第15話 フィート・ベガパークが胃袋に入っている間に起きた大事件

 霊獣『キリン』。


 東方に由来する黒毛の一角獣。体格は一般的な馬よりも少し大きい程度。天を衝く1本の長い角と、獅子のような金色のたてがみが特徴的な魔法生物。危険度はクラス5。


 基本的には、人間を含む他の生物に対して友好的で温和な性格。

 ただし戦闘能力はきわめて高い。学会の報告においては、仮に討伐する場合は一個小隊規模の兵力が必要であると推定されている。


 翼もなしに空を駆け、睨むだけで天候を変える。

 まるで神のごときその性質から、信心深い東方の民からは『霊獣』と崇められ、信仰の対象にもなっている。


 現地住民の反発から生態についての調査は難航していたが、近年ついに魔法生物学会の一部メンバーが現地でのフィールドワークを許可され、界隈では大きなニュースになった。


 しかしこの調査メンバーが発表した『空中移動はただの軽量化魔法と風魔法、天候操作はただの電気魔法と氷魔法』という研究報告に現地住民は怒り狂い、ふたたび態度が硬化。

 さらに東方諸国と魔法生物学会との関係性も、かつてないほど悪化することとなってしまった。


「なんだぁ? メルフィよぉ、お前もずいぶんフィートに影響されてきたみたいだなぁ~~」

「ふふ……。天候変化の犯人がキリンかもしれないって話はフィート君から聞いていたから、少しだけ予習していたのよ」

「そうかぁ。……だがお前の予習、少なくとも1つだけ間違ったところがあるみたいだぜ」


 げふ、と。

 、ガウスはらしくもなく皮肉げな笑みを浮かべてみせた。


「あのキリンって生き物が、本当に一個小隊っぽっちで制圧できる程度ならよぉ。俺とお前が手も足も出ずにこうしてやられてるなんてこと、あるはずねえからなぁ~~」


 雨が降りしきる。


 ガウス・グライア。王国冒険者ギルドの顔役。『赤熔セキヨウ』の異名を持ち、クラウゼル三英雄にも数えられる紛れもない強者である。

 そしてメルフィリア・メイル。一切の出自は不明ながら、きわめて高度な補助魔法を自在に使いこなす、王国冒険者ギルドが誇る一大戦力だ。


 その2人がいま、血を流しながら王都の路地裏に座り込んでいた。


「ふふ……。ま、相性的な問題も大きいとは思うわよ。あなた、対空戦闘は苦手でしょ?」

「それにしても、って話だ。ありゃどう見ても、一個小隊規模の手に負える相手じゃねえだろよぉ~~」


 ガウスの視線の先には、軽快なステップで雷雨の空を駆ける黒毛の一角獣がいた。


 遡ること20分ほど。過去最大規模の雷雨が確認されてすぐ、冒険者ギルドに『黒い毛の一角獣が市街を破壊している』という報告が入った。

 ギルドに待機していたガウスとメルフィリアは即座に現場に急行。キリンの制圧と事態の収拾を図った、のだが。


 想定外が2つあった。まずはキリンの攻撃が想定よりはるかに苛烈であったこと。

 なるほど天候を操る霊獣というくらいだから、局所的に雹を降らせて攻撃するくらいのことは予想していた。だが氷の一粒一粒が人間の頭くらい大きいというのは、さすがに想像を越えている。これはもはや雹と呼べるのだろうか、とガウスは疑問に思った。


 もう1つの想定外は、キリンが一切地上に降りてこなかったことだ。空を飛ぶ敵に対する攻撃手段をガウスは持っていない。せいぜいメルフィリアの『軽量化』+『筋力強化』による跳躍で届く範囲くらいまでが射程圏だ。


