……ハスターはそう考えていた。


 ハルトールの部屋は、さほど豪奢に飾られてはいない。配置される家具も一級品ではあるが、見た目の麗しさよりも実用性を重視して選択されているようだ。

 目を惹くのは部屋の隅の止まり木で目を閉じる一羽の白いフクロウ。ハルトールのペットだろう。いまは眠っているようだ。


「…………」


 手際よく、それでいて一切の痕跡をの残さず。ハスターは備え付けられた机や物入れを素早く確認していく。

 ……目を引くようなものはなかなか見付からない。どれもハルトールが一般的な、いや、とても仕事熱心な王太子であることを示すものばかりだ。


 ハスターの表情は変わらないが、その実内心では焦燥に駆られていた。

 今日、今日こそ千載一遇のチャンスなのだ。ハルトールは昼にフィートのカフェを訪れ、そのまま帝国との国境付近の視察に赴いた。今夜は確実に帰ってこない。加えて今日は警備兵も『話のわかる』人間ばかりが配属されている。こんなチャンスはおそらく、もう二度と巡ってこないだろう。


 そして。

 ハスターは、を見付けた。


「……仮面?」


 奇妙な意匠の仮面だった。顔全体に密着するような構造で、口のあたりが大きく膨らんでいる。趣味の悪い舞踏会で着用されるような仮面とも、また少し趣が異なるようだ。


「こ、れは……」

「……おや」

「!!」


 ハスターが素早く身を翻し、短い鉄の筒を扉の方向に突きつける。

 珍しく驚いた表情で固まったハルトール・クラウゼルが、そこにはいた。


「……やあ、ハスター君。こんばんは」

「こんばんは、王太子殿下」

「招待状を出した記憶はないんだけどね。ところで、その鉄の棒はなんだい?」

「勇者ルークが開発した、『拳銃』という武器です。引き金を引けば超高速で弾丸が発射され、防御魔法を使う間もなく対象の体を貫きます」

「……そうかい。ずいぶんと物騒だね。それが招待状の代わりってわけだ」


 ハルトールが扉を閉め、その扉にもたれかかる。

 明確に命の危険に晒されているというのに、その動作にはいくらかの余裕が感じられた。


「たしか、帝国への視察に向かったと聞きましたが」

「うん。どうやら、うちの一般職員が殺人未遂を起こしてくれやがったみたいでね。その対応のために戻ってきたんだ。まったく、行ったり来たりで正直疲れたよ。少しの時間だけでも、そこのベッドで横になろうと思ったんだけどね」

「……すみませんが、休憩の前に俺の質問に答えていただけないですか?」

「いいとも。良き上司は部下の声に耳を傾けるものさ」


 あくまでハルトールは余裕の態度を崩さない。

 そんなハルトールに、ハスターは今しがた見付けた仮面を持ち上げてみせた。


「この仮面はなんです? 単に顔を隠すためのものではなさそうですが」

「おいおい、人の私物を勝手に漁ったのか? ……ふむ。いや、それはただの仮面だよ。今度プーデアの変人じいさんが仮面舞踏会を開くって言うから、ちょっと変わった仮面を作らせてみたのさ。それだけだよ」

「そうですか」


 ハスターが、引き金にかけた指に力を込める。


「おいおい、待てよ。……驚いたな。君が僕になんらかの疑いを持っているのは明らかだけど、こんなところに潜り込んで家捜しをするってことは、決定的な証拠は何も握っていないんだろう? その状況で、王太子である僕を本気で殺すつもりなのかい?」

「……俺自身が疑惑に確信を持てた段階で、この引き金は引きます。どうせ決定的な証拠なんて、あなたは残していないでしょう」

「君の名が、今後永久に王族殺しの大悪人として語り継がれることになっても?」

「それだけ重要な局面だと俺は認識しています」


 ハスターは淡々と言葉を紡ぐ。

 その言葉に本気の殺意を感じ取って、ハルトールは片眉を上げた。


「……さっきから、いったい僕にはなんの嫌疑がかけられているんだい?」

「……いいでしょう。まずはこちらから説明します。魔法生物管理局の収容違反。キリンの暴走。『desert & feed』への放火。そのすべての黒幕があなたであると、俺は考えています」

「へえ? 事件の黒幕だなんて、夢見がちな陰謀論者みたいなことを言うんだね。管理局の収容違反とカフェへの放火はゴードン・バグズの狂気の産物。キリンの暴走は帝国による威力偵察。黒幕なんてどこにもいないよ」

「管理局の生物が蠅の女王ベルゼマムの影響を受けていた謎。キリンがピンポイントで蠅の女王ベルゼマムに狙われた理由。ゴードンの発言から推察される、犯行をそそのかした何者かの存在。そのすべてが、まだ明らかになっていません」

