第17話 手のひら返しの速度には少々自信がある

 私はチメン・ターキース。度胸には少々自信がある。

 裸一貫で商売の世界に飛び込んで、今ではそこそこの規模の商店をいくつか経営するほどの男になった。近所で起きた問題には近隣住民の代表となって対処することも多い。これらはすべて、何物にも臆さない私の度胸によるものだと言えるだろう。

 だがしかし。そんな私にも怖いものはある。


「パパ―! はやくはやくー!」

「ああうん、ちょっと待ちなさいチック。……なあ、やっぱり行かなきゃダメか?」

「うん!」


 私が怖いもの。それは動物だ。


 たしか子供のころはそうではなかった。むしろ動物は好きだった気がする。

 だが子供のころ、大型犬に追い回された。……追い回されたと言っても、見ていた親にあとで聞いたところによると、数秒吠えられた程度だったらしいが。それでも少年だった私にとって、それは動物への恐怖を刻み込むのに十分な記憶だった。

 ともかく。それ以来、私は動物が怖くて仕方ないのだ。


「チック、やっぱり今度にしよう。カフェは今日しか行けないわけじゃないんだし……」

「いいの、パパ? パパがねこまるとねこじろうをいじめてたこと、あの男の人に言いつけちゃうよ?」


 ……あと、この年で私以上の交渉の才をかいま見せる息子にもたまに恐怖を感じる。いや別にいじめてたつもりもないんだけど……。


 結局、情けなくも息子に押し切られる形で、私はそのカフェ……『desert & feed』にたどり着いた、のだが。


「なんだこの行列は……」


 想像以上の人混みに、まずは面食らった。

 ……いや、ちょっと変わった特徴があるとはいえただのカフェだろう? いったいなんで、こんな大量の人が並んでるんだ? 魔法生物ってやつにそこまでの需要があるのか?


