第17話 防衛戦:魔法生物管理局 管理統制室前

 7分だ。7分耐えればいい。

 管理局から憲兵団に通報が入るまで1分。憲兵団から天馬部隊に連絡が入るのに1分。天馬部隊メンバーが出動準備するのに3分。ペガサスに乗って管理局にたどり着くまで1分。管理局の入り口から現在の戦闘地点にたどり着くまで1分。


 たった7分だ。インシデント発生から20分はすでに経過している。ここからあと7分くらいなんとか耐えられるはずだ。

 はず、なのに。


「ダメだロバート、こっちも魔力切れだ!」

「『魔力の矢』! 『魔力の矢』! ああもう、やっぱ全然効いてねえよ!」

「だから! ゴワベアーの剛毛に魔力の矢なんて効かないんですよ、鼻を狙ってください!」

「んなピンポイントで狙える技術があったら管理局なんかに勤めてねえよ!」


 ……それだけのことが、なぜこんなにも難しいのか。

 必死で周囲に指示を出しながら、ロバートは内心で歯噛みした。


 ゴワベアー×1:生半可な攻撃はすべてその剛毛で弾き飛ばす巨躯の熊。一振りで巨木を砕き折る豪腕を持つが、非常に温和かつ怠惰な性格ゆえそれが振るわれることはめったにない。暖かい毛皮に包まれて、一生の9割以上を冬眠状態で過ごす。


 テナガザル×1:普段は折りたたまれているものの、その腕の長さは10メートルにも達する。腕力はさほどでもないが非常に器用。山岳地帯を歩く旅人の食料が頻繁になくなるのは、このテナガザルにすり取られるためだと言われている。


 カーバンクル×1;ウサギとキツネの中間のような姿をした四足歩行の小動物。額の赤い角から熱線を放出する。その角は赤い宝石にも似ており、カーバンクル自体の希少さもあって高値で取引される。


 ミニマナラビット×2:魔力をエネルギーの形で体内に貯蔵できるウサギ。その変換、保存効率は全生物中でもトップクラス。ただし一切の魔法を使用できないため、貯めた魔力はすべて自身の栄養源として使用される。きわめて臆病で寂しがり屋な性格。


 ヒノタマネズミ×4:普段はただのハツカネズミ。死亡すると火の玉の形態になり、数分で元の姿に戻る。蘇生魔法が使える世界唯一の生物。……だと思われていた。実はケガをすると炎魔法で自分の周囲を覆い、安全を確保した上で再生魔法を使用しているだけ。


 以上が、現在ロバートたちが交戦している魔法生物だ。


『ぐるぅああああ!!!』

「くっそ、どうしようもねえぞこんなの! ガキがおもちゃの鉄砲で大人に立ち向かうようなもんだ!」


 中でも脅威なのがゴワベアー。いつもは温和な性格なのだが、今はどういうわけかその太い腕で人間をなぎ払うことに積極性を見せている。加えてただでさえ凶悪な腕力が普段以上に強くなっており、分厚い扉をまるでバターのように切り裂いてくる。


 他の生物たちも同様に、凶暴さと強さが軒並み上がっている。普段はほぼ完全に無害なミニマナラビットですら、体当たりでこちらに攻撃を仕掛けてきているほどだ(さすがにこれは大した脅威ではないが)。


 ロバートが到着してから今まで、経過した時間は2分ほど。

 魔法生物たちの猛攻に耐えきれず、防衛線は徐々に後退を続けていた。


「ミニマナラビットあたりの的が小さい連中は直接狙おうとするな! ちょっと手前に攻撃を当てて、こっちに近寄らせないよう牽制するんだ!」

「きゃぁっ!? ちょっと、あのサル私の胸触っていったわよ! ……あ、ついでに魔力回復薬もスラれてる!」

「……おい、マズいぞロバート、ゴワベアーがだいぶ迫ってきてる。もうちょっと下がろう」


 主任の言葉は妥当だった。

 ロバートはしかし、首を横に振る。


「『魔力の矢』! ……ダメです。これ以上は下がれない」

「なんでだよ」

「ここよりうしろには隔壁がないからです。これ以上に下がると、隔壁で魔法生物たちを隔離するという最終手段が取れなくなる」


 主任は顔をしかめる。


「……おいロバート、やっぱ隔壁を下ろすって案には賛成できねえよ。ハスターさんが言ってたとかマニュアルで決まってるとかもあるが、それ以前にだ。一度隔壁を下ろしてしまえば、天馬部隊が到着したあとの救助にもさらに時間がかかることになる。そうなりゃあ、中に取り残された2人の生存は本当に絶望的になるんだぞ」


