第24話 最悪よりも最悪な

「うおおおおおお! ルビー見えるか!! お前のお腹の肉めちゃくちゃうめえぞ!! ほどよく脂がのっててとろける舌触りだぜ!!!」

『くぉ~~~ん』

「いやフレッド、嬉しいのは分かるけどちょっと落ち着きなって。冷静に考えたらやってることだいぶサイコパスだよ」


 水晶玉の通信を終えると、馬車の中は大騒ぎになっていた。どうやらルビーちゃんが目を覚ましたらしい。


「よぉ、お疲れさま。すげえ集中力だったな。もしかしてこの騒ぎにも気付いてなかったか?」


 僕の隣で様子を見守ってくれていたらしいピーターさんが少し呆れたように声をかけてくる。


「ええ。注ぎ込んだ魔力を使っての魔力探知で、想像以上に神経を使いました。……でもその甲斐はありましたよ。まもなく脱出出来そうです」

「ふむ。ペガサスを1匹ここに連れてこさせるんだったか」

「ええ。ごく単純な計画です。ペガサスを連れてきて、空を飛んでここから脱出しましょう」


 ルイスにシルフィードをスケールスネークの体内に運んでもらう。落下してくるルイスは僕の魔法で受け止める。シルフィードに僕とロナが乗って体外に脱出。僕がスケールスネークを無力化してから、体内に残っている人と魔法生物をロナとシルフィードが運び出す。


 自分でも言ったが、ごく単純な計画だ。


『……しばしば誤解されるが、単純であることは複雑であることよりも優れている』


 ふと、むかし受けた忠告を思い出す。


『フィート君、計画の複雑性はできるだけ下げなさい。きみが生き物を相手にするなら、不確定要素は常に付きまとう。要素が多いほど計画は破綻しやすくなるし、フィールドワークにおける計画の破綻は往々にして死を意味する』


 ……これ、誰に聞いた言葉だっけな。


「あ、フィート! なんか難しい顔してるけどどしたん? 通信失敗した?」

「ロナ。……いや、なんでもないよ。通信はうまくいった。もうすぐシルフィードがこっちに来ると思う」

「! シルフィードが! ……よかったぁ」


 胸のつかえが取れた表情で、ロナはほっと息をついた。

 ……この状況を解決できるめどが立った、というのはもちろんあるのだろう。ただそれ以上に、ロナは相棒との再会を喜んでいるように見えた。


 自分が担当するペガサスは、訓練時や戦闘時以外にも厩舎から連れ出すことが許されていた。ロナとシルフィードは特に仲の良いふたりで、休みの日でもしばしば楽しそうに練兵場を駆け回っていたのを覚えている。


 天馬部隊隊員とペガサスは、非常に長い時間を共にする。

 そこで培われる絆は特別で、かつての厩舎員だった僕から見てもときどき羨ましくなるほどだった。


「やっぱ離れちゃダメだなぁ、あたしとシルフィードは。今回だってほら、最初からシルフィードと一緒に来てれば速攻解決だったわけだしさ」

「まあその場合は、ピーターさんとフレッドさんがここにいることにも気付かずじまいだっただろうけどね」

「あ、そっか。ほんじゃあやっぱ置いてきてよかった」


 その発言はどうかと思うけど。


「それより、どうやら外はかなり厄介なことになってるみたいだ。ちょっと状況を共有しておきましょう。ピーターさん、ロナ、それに……」

「うめえ!! うめえよルビー!! 久々の肉に体が喜んでるぜ!! お前のタンパク質、俺の体で分解してアミノ酸に変えてやるからな!!!」

『くぉ~~ん』

「……フレッドさんはまあいいや」


 あれは放っておいていいだろう。

 見た感じ、ルビーちゃんもわりと喜んでそうだし。ちょっと興味深いな。水棲馬ケルビー的には、目の前で自分の肉を食べてもらうのは嬉しいことなんだろうか。


 ともかく、僕はルイスから聞いた話をピーターとロナに伝えた。

 キリンの出現。管理局での収容違反。そしてそこから推測される生物兵器蠅の女王ベルゼマムの存在。


蠅の女王ベルゼマム……! またその名前を聞くことになるなんて……」

「……俺は戦場には行ってないからよく知らないんだが、その生物兵器はそんなに危ない代物なのか?」


 ふたりの反応は対照的だった。

 帝国との戦いで直接その脅威を知っているロナは、一気に表情をこわばらせた。当然だろう。兵士の中には、いまだにあの生物がトラウマで武器を握れなくなった人間も少なくない。

 一方でピーターさんはいまいちぴんと来ていない様子だった。戦時中は情報が規制されていたこともあって、市井にはあまり情報が行き渡っていないのだろう。


「……はじめは、霧だと思われていたんですよ」

「うん?」

「はじめて実戦での運用が確認されたのはヤーショ平原の戦い。突然敵陣に黒い霧が現われて、それを吸い込んだ帝国兵の身体能力と魔法力が急激に向上したんです。おかげで連合軍は大敗を喫しました」

