第5話 上司との飲み会

「酒が進んでいないな、フィート」


 そう言ったハスターさんの息はかなり酒臭かった。


「遠慮するな、俺の奢りだ。まあもっとも今のお前に金の心配など必要ないだろうが」

「いやまあ、まだ昼間なので。僕はほどほどにしておきます」

「そうか? 俺はおかわりを頼もう」


 上司と飲み交わすお高めの酒。管理局に勤めていた時代には一度もなかったイベントが、なぜか今になってやってきていた。

 式典が終わったあと、帰ろうとしていた僕をハスターさんの方から誘ってきたのだ。僕としてもハスターさんに聞いておきたいことがあったので、ありがたく申し出を受けることにしたわけだ。


「……というかハスターさん、今日は普通に平日ですよね。仕事に戻らなくていいんですか?」

「半休を取った。仕事なんてやってられるか」


 ハスターさんの前に置かれたグラスが、ものすごい勢いで空けられていく。たぶんだけど、あんまりがぶ飲みするようなグレードのお酒ではないと思うんだけどな。


「いまいちよくわからないんですが」

「うん?」

「そんなに局長になりたかったんですか? 一般職員として見ていた感じ、あまり楽しそうな地位にも見えませんでしたけど」

「……ふん。お前の目にはきっと、俺のことが出世に取り憑かれた亡者にでも見えているんだろうな」


 まあ、はい。


「否定はしない。俺は局長になるためにお前を使い潰してきた男だからな。……ただひとつ誤解を解いておくとするならば。局長の椅子は俺にとって手段にすぎない」

「手段……ですか」

「ああ。フィート、魔法生物管理局の設立目的を覚えているか?」


 僕はうなずいた。現職時代、アルゴさんに耳にたこができるくらい聞かされたことだ。


「魔法生物管理局は、魔法生物の多様性の保存のために設立された施設です。魔法という進化の加速装置によって通常の生物をはるかに上回る速度で変化する魔法生物たちを保護、隔離することで……」

「そっちじゃない。本当の設立目的の方だ」

「ああ……。ネクスト天馬の発見ですか」


 クラウゼル王国は、ペガサスの飼育管理と軍事利用によって大きく勢力を拡大した国だ。

 魔法生物管理局は、ペガサスに続く『軍事転用可能な魔法生物』を見付けるために設立された。もちろん表向きには色々と別の理由を付けてはいるわけだが。


「魔法生物たちの生体データは日々蓄積され、兵器としての有用性に応じて点数が付けられる。反応を見るために効果が不確定な薬物を投与されることも決して珍しくない。フィート、この現状についてお前はどう思う?」

「どうって……仕方ないんじゃないですか」

「ほう? 意外だな。お前は怒りを感じていてもおかしくないと思っていたが」


 そりゃあまあ、魔法生物での生体実験なんてないに越したことはないけど。でも、


「基本的に管理局の魔法生物たちは、野生よりもはるかに安全で快適な生活をしてますからね。人間にとって実益があるからこそ、莫大な予算を投じて魔法生物たちを保護しているわけで。人間と魔法生物、双方にとって得になっているなら問題ないと思いますが」

「ふむ。それもひとつの理屈だな。だが先代……いや、もう先々代か。先々代の局長はそう思わなかった」


 先々代局長か。僕が管理局に入った頃にはもういなかったから、一度も会ったことないんだよな。


「先々代局長は、管理局における生体実験に心を痛めた。そして誓ったんだ。管理局における魔法生物たちの軍事利用を完全にやめさせる。『表向きの設立理由』そのままの組織を実現させるとな」

「……そんなこと、できるんですか?」

「少なくとも先々代局長は失敗した。目的を遂げる前にその職を追われたんだ」


 ハスターさんがグラスを傾ける。


「もしかして、ハスターさんが局長職にこだわるのって」

「ああ。俺は先々代局長の意思を継ぐ。局長になったら、管理局における軍事実験を撤廃する方向で進めるつもりだった」

「……そうだったんですか」


 意外だった。ハスターさんは、それほど魔法生物たちへの愛情が深いタイプには見えなかったから。

 そんな僕の表情を見て内心を察したのか、ハスターさんは苦笑いしてみせた。


「ふん。お前の想像通りだよ。俺は別に博愛主義者じゃない。どちらかと言えばフィート、さっきお前が言っていた理屈の方が俺の考え方に近い」

「だったらどうして……」

「先々代局長に恩がある」


 またグラスが傾く。琥珀色の液体が光を反射して揺れた。


「孤児で体が弱く、魔力もほとんどない。どん底だった俺を拾って、生きる術を叩き込んでくれたのが先々代局長だった。もう老い先短いあの人が死ぬ前に、あの人が目指していた景色を見せてやりたい。それだけだよ」


 …………。

 なるほど。局長に就任できなくて、ここまで荒れていた理由がわかった。


「ふん、酒のせいで喋りすぎたな。だいぶ酔いが回ってきたらしい」


 そう呟いたハスターさんの顔は、ちっとも酔っているようには見えなかった。


 ……いや、それもおかしいんだけどね。こんだけ飲みつづけててなんで酔う気配がないんだ。酒に強すぎだろ、この人。


「さてと。悪かったな、フィート。くだらん話に付き合わせた」

「あ、いえ」

「礼の代わりと言ってはなんだが、あれだ。解説してやるよ。式典中のランバーン王子とのやり取りが気になって、わざわざ俺の酒に付き合ってくれたんだろ?」


 ああ……そうだった。思いのほかハスターさんの語りが濃かったので頭から抜けていた。

 ハスターさんとランバーン王子の、式典中の意味深なやり取り。あのやり取りの意味が妙に気になって、僕はハスターさんの誘いを受ける気になったのだ。


「あの時はずいぶん深刻な表情でしたね」

「深刻な話だったからな。……ふん、端的に言うとだな」


 ハスターさんが毛煙草を取り出し、火炎魔法で火を付ける。


「どうやらまもなく、戦争が起きるぞ」

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