 その言葉は正しいと、ロバートも理解していた。

 そもそも取り残された2人がまだ命をつないでいるかは分からないが、隔壁を下ろしてしまえば助かる可能性はゼロに等しくなるだろう。


 いわば隔壁を下ろすという選択は、この2人を切り捨てるという判断なのだ。


「マニュアル通りにやっただけだ、って言い訳も通用しねえ。2人が死んだ責任を、お前が取らされるかもしれねえ。遺族だってお前を恨む。隔壁を下ろすなんて考えず、このままうしろに下がりつつ天馬部隊を待った方がいい」

「それじゃ間に合わない。ここを攻める魔法生物はどんどん増えていくし、こっちの魔力はもう尽きかけてる。……2人の命を切り捨てて大勢の市民が守れるなら、切り捨てるべきだと僕は思います」

「……!!」

「みんな、聞いてください!」


 ロバートが声を張り上げる。


「今から隔壁を下ろす。隔壁のすぐ後ろまで位置を調整して、残った魔力を全投入して魔法生物たちを近付けないように……」




「やめろ、ロバート。マニュアル違反だぞ」




「……え」


 ロバートの動きが止まった。

 ほかの職員たちも、みな驚愕に表情を固まらせている。


 ハスターの言葉が想定外だったわけではない。

 居場所がわからなかったハスターが突然現われたのは意外だったが、それ自体はさほど驚くべきことでもない。


 驚いたのは、ハスター・ラウラルが視線の先――魔法生物たちの収容エリア側から姿を現わしたからだ。

 顔に右目を裂く大きな切り傷が付いていて、どくどくと血が滴っていた。背中にはぐったりとした男性職員を背負っていて、隣には怯えた様子の女性職員を連れている。右手に持っている複雑な構造の鉄の棒は、何かの魔法具だろうか。


『ぐるぅぅああああ!!』

『きぃっ! きぃっ!』

『きゅぃぃぃぃっ!!』


 廊下にいた魔法生物たちも反応し、ハスターの方を振り返る。


「は、ハスター局長代理。なんで……」

「……はぁ、最終試練だな。今からそっちに行く。援護を頼むぞ」


 ハスターは手に持った鉄の棒を構え、


「……最後の一発だ」


 破裂音がして、なにかがゴワベアーの鼻先に突き刺さった。


『ぐるるぅぅぅぅぅあっ!!!』


 巨体を揺るがすような衝撃には見えなかったが、なぜかゴワベアーはふらついて横に倒れ込んだ。押し潰されそうになったカーバンクルが慌てて飛びのく。

 その一瞬の混乱を逃さず、ハスターは駆け出した。


「……っ! 全員援護! 残ってる魔力全部つぎ込んで!」

「お、おうっ! 『魔力の矢』! 『魔力の矢』! 『魔力の矢』ぁ!」

「『魔力の矢』! 『魔力の矢』! おい、ハスターさんに当てんなよ!」


 カーバンクルが熱線を放ち、テナガザルが手を伸ばして掴みかかり、ミニマナラビットとヒノタマネズミが飛びかかろうとする。

 だが雨のように降り注ぐ魔力の矢がそれを阻んだ。ハスターと女性職員は、必死の形相でロバートたちの方に走る。


『ぐるるっるるるっぅぅぅうううああああ!!!』

「まずいハスターさん、ゴワベアーが立ち上がってきました!」

「ちっ、やっぱ麻酔弾一発じゃ足りないか。おい、もういいから隔壁を下ろしはじめろ!!」

「あ、はいっ!」


 合図に合わせて統制管理室の職員が動き、隔壁が徐々に下りはじめる。

 ハスターと女性職員は必死で走り、魔法生物たちが背後を追いかける。


「や……やった! 助かった!」


 最初にゴールにたどり着いたのは女性職員だった。腰のあたりまで下りていた隔壁をくぐり、管理区画側に身をすべり込ませた。


「ハスターさん!!」

「く……!」


 男性職員を背負っている分、ハスターの方が遅い。

 収容区画と管理区画を分ける隔壁は、まもなく完全に閉じようとしていた。


『ぐるぅぅうううああっ!!』

「っらああああっ!!」


 ヘッドスライディングの要領で、ハスターが体をすべらせる。

 ……そして、隔壁が下りた。


「……はぁっ、はぁっ……」

「う、うわああああんっ! ハスター局長代理、本当にありがとうございましたぁぁっ!!」

「……はぁ、はぁ。あ~~、気にすんな」

「おい、早くケガの手当を!!」


 ハスター・ラウラルは、管理区画の側にいた。

 隔壁が下りきる寸前、間一髪でなんとか身をすべり込ませることに成功していたのだ。


「……ハスター局長代理」

「よぉ、ロバート。なかなか上手くやってくれてたみたいだな」

「す、みません。僕は勝手な判断を……」

「気にするな。俺が2人の救出に行ってたことを知らなかったのなら妥当な判断だ。ま、なんにせよ……」


 ハスターは座り込んだまま壁に体をもたれかからせ、震える手で取り出した毛煙草に火を付ける。


「『職員全員避難ののち、隔壁により魔法生物を収容区画内に隔離』。……これで、マニュアル通りだな」

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