 とはいえ、そんなガウスにも出来ることはあった。時間稼ぎだ。キリンが自分に集中してくれていれば、その間市街は破壊されず、王都民たちの避難もそれだけ進むことになる。

 というわけでガウスは、キリンの攻撃をひたすら耐え続けることを選んだ。王立天馬部隊が到着するまで耐久できればミッションクリアだ。


 しかし氷塊を数千ほど剣で捌き、数百ほど筋肉で受けたところで限界が来た。

 メルフィリアの支援を受けながらなんとか撤退したガウスは、雨を防げる庇のある路地裏に転がり込んだ。そして現在、メルフィリアの回復魔法によって傷を癒している真っ最中なのだ。


「つうかよぉ。あのキリンのどこが『人間を含む他の生物に対して友好的で温和な性格』なんだぁ? そのへんもお前の予習と違うみたいだぜ、メルフィ~~」

「ふふ……。どうやらあのキリンは普通の状態じゃないみたい。膂力と魔力が大幅に強化されて、性格も凶暴化している。そういえばフィート君も、キリンにしては雷雨の規模が大きすぎるって言ってたわね」

「ほぉ~~。帝国との戦争の時の、『狂いの霧』みたいなもんかぁ?」

「ふふ……。思い出すわね、判断力の喪失と引き換えに超強化された帝国軍の兵士たち。たしかに状況は似ているけど、原因は別だと思うわ。帝国の軍事兵器が王都にあるとは思えないし……」

「ま、そりゃそうだよなぁ」


 ガウスはうなずく。そしてゆらりと体を起こした。


「まあいいや。あれこれ考えるのは俺の性に合わねぇ。傷も癒えてきたし、もう一働きしてくるぜぇ」

「ふふ……。大丈夫なの? まだ治療は完全に終わってないわよ」

「まあぶっちゃけそんなに長くは持たねえだろうが……問題ねえよ。要は天馬部隊の銀髪隊長が来るまで時間を稼げりゃそれでいいんだ。いくらなんでも、もうそろそろこっちに着くことだろうよぉ~~」

「ふふ……。まあね。クレール・ブライトは空の戦闘のプロフェッショナルだもの。彼女が来れば、あの凶暴な一角獣でもきっと制圧できる。……でもガウス、ひとつ心配なことがあるのよ」

「なんだぁ~~?」

「天馬部隊の到着が遅すぎる。速さがウリの部隊なのよ。キリンの登場からこれだけ時間が経って到着しないなんてことがあるかしら?」


 王立天馬部隊は、その任務の一部として王都の警護を任されている。主に王都の治安維持を担うのは憲兵団だが、軍事力を有しない憲兵団では対処不可能な案件には天馬部隊が対処するのだ。

 数ある部隊の中でも天馬部隊が王都を警護することになっている理由の1つは、現場への到達速度の速さにある。入り組んだ王都の地形を無視し、ペガサスによる高速飛行で現場に急行する。その速度は他の部隊の追随を許さない。


 特に今回のように大規模な事件であれば、本来発生から数分のうちには天馬部隊が現われるはずだ。しかし今、現に天馬部隊は姿を見せていない。


「ふふ……。可能性は色々あるけれど、最悪のケースを想定するならば。この暴れるキリンよりも優先度が高い事件が勃発していて、そちらに戦力を取られている……とかかしら?」

「……おいおい、メルフィメルフィメルフィよぉ~~~~。縁起でもねえこと言うじゃねえか。……たぶん連絡系統にトラブルがあってちょっと到着が遅れてるとか、そんなところなんじゃねえか?」

「ふふ……。だといいんだけど」

「大丈夫だよ、メルフィ。ち~っとばかり時間を稼いでりゃ、すぐに天馬部隊が来るさぁ~~」


 ガウスは剣を抜き放ち、ふたたび雷雨の中へと足を踏み出す。


「だってよぉ。俺とキリンが戦ってるちょうどこのタイミングでさらに深刻な事件が起きるなんて、さすがにそんな偶然あるはずねぇからなぁ~~~」

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