「…………」


 ハルトールは笑顔を崩さない。


「……ポイントになるのが、フィートに対してゴードンが発した言葉です。『火事の責任を取らされて、管理局をクビになる』と彼は言っていたそうですよ」

「ふうん。それの何が問題なんだい? 実際のところ彼への処分は局長同様に一般職員への降格だったわけだけど、大した違いでもないだろう」

「問題はゴードンにどんな処分が下ったか、じゃありません。『自分がクビになる』とゴードンは信じていた。なぜですか?」

「なぜって。そうだな、アルゴ君にそういう話をされたんじゃないか?」

「アルゴ元局長は自分が局長に居座れると信じていた。ゴードンと話すことがあっても、クビになるなんて話はしなかったでしょう」

「……だったら。ゴードン君をそそのかして凶行に走らせたという何者かが、そういうふうに吹き込んだんだろう」

「でしょうね。俺もそう思います。でもどうしてゴードンは、その謎の人物が語った人事情報を信じたんでしょうね? 辞令が下されるまで、その内容はごく一部の人間にしか知り得ない。ゴードンはバカでしたが、少なくともその程度のことは知っていたはずです」


 ハルトールは何も答えない。

 代わりにハスターが、その明確な答えを告げた。


「理由は簡単。。異論はありますか?」

「……ないよ。見事な推理だ。つまり容疑者はわれわれ王族と人事局職員に絞られたわけだね。ああ、ほかに宰相や内務省長官なんかも容疑者かな? それで、君は全員を撃ち殺して回るつもりなのかい?」

「あなたを疑う理由はもうひとつ。あなたが、一連の騒動で最も大きな利益を得た人間だからです」


 ハルトールは大きくため息をつき、呆れたように大きく首を横に振った。


「僕が、一連の騒動で利益を得ただって? 驚いたな。ぜひ教えてくれ。僕はいったいどんな驚くべき幸福を手にしたんだい?」

「言うまでもなく、管理局局長の椅子ですよ。実務経験のない王族が突然の局長就任。管理局への信頼が極端に落ち、なおかつ収容違反の制圧であなたが活躍していた。あれだけの条件がそろったことで、あなたは例外的に局長の椅子を手にしたんだ」

「あははっ! おいおい、勘弁してくれよ。そりゃあ君が局長になりたがってたことは知ってるけどね。僕としては正直、局長就任は国民の信頼を失った管理局を立て直す苦肉の策だと思ってるよ。管理局のトップに立って嬉しいことなんて何もないさ!」

「本当にそうですか?」


 ハルトールが目を細め、ハスターの方をめつけるように見た。

 最初の驚いた顔を除いて、この場でハルトールがはじめて見せた笑顔以外の表情だった。


「……どういう意味かな」

「以前に広報誌で読みました。あなたはずいぶんと前からエルフキャットの保護に積極的だったそうですね。実際、野良エルフキャット捕獲作戦もあなたの主導で行われた。なぜです?」

「また話が飛んだね……。いやまあぶっちゃけた話、お金のためだよ。子供のペットであるエルフキャットを魔獣認定させないでくれという依頼があってだね……」

「バカバカしい。そんな話で騙せるのは、よほど世間知らずで純朴な人間だけでしょう。あなたは力のある王太子で、そんな依頼で手に入る程度の金を調達する方法は無数に持っている」

「…………」


 ハルトールは沈黙する。


「フィートのところのエルフキャット……デザートムーンでしたか。あの子はずいぶんと強いみたいですね。数ヶ月前の段階で、武官学校首席卒業者のルルを撃破している。たぶんそこらの兵士が束になってかかっても相手にならないでしょう」

「…………」

「高濃度の魔力を込めた餌を毎日もらっているのが強さの秘訣なんだとか。ところでいま現在、管理局で保護しているエルフキャットは31匹。あなたは律儀にも毎日、自らの手で彼らへの給餌を行っているようだ」

「…………」

「あなたの魔力は、量はともかく濃度ではフィートを上回っている。彼らはいずれデザートムーン以上の力を手にするはず。しかも毎日餌をくれるあなたにはよく懐いているでしょう。あなたにとても忠実で、どの国の軍隊よりも精強。あなたは局長就任によって、最強の私兵集団を手に入れるわけだ」

「…………」


 やはりハルトールは答えない。

 ハスターはふたたび、拳銃を握る手に力を込めた。


「以上、俺がここに侵入した理由です。さあ、あなたの番ですよ。なんとか言ってください、王太子殿下」

「…………」


 むろん。ハスターが語ったことはあくまで仮定と推論にすぎない。たとえば裁判にでもなれば、間違いなくハスターは負けるだろう。

 だがハスターにとって、そんなことはどうでもよかった。ハルトールが犯人であると確信できれば引き金を引く。それだけだった。


 ハルトールはなにも言わない。

 心の中でハスターは数を数える。5.4.3.2.1……


「たしか。君の質問は、『この仮面はなんですか?』だったね」

「え? ……ええ」

「答えよう。その仮面は、たしかにただの仮面じゃあない」


 ハスターの背中に、ぞわりと冷たいものが走る。


 ハルトールは、笑っていた。

 だがその笑顔は、先ほどまでの笑顔とは決定的に違っていた。


 貼り付けたような、人に好印象を与えるために絶妙に調整された笑顔ではない。

 目をそむけたくなるような無邪気な悪意が、顔全体にくっきりと刻まれていた。


「それもまた勇者ルークの発明品。『ガスマスク』というんだそうだよ」

「ガス、マスク……?」

「うん」


 ハルトールはうなずく。


「魔法生物たちに蠅の女王ベルゼマムの霧を吸わせるときに使ったものさ。ほら、自分まで小蠅を吸い込んじゃったら困るからね!」

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