第21話 王国法第一二八条

「聞いたぞ。低危険度の魔法生物たちが脱走したそうだな。しょせんクラス2以下、さっさと天馬部隊を突っ込ませて鎮圧させてしまえばいいんだ」


 アルゴ・ポニークライ。

 魔法生物管理局局長であり、ファイアフォックスに負わされた大やけどの治療でずっと入院していた男だ。現在ではかなり傷も癒えてきているらしい。


「……局長。どうやら魔法生物たちはなんらかの要因で強化されているようです。凶暴性も増していて、無策では天馬部隊でも苦戦は必至かと」

「ハスター、お前は何もわかっていないな。いきなり魔法生物が強くなるなんてことあるはずなかろう。それに突然収容室から出た魔法生物たちがパニックで凶暴になるなんて当然のこと。その程度で苦戦を強いられる特務部隊など存在価値もないわ」

「しかし! 事実として、通常の状態では破られるはずのない隔壁が破られています。先ほどクレール隊長もゴワベアーに手こずっていました!」

「……なんだハスター、お前もフィートのように私に意見するのか? お前の首など私の一存でいつでも飛ばせること、忘れたわけではあるまい」

「…………」


 アルゴの言葉に、ハスターは押し黙る。


「ふん。隔壁とそこの野蛮な女が案外弱かったというだけの話だ。なあ? クレール・ブライト。お前も武人の端くれなら、醜態を晒したあとは自ら死地に切り込むだけの気概があって然るべきだと思うが」

「……私は常に、より多くの命を守れる方を選びます」

「この状況で、お前がさっさと突入する以上に命を守る方法があるか?」

「はい。先ほどハスター局長代理にも話したことですが……」


 クレールは改めて自分の案を説明する。

 市街に出現したキリンのこと。その対応に現在冒険者ギルドがあたっていると思われること。天馬部隊とギルドを入れ替えることで、より迅速な対応が可能になること……


「却下だ」


 話を聞き終えるよりもはやく、アルゴは首を横に振った。


「……理由を聞いても?」

「理由だと? 目の前の敵に背を向ける。などという案を却下するのに理由がいるのか? いいからさっさと突っ込んでこい」


 そう言って笑うアルゴの表情は、昏い喜びに満ちていた。

 クレールの目に冷たい怒りが宿る。先ほどハスターに対して向けられたよりもはるかに冷たく,鋭い怒りが。


「……まさか。以前あったいざこざの復讐を、ここで果たそうというつもりですか」

「おやおや、人聞きの悪いことを言わないでくれよ。私はただ敵前逃亡を咎めているだけだ。しかしそうだな。身の程知らずで生意気なガキが、自分より力のある人間に歯向かったらどうなるか、ようやく理解してくれたらしいことには多少の喜びを感じるな」

「……反吐が出ますね」

「くく。相変わらず口の利き方は知らんようだな」


 かつてクレールはアルゴの醜態がハルトール王太子に暴かれるきっかけを作った。またその後執務室で話したときには、アルゴを失禁させるほどに脅かしている。


 アルゴの対応には明らかに、それに対する復讐の意図が含まれていた。


「く……」


 クレールは必死で頭を回転させる。


 冒険者ギルドとのポジションチェンジという案自体は、通報を受けたときから考えていた。ハスターを説き伏せるための材料はそろっているはずだった。かつての密会の話を持ち出すために、わざわざ時間を使って人払いまで行った。


 だがアルゴ・ポニークライを説得できる気はまったくしなかった。

 なんせこの頑迷な男の意思を変えるというのは、フィートが2年間を費やしてなお成し得なかったことなのだ。限られた時間の中で、クレールにそれができるとは思えない。


「……っ」

「さあ、さっさと部下を呼び戻して収容エリアに行ってこい。活躍を期待しているぞ。……くく、お前はともかく部下が無事で済むかは分からないが、軍人なら我々のために命を張ってくれないとなぁ?」


「……。局長」


 割り込んできたのは、意外な声だった。


「なんだ、ハスター。まだ何か言いたいことがあるのか?」

「クレール・ブライトの言うことにも一理あります。ここで判断を誤れば、魔法生物にも人間にも大きな被害が出ることでしょう」

「……ほう」

「ここは彼女の案に乗るべきかと。復讐はまた、他の命がかかっていないときにすれば問題ないでしょう」


 クレールは驚いて目を見開いた。まさかここから援護射撃が来るとは思っていなかった。

 ハスターの言葉に、アルゴは大きくため息をついた。


「……なるほど。お前はこいつの案が正しいと言うんだな」

「はい」

「そうか。……そうかそうか」


 ふたたび大きなため息。


「本当にこの場で最も大切なことは何か、お前たちはまったくわかっていないようだな」

「……大事なこと、ですか」

「ああ。……この場で最も大切なことは、誰の案が正しいかではない。私の真意が何かでも、どんな案がより多くの命を救えるかでもない!」


 アルゴは言い放つ。


「この場で最も大切なことは、ここにいる全員の中で私の地位が一番高いということだ!! 地位が高いというのは寄り多くの権限を与えられているということだ。決断する権利は私のみに与えられているのだ!! 貴様らごときが私に意見しようなどとおこがましい。我を通したいのならば、まずは相応の地位に付いてからにするんだな!!」

「……それがあなたの本音ですか、アルゴ局長」

「そうだ! そうだよ、ハスター・ラウラル!! お前がどれだけ優秀かなんて関係ない!! 療養中の身であっても私は局長職であり、お前より強い権限を有する! 決断とは強者のみに与えられた権利なのだ! お前たしか、王国法をすべて暗記しているんだったな。探してみろ、王国法に今の私の言葉を否定する条文があるか? ないだろう!! 王国法に今のお前たちの味方になる条文があるか? ないだろう!!」

「…………」


 ハスターは首をひねって、


「いえ、ひとつだけ見付かりました」

「なんだと! そんなはずがあがあっ!?」


 ハスターのアッパーカットがアルゴの顎に命中し、その脳を揺らした。


「王国法第一二八条。前条第一項によって定められた最高責任者がなんらかの要因で意識を喪失した場合、同項に基づく次席責任者がその全権限を承継するものとする」

「あ……が……」


 床に崩れ落ちようとするアルゴを、ロバートが慌てて支える。


「は……はすたぁ、貴様……」

「ん、一撃では無理か。案外難しいもんだな。ロバート、もう少し局長の体を持ち上げられるか?」

「え? え?」


 混乱状態のロバートが、言われるがままにアルゴの体を持ち上げる。

 そして持ち上げられたアルゴの顎に、ふたたびハスターのアッパーが炸裂した。


「はがあっ!?」

「うわっ!?」


 再度の衝撃。ロバートには受け止めきれず、アルゴの体はずるりと崩れて床に転がった。

 白目を剥いている。どうやら完全に気を失っているようだ。


「ハ……ハスター局長代理!? いったい何を……!」

「どうやら火傷の後遺症で意識を失われたようだな。王国法に基づき、俺がこの場の全権限を承継する。ロバート、局長を医務室に運んでやれ」

「こ……後遺症って……」

「うむ。しっかりと腰の入った、実に見事な後遺症だった」


 若干楽しそうに口の端を緩ませながら、クレールがコメントした。


「それで? ふたたびこの場の権限を手にしたハスター局長代理。今後の方針は?」

「まずは冒険者ギルドに連絡を取ろう」ハスターは答えた。「入れ替え案を採用する。急ぐぞ」

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