「あー、今日まで長かった……。やっと自分の手でエルフキャットを触れるぜ!」

「あたしはルビーちゃん推しかなぁ。あのひやすべっとした感触が最高」

「いやいや、やっぱノムたんでしょ。体に巻き付かれて、ざらざらした鱗を全身で感じたい……」

「えぇ……。いやヘビは怖いって、さすがに」


 行列の人々は、口々にどの魔法生物に触りたいとか誰が推しだとか語り合っている。

 私とチックもその行列の最後尾に加わった。入店できるのはだいぶ先になりそうだな。……まあ心の準備をする時間ができたと思えば悪くないか。


「たのしみだね、パパ!」

「あ、ああ。……しかし変だな。今日が開店初日だったはずだが、みんなやけにここの魔法生物に詳しい気が……」


 ふと漏れた疑問のつぶやき。

 誰に対して発したものでもなかったが、列の前に並んでいた2人組の女性が反応して振り返った。

 どこかで顔を見たような気がする銀髪の美人と、茶髪のくせ毛と大きな胸部が印象的なかわいらしい女性だ。茶髪の子の方が遠慮がちにこちらに声をかけてくる。


「あのぅ……。もしかしてご存じないですか、ツイスタのアカウント」

「ん……ツイスタ? いや、知らないが」

「えっとですね、ツイスタにここのお店の店員さんが記憶がアップロードしてまして……」


 ツイスタ。通信魔法を使った情報網だったか。

 わたしの店でも宣伝に使っているらしいが、私自身はあまり使ったことがない。ええと、たしかこうやって……。


「ああ、空気中の魔力の糸に働きかけるようなイメージで使うとうまくいきますよ。あと、魔力はそんなに使わなくても大丈夫です」

「あ、どうも。ありがとうございます」


 通信魔法に手こずる私に、うしろに並んだフードの男性がアドバイスをくれた。……顔は隠れて見えないが、どこかで聞いた気のする声だな。気のせいだろうか。


 多少手こずりながらも、私はツイスタへの接続に成功した。

 空中にいくつかのアイコンが表示される。いやたしか、実際には空中にはなにもなくて、魔力が私の視界に干渉してそう見せているんだったか。


「……え、ええと。接続できましたか? だったらまずは検索機能を使ってですね……」


 茶髪の女性に言われるがままに操作を進めると、やがてひとつの画像が表示された。これが『記憶』というやつだろうか。

 うながされるままに、私はその画像に指を動かした。


 そして……………


「あの、そろそろお店に入れそうですよ」

「はっ!?」


 気が付いたときには、私は行列の先頭付近にいた。いつのまにか数十分が経過していたらしい。


「へへ。ずいぶんと楽しそうでしたね」

「あ……はは、お恥ずかしい」


 最初にエルフキャットのお腹に顔をうずめる記憶を体験して、次に尻尾が炎のようになったキツネを撫でる記憶を見て……そこからはもう止まらなかった。

 ルイスというカフェの店員がアップロードしている記憶をひたすら見漁っているうちに、いつのまにか時間が経っていた。


 襲われる心配のない『記憶』だったことがよかったのかもしれない。

 この数十分、一切の恐怖を感じることなく、ただただ動物の愛らしさと柔らかな感触を堪能しつづけることができた。


「……私は子供のころ、動物が大好きだったんですが。その頃の気持ちを思い出せたような気がしますよ」

「おおー! それはよかった! 教えた甲斐がありましたよ」

「悪かったな、チック。放っておいてしまって。退屈だったか?」


 目線を下げて息子に問いかける。だがチックは笑顔で首を振った。


「ううん、全然! だって待ってるあいだにいっぱいしゃべって、前のおねえさんたちとうしろのおにいさんと友だちになったんだ! ね!」

「はは、そうだね。うん、僕もこんな小さな友達ははじめてだ。仲良くなれて嬉しいよ」

「とても利発なお子さんだな。私としても、とても楽しい時間だった」

「ええ、ありがとうございます。自慢の息子ですよ」


 背後のフードの男性と、前方の銀髪の女性が楽しげに笑う。

 ううむ、我が息子ながら本当に末恐ろしい男。商人にとって、人と仲良くなるというのは他の何にも代えがたい才能だ。


 まあもちろん、今日チックが仲良くなったのは、単に行列で一緒になっただけの一般人。大したコネクションにはならないが。チックの才能が生かされるのは、もう少し先の話にはなるだろう。


「……ていうかクレール隊長、やっぱあのフードの人ってどう考えても……」

「やめておけ、ロナ。顔を隠しているわけだし、きっとお忍びなんだろう。そっとしておいた方がいい」


 前方の女性ふたりがひそひそと話しているのが聞こえる。……なんの話だ?


 まあいい。話しているあいだにもまた列が進んで、今は前の女性2人が先頭だ。

 どうやらまもなくカフェに入れるらしい。

 ……つまり。もうすぐ私は、恐ろしい魔法生物たちと至近距離で顔を合わせることになるわけだ。


「…………」

「……パパ?」


 ……つまり。

 つまり。もうすぐ私はあのデザートムーンに、ナイトライトに、レイククレセントに、直接会うことができるというわけだ! さわったりもできるというわけだ!


「実に楽しみだな、チック!」

「うん! そうだね、パパ!」


 私はチメン・ターキース。手のひら返しの速度には少々自信がある。

 安全な状態で擬似的に動物と触れあいまくったことによって、私の中にあった恐怖はいつのまにか完全に消え失せていた。今はひたすら楽しみな気持ちしか残っていない。


「お席が空きました。次のお客様、5名様相席でおねがいしまーす!!」


 店内から見覚えのある顔が覗き、聞き覚えのある声でそう言った。うん、これは名前も覚えている。ベガパーク氏だな。


「あ、あたしら相席みたいですね。えーと、チック君と、チメンさんと、ハルト……謎のフードの人」

「そうみたいだね」

「やったー!」


 そういうわけで、我々5人は連れだってカフェに足を踏み入れたのだった。

 いざ、魔法生物カフェ! わくわくするな!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る