「ああ。ヤーショ平原の戦いなら知ってる。それまで劣勢だった帝国は戦略上の要所を手中にしたことで一気に勢力を盛り返した。あの戦争が無駄に長引いた要因のひとつだ」

「ええ。……吸い込んだ帝国兵が異常に凶暴性を増していたことから、その黒い霧は『狂気の霧』と呼ばれるようになりました。……しかしすぐにわかったことですが、『狂気の霧』の正体は霧なんかじゃなかったんです」

「……? 霧じゃないならいったいなんだってんだ?」

ですよ。景色を埋め尽くすほどの、無数の小さな黒い小蠅の群れです」


 ピーターさんが絶句した。


「この小蠅は主に気道から体内に侵入し、体を循環する魔力の流れに干渉します。魔力は身体的な限界による制限を無視して暴走し、身体能力と魔力の爆発的な向上をもたらします。代償として思考力の著しい低下と、体への異常な負荷を伴いますけどね」

「……吸い込んだ大量の小蠅が、人間の体をぐちゃぐちゃにするってのか? おい、想像しただけでぞっとする話だな」

「そしてこの小蠅たちを生み出すのが蠅の女王ベルゼマム。小蠅を吸い込んだ生物からあふれ出した魔力を吸収し、それによってさらに多くの小蠅を生み出す最悪の永久機関です」


 なお生み出された小蠅たちは、おおよそ1時間ほどで残らず死に絶える。彼らが蠅の女王ベルゼマムへと成長することはない。現在存在する蠅の女王ベルゼマムはすべて、既存の蠅の遺伝子改造によって生み出されたものだ。

 まったく、帝国の生物学者は本当に趣味が悪い。子孫を残す機能のない生物なんて、気色が悪くて仕方がない。


「……とりあえず、話はわかった。ただでさえ強力なキリンって魔法生物が、その蠅の女王ベルゼマムに強化されて暴れてる。とんでもなく危険な状況ってわけだな」


 ピーターさんがうなずく。


 僕が口を開くよりはやく、ロナが首を横に振った。


「や、違うと思います。強化されたキリンがどれだけ強くても、クレール隊長も規格外に強い人ですから。そうそう遅れは取らないはずですよ」

「うん、そうだね。ありえないとは言わないけど、あの人が『ふつうに強い』ってだけの魔法生物に負ける景色はちょっと想像できないかな」

「あん? おいおい、どういうことだよ。じゃあいま長々と語った蠅の女王ベルゼマムの話はなんだったんだよ」

「違うんですよ、ピーターさん。蠅の女王ベルゼマムの最大の脅威は、身体能力や魔力の強化なんかじゃないんです」

「……?」

「狂気の霧に犯された人間の知性は極端に低下し、凶暴化する。帝国軍のように特殊な訓練を受けていない人間が万一それを吸い込んだら、どうなると思います?」


 兵士の中には、いまだに蠅の女王ベルゼマムがトラウマで武器を握れなくなった人間も少なくない。

 彼らは言う。剣を握ろうとすると思い出すのだと。


「強化されたキリンにクレール隊長が敗北する。……それはまだマシな方のシナリオです。本当に最悪なのは、おそらく今もキリンに寄生しているであろう蠅の女王ベルゼマムから出た狂気の霧を、クレール隊長が吸い込んでしまうこと」


 ピーターさんが息を呑んだ。


「それが一刻も早くここを抜け出して、クレール隊長に蠅の女王ベルゼマムのことを伝えなきゃいけない理由です。クラウゼルの英雄が、敵に回る前に」





「そんな! クレールさん、いったいなんで!!」


 ルイスはクレールの前に屈み込み、その脇腹の傷口をちぎり取った自分の制服で塞ぐ。ギルド嬢の制服の無駄に大きい布面積に、ルイスは人生ではじめて感謝した。


 空から降ってきたのは、たしかに憧れのクレール・ブライトの体だった。脇腹からどくどくと血があふれ出し、巻き付けた制服を赤く染めていく。

 シルフィードも一時的ににんじんのことを忘れ、心配げにクレールの体を嗅いでいた。


『ぎゅるぉお~~ん……』

「ああもう、どうしよう……! クレールさんを助けなきゃ。……っで、でも、シルフィードをフィートさんのところへ連れて行かなきゃいけないし……」

『――――――――』

「う、うしろでは噂のキリンがこっちを見てるし! ていうかちか、近付いてきてるし! こんなのどうすれ、ば……」


 ルイスの言葉が止まる。


 ゆらり、と。

 クレール・ブライトがその体を起こしたからだ。


「あ……クレールさん、無事だったんですね!」

「…………」

「や、やっぱりクラウゼルの英雄が、『白雪ハクセツ』が負けるはずないですもんね! でも大丈夫ですか? 脇腹の傷が……」

「…………」

「……クレールさん?」


 クレールは光のない目をぎょろりと素早く動かし、


「……え」


 槍を振り上げ、


「クレ」


 そして、目の前に立つ少女の方に振り下ろした。

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