第16話 ガウス・グライアが粒大きめの雹に打たれている間に起きた大事件

「おらぁ! 『魔力の矢』! 『魔力の矢』!」

「おいバカ、無駄に連射すればいいってもんでもねえぞ! 魔法生物が近付いてきそうになったところで威嚇して追い払うんだよ!」

「魔力が切れた奴はいったん後ろに下がって! 他の班からの応援要員に代わるのよ!」


 キリンの出現で市街が阿鼻叫喚に陥ったのとちょうど同じ頃。

 魔法生物管理局もまた、大混乱の只中にあった。


「くそっ、低危険度班のボケどもは何を寝ぼけてやがったんだ! こんな大規模な収容違反、逆にどうやったら起こせるんだよ!」

「しっ、知らないわよ! 気付いたら第1、第2セクターの収容室のロックが全部解除されてて……わ、私たちだって何がなんだかわかんないのよ!」

「知らねえって、てめえなぁ! いくらなんでも無責任すぎ――」

「おい! 喋ってねえでお前らも応戦を――ぐあっ!?」


 廊下の先から放たれた熱線が職員の1人に命中する。


『きゅぃぃっ!』


 カーバンクル。クラス2の魔法生物。額の赤い角から熱線を放出する、小型の四足獣だ。熱線を受けた職員は激痛に呻いて倒れ込んだ。


「『魔力の矢』! ……おいバカ、大げさなんだよ! カーバンクルの熱線なんて、ちょっと火傷するくらいのもんだろ!」

「ち……ちが、ちがう。い、いてぇ、いてえよぉ……」

「うわああああああああっ!! もう嫌だああああああああああっ!!!!!!」


 緊迫した状況に耐えられなくなったのか、大柄な職員が周囲の者を突き飛ばして駆けだす。


「な、ちょ、待ちなさいよ! 私だって逃げたいの我慢してるのに!」

「ほっとけあんな奴! いいから俺たちは防衛に専念するぞ!」

「防衛っつったって、こんなもんいつまでも持たねえぞ! 4,5匹の魔法生物相手でこのザマだ。デジェネウルフあたりがここまで出てきたら、俺たちなんて全員食い殺されて終わりだろ!」

「……そ、れは、そうだけど……!」


 通路を防衛する管理局局員たちの間に、ぼんやりとある思考が共有されはじめる。

 すなわち。――こんなところで防衛なんてしてないで、自分だけでもさっさと逃げてしまおう、という思考が。


 もともと管理局職員は軍人ではない。命を危険に晒すような戦闘に身を置く覚悟など持ち合わせていないのだ。


 さらには逃げ出した職員が他にすでに存在するという事実。

 『なぜ逃げた人間は安全な場所に避難できるのに、自分はこうして危険な魔法生物と戦わなくてはならないのか』というある種の不公平感が、職員たちの心を蝕んでいく。


「……つうかよぉ。どうせ突破されるなら、別に俺たちがここにいてもになくても一緒じゃねえ?」

「言えてる。ここで頑張っても正直無駄死にだよね。魔力が十分残ってて危険な魔法生物もまだこっちに来てない、安全に撤退できる今のうちに逃げるべきだと思う」

「お、お前ら何言ってんだよ! 俺たちがここで食い止めなきゃ、その凶暴なデジェネウルフ達が市街で暴れ回るんだぞ!」

「勇気と無謀をはき違えんなって。ここでいったん引いて自分の命を守って、そのあと犠牲になった人や市街が立ち直るための手助けをする。それが本当の勇気ってもんだろ」

「そうそう。どうしても死にたいならひとりでやってれば?」


 一度集団の意識がそちらに傾くと、もう戻らない。

 逃亡を正当化する理論が次々と飛び出し、多数決によってそれが肯定されていく。『逃げることが正しい。戦うのは無謀な愚か者』という空気が、急速に醸成される。


「……よし! ここは勇気を持って撤退だ!」

「ま、待て! 待ってくれ! ここが突破されたら本当に……ぐあああああっ!!」

『きゅぃぃいっ!!』

「ああああっ! もう嫌ぁっ!!」

「『魔力の矢』ぁ! 落ち着け、パニくんじゃねぇ! いいか、背後を襲われないように秩序を持って撤退を……」


 こうなってしまうと、撤退の流れを止めることはきわめて難しい。

 止めるためには3つのうちいずれかが必要だ。すなわち強制力を持った罰か、殉ずるに足ると感じられる使命感か、それとも……


「っはぁ、はぁ……。……何をやってるんですか、先輩方」


 正しいと信じられる論理を持った人間か。


「ろ、ロバート? お前今までなにして……」

「予備費についてのすり合わせで、財務局に。それより先輩方、状況を説明してください」

「あ、ああ。いやその……」


 ロバート・レイダス。

 管理局においては新顔の一般職員だが、現管理局局長代理のハスターから信頼厚く、重要な任務をいくつか任されている。

 そのすべてを完璧にこなし、彼はいまや管理局においてひときわ目立つ存在だった。他の一般職員だけでなく、上司でさえも彼の意見を求めて相談しにくることがたびたびあるほどだ。


