第18話 崩壊

 がごん! がごん!

 ものすごい力で隔壁を殴る音が響く。おそらく隔壁の向こうで、ゴワベアーが殴り続けているのだろう。


「……大丈夫ですかね? 隔壁、壊れないですよね?」

「問題ないだろう。この隔壁は高危険度魔法生物の収容エリアと同じもので、クラス5魔法生物を想定した強度になっている。ゴワベアーには破壊できないさ」

「なら良いんですが……」


 がごん! がごん!

 床を震わせる重低音に若干不安を感じながらも、ロバートは言葉を飲み込んだ。ゴワベアーの怪力はたしかに凶悪だが、クラス5の魔法生物はそれ以上に強い。高危険度魔法生物を想定した隔壁なのであれば、理論上問題はないはずだ。


「しかしそれにしても、勝手に隔壁が閉じられそうになっていたのには驚いたぞ。俺が救出に向かうことはアルバートに伝えていたはずだが」

「ああ……。アルバートなら、ここに来る途中で半狂乱で逃げ出しているところを見かけましたよ」

「なるほどな。あいつはクビにしよう」


 妥当な判断だな、とロバートは思った。いや、もちろんハスターにそんな権限はないのだが。


「でも正直、驚きました。まさかハスター局長代理が、自分の命を危険に晒してまで救助に向かうなんて……」

「はは。もっと冷酷でドライな上司だと思ってたか?」

「いや、それは……」

「ま、お前の印象は正しいさ。俺があの2人を助けに入ったのは、俺が局長代理の時に職員が死んだら出世が遠のくからってだけだからな」


 ハスターはそう言って毛煙草から吸い込んだ煙を吐き出し、口の端に皮肉げな笑いを浮かべた。

 がごん! がごん! その間にも爆音は響き続ける。


「……ハスター局長代理」

「俺の指示で部下が軽傷を負うより、マニュアルに従って部下が重傷を負った方がマシだ。だがマニュアルに従って部下が重傷を負うより、マニュアルに従って俺が死にかけた方がマシだ。英雄的な献身行為が例外的な特進を生むことも有り得るしな」

「僕にはわかりません。なぜそこまで出世に固執するんです?」

「……ふん。俺にはどうしても管理局局長の椅子が必要なんだ。先代局長が成せなかった改革を、俺が成し遂げるためにな」


 がごん!! がごん!!


「先代局長……聞いたことがあります。フィールドワークによる魔法生物研究の権威で、たしか孤児院経営なんかの慈善事業でも知られていた人ですよね」

「ああ」

「判断ミスで部下を死なせて地位を追われたとか。局長代理はその人と親しかったのですか?」

「判断ミスだと? あれは……。いや、いい。つまらん話だ。俺もいくらか高揚しているようだな。話しすぎた」


 ハスターは毛煙草の火を消して立ち上がり、隔壁とロバートに背を向ける。


「おしゃべりはここまでだ。行くぞ、ロバート」

「……局長代理、しかし!」


 がごん!!! がごん!!!


「当面の安全は確保されたが、今度は魔法生物同士での争いによる死傷が心配だ。天馬部隊到着後にできる限り速やかに事態を収拾できるよう、計画を立てておこう」

「局長代理!」

「くどいな、ロバート。いま昔話をしている状況ではないことは……」

「いえ、そうではなく!」


 がぎゃん!! べぎぃん!!


!!」

「……なんだと?」


 ハスターが振り返る。

 ロバートの言葉は正しかった。下ろされた分厚い隔壁のうち、床に接している部分がちぎれている。


 ちぎれている。そう、ちぎれているのだ。


 ばぎぃん!! がぎぃん!!


 横の壁に接している部分にも、裂け目が広がっていく。

 分厚い金属製の壁が、今まさに豪腕の連打によってちぎり取られようとしていた。


「――隔壁から距離を取れ!」

「は、はい!」

「うわあああああっ!!!」


 ロバートとハスター、さらには周囲に残っていた職員たちも一斉に隔壁から離れる。


『ぐるぅううううううあああああっ!!!!!!』

 

 間一髪だった。

 ゴワベアーが大音声で鳴き声をあげ、渾身の一撃を隔壁に食らわせる。

 すでにボロボロだった隔壁への、それがとどめになった。


 ぐぁぁん! というこれまでとは違う重低音が鳴り響く。引き剥がされた隔壁が、先ほどまでロバートたちが立っていた場所に倒れる音だ。


『ぐるううううぅああああぁ!!!』

『きゃぅん! きゃん!!』

『くるぁっ!! くるぁっ!』


 崩れた隔壁の向こうから、魔法生物たちが姿を現わす。

 先ほどいた生物たちだけではない。隔壁を殴る音に反応して集まってきた生物を含めて、その数は2倍ほどにまで膨れ上がっていた。


「おい、嘘だろ……。もう魔力なんて残ってねえぞ……」

「まっ、魔法生物の数も増えてやがる。こんなの、俺らの防衛線なんてもう数十秒も持たねえぞ……!」


『きいいいぃい!!』

『だだだだだだだだ!!』


 開戦ののろしを告げるかのように、特に動きの素早いテナガザルとハシリビロコウが高速で突進してくる。

 通常ならば『魔力の矢』で追い返せる生物たちだ。だがいまのロバートたちには、矢を放つだけの魔力も残されていない。


「な、なんだよ! あの隔壁、意味ねえじゃん! 1分も持たなかったじゃねえか!」

「くそっ……! くそぉっ……!」


 もはや打つ手はなかった。

 テナガザルの腕とハシリビロコウのくちばしが、ロバートたちに襲いかか……


「意味はある。その1分で、私が間に合った」


 る直前で、その体ごとくるりとひっくり返った。


 何が起きたか分からない、というような表情を浮かべたまま、テナガザルとハシリビロコウは仰向けにひっくり返って地面に叩きつけられる。

 必要最低限に、しかし確実に意識を刈り取れるように調整された衝撃がそれぞれの頭に走り、わずか数瞬のうちに2匹は気を失った。


 倒れ伏した2匹の間で、銀色の髪が揺れる。


「ふー……。おせぇぞ、天馬部隊」

「む。それはすまなかった。ただできればペガサスに乗って通れるように、通路をもう少し広くしておいてもらえるとありがたい」

「改善案として出しとくよ」


 王立天馬部隊隊長、クレール・ブライトがそこにいた。

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