第25話 最悪よりも最悪ほど最悪ではないがそれなりに最悪な

 がきぃん! と。

 硬いものと硬いものがぶつかり合う激しい音が、ルイスのすぐ後ろで聞こえた。


「ールさん……え?」

「君はたしか冒険者ギルドのルイスだったな。すまない、巻き込んだ」


 クレールは、苦痛に顔を歪めながら槍をキリンの方に構え直し、ルイスの肩を引いて自分の背後に隠す。


「走って。できるだけ遠くに逃げるんだ」

「く……クレールさん、戦うつもりですか!? 無茶ですよ、そんな傷で!」

「……なんてことないさ、この程度の傷」


 クレールの脇腹からはこうしている間にも血が流れ続けている。

 キリンの攻撃ではありえない、鋭い刃物による刺し傷。

 つい先ほど、部下の槍によって深々と貫かれた傷だった。


 クレールを含む天馬部隊の精鋭たちは、順調にキリンを追い詰めていた。

 雷雨の中の飛行は天馬部隊にとっても困難なものではあったが、それは帝国との戦いにおいて何度も経験した程度の困難でしかなかった。

 吹き荒れる巨大な雹をかわしながらクレールたちはペガサスを巧みに操り、現場到着からわずか数分ほどでキリンを射程圏内に捉えたのだ。


 だがその優勢がわずかな油断を生んだ。

 突然あふれ出した黒い霧に、3名の天馬部隊員は飲み込まれた。

 クレールはとっさにスノウウイングを急上昇させて難を逃れたが、無理な空中制御で体勢が崩れたのが良くなかった。立て直しにもたついたわずかな時間で、部下が投げた槍がクレールの脇腹に突き刺さる。


 傷は深かった。キリンの猛攻をしのぎながら部下とそのペガサスの意識をどうにか刈り取ったところで、さすがのクレールにも限界が訪れる。回避しきれずに受けた氷塊の直撃で、バランスを崩したクレールはスノウウイングから落下した。


「いっ、いやいやいや! はやくちゃんとした治療を受けなきゃ本当に死にますよ! ほらその制服ももうめちゃくちゃ赤くなってますもん! ほらっこの、このにんじん見てください!! このにんじんより赤いですからクレールさんの脇腹!!」

「落ち着いて。大丈夫だよ。大した傷じゃない。君の手当が良かったおかげで、だいぶ出血も止まってきた。治療ならあの一角獣を片付けた後でゆっくり受ければいいさ」

「でも……っ!」

「さっきはイレギュラーな事態のせいでダメージを負ったが、あのキリン自体は大した敵じゃない。十分に対処可能さ。……わかったら早く逃げなさい」


 嘘だった。

 先ほど勝利目前にまで迫ったとはいえ、強化されたキリンの強さはかなりのものだ。重傷を負った上に部下も失ったクレールが勝てる相手ではなかった。


 だがクレールは、そんなことを口にしない。

 厄介そうな敵も30秒で片付けるとうそぶき、勝てない敵を前にしても堂々と胸を張る。その言葉が部下を鼓舞し、市民を安心させるのだ。

 戦場でイキがることは、ほとんど習慣のようになってしまった天馬部隊隊長としての仕事のひとつだった。


『――――――』


 キリンは空中でステップを踏みながら、こちらをじっと見つめている。

 先ほどの戦闘からクレールを警戒しているのだろう。だがキリンとクレールの距離は徐々に縮まりつつあった。本格的な戦闘状態に入るのも時間の問題だ。


「いいか、私が合図したら走り出すんだ。同時に私がキリンに攻撃して注意を引きつける」

「……っ。わかりました。でも絶対、絶対死なないでくださいね!」

「当然だ。……シルフィードも、わかったな。ちゃんとこの子をエスコートするんだぞ」

『ぎゅるおぉぉ~~~ん!!』


 クレールが一歩足を前に踏み出す。それに対応して、キリンの動きにもより緊張の色が濃くなる。


「3,2……」


 クレールが槍を掲げる。

 キリンの周囲に青い火花が散る。


「1……」


 覚悟を決めた表情のルイスが、足に力を入れる。

 シルフィードも翼を折りたたみ、素早く走り出す準備の態勢に入った。


 そして、


「走『にゃ~~~ん!』」

「はしにゃーん?」


 はしにゃーんだった。

 ルイスとシルフィードの足は、走り出すために上げられたまま中途半端なところで止まっていた。無理もない。「走れ」と言われれば即座にスタートを切っていたところだろうが、「はしにゃーん」では足の下ろし先に困ってしまう。


『にゃぁ~~~~』

「すみません。どうもこいつ、雰囲気が深刻であればあるほど邪魔したくなるらしくて」

「そっ! ……その声、フィートなのか?」

「なかなか大変そうですね、クレール隊長」


 クレールはちらりとうしろに視線を向ける。

 ルイスが持つ水晶玉に、フィート・ベガパークの顔が映し出されていた。


「見たところ隊長は暴走状態ではないみたいですね。だったらまあ、なんとでもなるか」

「なんとでもなるわけあるか。見ろこの傷、めちゃくちゃ痛いんだぞ!」


 えぇ……とルイスは思った。大した傷じゃないんじゃなかったんかい。


「我慢してください。で、どうです? キリンは倒せそうですか?」

「絶対無理だな。今の状態じゃ、まず近付く前に氷に押し潰されて死ぬ」


 えぇ……とルイスは思った。十分に対処可能じゃなかったんかい。


「そうですか……。じゃあしょうがないですね。ルイス」

「あ、はい」

「予定通り、シルフィードと一緒にスケールスネークのところまで来てほしい。ただ予定を変更して、シルフィード以外にも一緒に連れてきてほしい」

「は、はい。クレールさんも一緒に来てもらうんですね。わかりました」

「うん。それもそうなんだけど、もう1匹」

「え?」

「キリンのことも一緒に誘導して、スケールスネークの体内まで連れてきてほしいんだ」

「え?」





「……というわけで。もうすぐここにキリンが来ます」

「な……なんで?」


 至極もっともなロナの疑問に、僕はうなずいて答えた。


「なりゆきで」

「そっかぁ……」

「いやまあ、なりゆきではあるんだけど。ただキリンを相手にするのに、この胃袋の中はそれなりに悪くない戦場ではある」


 僕の言葉に、ロナはちらりと馬車の外に視線を投げる。

 ぐにぐにと蠢く胃壁。定期的に吹き出す胃液。

 あまり見目麗しいとは言えない景色ではあった。だがどうやら、ここが決戦のバトルフィールドになるらしい。


「……どのへんが悪くない戦場なのかはいまいちわかんないけど。それに、フィートもさっきの通信魔法でほぼ魔力使い切ったんでしょ? あたしは多少戦えるにしても、ピーターさんとフレッドは非戦闘要員だし。クレール隊長が苦戦するような相手に勝てるわけなくない?」

「うん。正直厳しくはある」

「えぇ~~……」


 ロナは不満げに嘆息した。

 まあ、うん。気持ちはわかるが、やるしかない状況ではあるのだ。

 クレール隊長が継戦困難な状態に陥ったいま、王都の安寧はわりと僕たちにかかっていた。

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