第29話 おはようございます

 キリンの暴走で荒れに荒れた王都だったが、『desert & feed』周辺の区域はどうやら被害を受けずに済んだらしい。

 さすがに異変は伝わっているようで、行き交う人々はあれやこれやと根拠に乏しい噂話に忙しそうではある。ただその景色は日常のそれとさほど変わるわけでもなく、立ち並ぶ商店も普通に営業しているようだ。


「まいどー」

「ありがとうございます」


 とはいえ時刻は夕暮れすぎ。そもそも営業時間を過ぎてしまった店が多く、目当てのものを手に入れるのにはちょっと苦労した。


 店主にお礼を言って、僕は食料品の入った袋を受け取る。

 中身は生魚だ。もう片方の手に持った袋にはほかの店で買った鶏肉とリングの実が入っている。それぞれデザートムーン、ナイトライト、レイククレセントの好物だ。


 帰りが遅くなったときのために晩ご飯は用意してから出かけたので、お腹を空かせて待っていることはないと思うけど。とはいえ、ずいぶん帰りが遅くなってしまった。心配させてしまった分、お詫びの品は必要だろう。


「心配……してくれてるかなぁ」


 ……普通に寝てそうな気もするなぁ。普段ならこの時間はお店を閉めてご飯を食べ終えた頃。お昼寝にはだいぶ遅い時間だが、デザートムーンたちはよくこの時間にすやすやと眠っている。


 ま、寝ちゃってるならそれはそれでいいんだけど。僕も正直、帰ったら即ベッドにダイブしたいくらいには疲れてるし。

 ……というかそういえば、魚と鶏肉に注ぎ込むだけの魔力も残ってないなぁ。おやつ用の魔力が回復するのに多少は時間がかかるだろうし、なんならちょっと寝ててくれた方がありがたいかもしれない。


 そんなことを考えながら家路を急いでいた僕は、

 うしろから大男が足早に近付いてきていることに、自分の背後に立たれるまで気付かなかった。


「……え」


 気配を感じて振り返る。

 そこにあったのは、見覚えのある顔だった。


「……え、なんで?」

「ああいや、すまんな。ちょっと気になったもんで」


 見覚えがあって当然だ。

 立っていたのは、先ほど僕が生魚を購入した鮮魚店の店主だった。


「あんた、ほら、あれだろ。なんか突然エルフキャットが襲ってくるスリリングな飯屋を経営してるっていう」

「そ……そんな話になってるんですか。いやまあ確かに、僕はエルフキャットカフェの店主ですけど」


 ちょっと意外だった。この店主さんはわりと年齢層高めで、少し前までそういう年代の人にはエルフキャットカフェのことはあまり知られていなかったはずだから。

 どうやら『desert & feed』の知名度は、僕が思っている以上に上がっているらしい。……伝わり方はともかく。


「やっぱそうか! じゃあよあんた、そんなのんびり歩いてねえで、ダッシュで店に戻った方がいいぞ」

「……? まあ急いで帰るつもりではいますが、どうしてです?」

「だってよ、ほら。あれ見てみろよ」


 店主が右斜め上方、僕の店があるあたりの方角を指さす。


「あんたの店、あのへんだろ?」

「ええ。……えっ」

「気付いたか? 煙が上がってる。あんたの店だかその近くの家だか知らねぇが……ありゃあ火事の煙だぜ」





「あひゃっ、あ、あひゃっひゃひゃはははははははっ!!!!」


 ゴードン・バグズは笑っていた。


 自分でも何がそんなにおかしいのかはわからない。

 ただ、楽しくて楽しくて仕方がなかった。笑えて笑えて止まらなかった。


 ゴードンの目の前で、『desert & feed』が燃えている。


「ああっ、あはっ、あはっ、ははははははっ!!」


 ああ。今でも思い出せる。

 炎を消すという名目で自分を攻撃してきたあのクソ猫。

 病院では『ケガのほとんどが火傷によるもので水魔法による影響はほとんどない』と言われたが、どう考えても嘘だった。

 大ケガの原因が狐による火傷ということになれば、それはあの狐を攻撃したゴードン自身の責任ということになる。おそらく若くして出世したゴードンを妬んで、ハスターあたりが医者に金を握らせたのだ。


 何度それを訴えても、以外は誰も取り合ってくれなかった。

 アルゴ局長ですらも味方してくれなかった。あんなに毎日媚びてやっていたというのにだ!