「実はその、俺たちで考えてみたんだが……」





「……というわけで、安全に撤退できる今のうちに引くべきだ、というのが俺の考えだ。どう思う?」

「馬鹿ですね」


 ロバートはため息をついた。


「ば……なんだと!」

「目的を明確にして動かないから、そんな無茶苦茶な理屈が正しいと思えるんですよ。僕たちは何のためにこの通路を守ってるんです?」

「そ……そりゃあその、魔法生物たちが外に出ないように……」

「それじゃ前提が不足しています。永遠にここを防衛するなんてこと、そりゃあ不可能ですよ。僕たちの勝利条件は、魔法生物が外に出ないよう時間を稼ぐこと。天馬部隊への連絡は?」

「あぁ……。まだしていない。そ、そうだな。連絡しよう」


 収容違反が分かったのは20分ほど前のことだったが、当初『管理局外部に収容違反が伝わると話が大きくなるかもしれない』という意識から職員たちは通報を行わなかった。

 その後自分たちだけでことを収めるのが無理だと気付いても、一度消した『天馬部隊に助けを求める』という選択肢を再度思い付くことはできなかったらしい。


 そのあたりのいきさつを知らないロバートだったが、目の前に立つ男(ロバートの直属の上司だ)の後ろめたそうな表情からおおよそのことは察せられた。ふたたびため息をつく。


「……そうですか。ではとっとと連絡を」

「あ、ああ。分かった。おいそこの、通信室の水晶玉で天馬部隊に連絡してこい!」

「は、はいっ!」

「それから。通路の防衛をするにしても、こんな何もない廊下で馬鹿みたいに体を晒してやる必要はないでしょう。少し下がれば両隣に扉が並んだ通路がありますから、扉の後ろに身を隠して応戦しましょう」

「なるほど。聞いたかお前ら、統制管理室付近まで少し引くぞ!」

「了解!」


 ロバートの言葉に応じて、集団がうしろに下がりはじめた。役職が上の人間も多くいるが、何の文句も言わずにロバートに従っている。

 ロバートの言葉に説得力があったこと。過去の実績があること。そしてなにより、こういった極限状態では自分で判断を下すよりも優秀そうな人間の言葉に従っていた方が楽であること。

 これらの理由が重なって、単なる一般職員であるロバートはこの場を完全に掌握していた。


「セクターの防衛装置は使えないんですか? たしか第1セクターにも、隔壁や催涙ガスくらいは備えられてたはずですよね」

「ああ、実は統制管理室が誰かにぐちゃぐちゃに荒らされててな。試してみたんだが、催涙ガスの噴射はできなかったよ」

「隔壁は?」

「いちおう機能してる。でもハスターさんから『絶対に使うな』って指示があった」

「……なぜです。まだ魔法生物たちは収容区画内にいます。隔壁を下ろして収容区画と管理区画を切り離せれば、かなり大きな効果があると思われますが」

「まだ収容区画内に2人、給餌に入ってた職員が取り残されてる。『収容区画内から全職員を避難させたのち、隔壁を使用する』ってのが非常時のマニュアルなんだと」

「……また、マニュアルですか」


 ハスター・ラウラル局長代理は出世のために、なによりもマニュアルを重んじる。

 ロバートは基本的にハスターを尊敬していたが、そのマニュアル偏重主義と出世意欲にだけは嫌悪感を抱いていた。


「そのハスター局長代理は、いまどこに?」

「さあ。そういえばさっきから見かけねえな」

「そうですか。くそ……。すみません主任、ひとつお願いがあります」

「なんだ?」

「いつでも隔壁を作動させられるようにしておいてください。もし取り残された2人を見捨てなきゃいけないと判断したら、僕が合図を出します」


 ロバートの言葉に、主任はぎょっとした表情を向けた。


「おいおい、何言ってんだロバート。それはハスターさんの指示と違うし、マニュアルとも……」

「デジェネウルフが市街に現われたら、何の罪もない市民が大量に命を落とすことになるんです! マニュアルがどうとか言っている場合じゃないんだ! 僕は市民にひとりの犠牲者も出したくないし、魔法生物たちを大量殺人者にもさせたくない!」


 ロバートの剣幕に押され、主任は一方うしろに下がってこくこくとうなずいた。


「わ……分かったよ。でもお前、あとで問題になったらお前が指示したって言うからな!」

「好きにしてください」

「ならいいんだ。おい、魔力切れてるヤツ! 誰でもいいから統制管理室に入って、いつでも隔壁を下ろせるよう準備してこい!」


 天馬部隊が到着するまで数分間、自分たちだけで持たせられるなら隔壁を下ろす必要はない。

 ……だが。まわりの職員達は次々と魔力切れを訴えているし、襲ってくる魔法生物の数は増し続けている。正直なところ、防衛は難しいかもしれない。

 廊下の角を曲がってのっそりと姿を現わした巨大な熊を見ながら、ロバートは身を震わせた。

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