 だからゴードンは、復讐することにしたのだ。


「なっ……」


 背後で、驚愕に息を呑む声が聞こえた。


「あはぁ……。来たな、フィートぉ……」


 ゴードンが振り返る。


 予想した通り、そこにはフィート・ベガパークがいた。

 予想以上だったのはその表情だ。どれだけ無理難題を押し付けてやっても苦痛に歪むことのなかったその顔に、絶望にも似た恐怖が浮かんでいる。


「待ってたぜフィート。俺はなぁ……」

「デザートムーン! みんな!」


 フィートはゴードンを無視し、必死の形相で『desert & feed』に駆け寄ろうとする。

 ゴードンはそんなフィートを横合いから思い切り殴り飛ばした。


「がっ!?」

「俺を無視してんじゃねえよ!!」


 地面に転がったフィートを蹴り飛ばす。踏みつける。無理やり起き上がらせてまたぶん殴る。


「よおフィート! 久しぶりだなぁ!! お前があのクソ猫に俺を攻撃させた、あの日以来じゃねえか!!」

「がっ、あ、何を言って……」

「もう全部わかってんだこっちはよぉ!! ふざけやがって!! 管理局のときに指導してやったことを逆恨みして、俺に攻撃してきたんだろうが!! おかげで俺はあの火事の責任を取らされて、管理局をクビになるんだってよぉ!!」


 顔を掴んで地面に叩きつける。

 苦痛に呻くフィートの顔面をさらに思い切り蹴り上げる。

 頬骨が折れる感触が脚に伝わってきて、ゴードンの体は歓喜に震えた。


の言う通りだ。能力のない奴はすぐ自分を棚に上げて、責任を他人に転嫁したがる! なあおいフィート、弁解があるなら言ってみろよ!」

「て……くれ……」

「あん?」

「話は、あとで聞くから。頼むから、今は店に向かわせてくれ。中でデザートムーンが、ナイトライトが、レイククレセントが……」

「……あはっ。あっ。あはははははあはははっ!!!!」


 ゴードンは爆笑した。


「おい。おいおい。おいおいお~い!! 現実見えてなさすぎだろ!! あはっ、あの燃えっぷりが見えねえのか?」

「ぁ……」

「猫だろうが狐だろうが、とっくに死んでるに決まってんだろ!! あははははっ!!」


 フィートの胸ぐらを掴んで無理やり体を起こさせる。

 その絶望に満ちた表情は、さらにゴードンを高揚させた。


「あの猫は俺自身の手でぶち殺したかったんだけどなぁ。せっかく正面の扉だけ火勢を弱くして逃げ場作ってやったのに、いつまで経っても出てきやがらねぇでやんの。お昼寝でもしてたのかね」

「はぁ……!! はぁっ……!!」

「でも想像すると、想像するとよぉ! それはそれで最高だよな!! あははっ!! 目が覚めたらもう周りは火の海で、逃げることもできずに体を焼かれるんだ!! あのクソ猫にはお似合いの末路だ!!」

「あ……ああああああああああああっ!!!!」

「あはははははははははははははっ!!!!」


 ゴードンは渾身の力を込めて、絶叫するフィートの顔面を殴り飛ばす。

 胸ぐらを掴んでいた左手の中に、引きちぎれた衣服の断片が残った。

 吹き飛ばされたフィートは数メートル先の地面にぐしゃりと転がる。


「ははっ、はははっ!! お前は良い子だなぁ、フィート!! クソ猫と違ってちゃんと俺に殴らせてくれる!! まだまだこんなもんじゃすまさねえぞ!! 俺は……」


 ふと、ゴードンは左手の中に冷たい金属の感触があることに気付いた。


 手を開いてみる。先ほどちぎれたフィートの服の断片と一緒に、簡素な装飾が施された銀製のなにかがあった。

 どうやらフィートが首にかけていたペンダントが殴った拍子に切れたらしい。


「ちっ、くだらねぇ」


 どうでもいいことだ。ゴードンはそのペンダントを投げ捨てて、フィートに向かって足を進める。

 足を進める。

 足を進め…………


「あ……あぁ? なんだ?」


 足を進めたはずなのに、なぜかフィートとの距離が縮まらない。

 数秒考えて、ゴードンはその理由に気付いた。進めようと上げた足が、無意識のうちにうしろに下がっている。


「あ……あぁ?」


 少し先で、倒れていたフィートが起き上がる。

 それを見たゴードンは、自分がいまい抱いている感情の名前に気付いた。


 その起き上がり方は……なんと形容すべきだろうか。ともかく、人間の起き上がり方としてはきわめて不自然であったことは間違いない。

 人体としてあるべき重心移動を無視した動き。

 それはまるで。


「あ……ぁ……」


 足が震える。力が入らない。

 見慣れているはずの男が、まるでまったく知らない生き物のように見える。


 ゴードン・バグズは、いま。

 目の前にいるフィート・ベガパークに、底知れない恐怖を感じていた。

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