第9話 胃袋バンジーと名探偵フィート

 そういえば、昔ルークが話してたなぁ。

 以前ルークがいた世界には、『バンジージャンプ』なる遊びがあったそうだ。

 体にひもを付けて高所から落下する遊び。ひもの長さは地面に激突しないよう調整されていたが、それでも飛び降りる時には強い恐怖を感じるのが人間。度胸試し的な意味合いも持っていたらしい。


「ふぃふぃフィート! それ何の話!?」

「いや、なんか今の僕らの状況に似てるなぁって」

「のんきだなぁ! よく回想してる余裕があるね! 走馬灯かな?」

「違いと言えば、僕らにはひもがないってところぐらいかな」

「あまりにも大きすぎる違いだ!!!」


 まあでも、ルークの世界にも『ひもなしバンジー』なる文化はあったらしいし。きっとそんなに大した違いじゃないだろう。


 僕とロナはいま、胃袋を垂直落下している。

 食道を抜けて弁にもみくちゃにされたあと急に落下が始まったので、正直ちょっと驚いた。たまたまスケールスネークの姿勢が、胃袋を縦にまっすぐにするような形になっていたのだろう。

 ちなみにあたりは真っ暗で、僕の腰にしがみついているらしいロナの顔すら見えない。


「いやまあ、たぶん大丈夫だよ。僕らの質量も小さくなってるから、このまま一番下まで落ちてもたぶん大したケガはしないよ。たぶん」

「た……たぶんが多いね?」


 物理学は専門外なんだ。

 いちおう、風魔法を下に噴射してちょっとだけ減速しておく。……ううん、ほんのちょっとだけ加速度が弱まった気がするな。重力という大いなる力と比べると、ごくわずかな抵抗でしかないけど。


「あ~、こんなことならシルフィードにもっと優しくしとけばよかった。昨日クライクラウのにんじんを強奪してたから叱って取り上げたんだ」

「……けるな! ……は、……っすよ!」

「言っても……! 俺たち…………ないんだ!」

「にんじんくらいあたしがもう1本買ってあげればよかった。あの時間ならまだやってる八百屋さんもあったのに。ごめんシルフィード……」

「エサは食べ過ぎはよくないから、ロナは昨日の対応で正解だよ。あと話し声が聞こえた気がする。ちょっと静かに」

「え……うん、わかった」


 いやもちろん、普通に考えればこんなところで話し声なんて聞こえてくるはずがないんだけど。でも確かに聞こえた気がしたんだ。

 もしかして幻聴? 僕も実は、意外と精神的に参ってたりするのかも……


「ルビーは家畜じゃない! 俺の友達で、戦友で、家族だった!!」

「俺にとってもそうさ! だがこれ以外に方法なんて残されてなかっただろうが!!」


 ……今度ははっきりと聞こえた。


「あたしから見ておよそ35度、この速度だとたぶん3秒ほどで横を通過する」

「『光の球体』」


 ロナの言葉に従って、左下方向に複数の光球を飛ばす。

 明度はかなり抑えたが、それでも暗闇に慣れた目には強烈な刺激だった。反射的に閉じそうになるまぶたを無理やり上げながら、その方向に目をこらす。

 ダメだ。見えない。胃壁が案外近くにあったことは分かったけど、僕の目ではそれくらいしか……


「……見えた。33度」

「! 真横のタイミングで合図して」

「ん、、今!」

「『水の鞭』」


 ロナの合図に合わせて、左手から水の鞭を発射する。


 これは賭けだ。

 方向と高さは分かっている。距離もまあ、だいたい胃壁のあたりだろう。

 だから問題は、そこに掴めるものがあるかどうかだ。


「! なにか引っかかった!」

「……あれは。馬車、かな?」


 水の鞭をするすると短くして、僕とロナの体を引き上げる。

 距離が近くなると、僕にも鞭が何に巻き付いているか見えてきた。なるほど、確かに馬車だ。


「目、相変わらず良いなぁ。助かったよ」

「え? へへ。草原育ちだからね。……にしても、なんであんなとこに馬車があるんだろ」


 近付いてみると、その理由は明らかになった。どうやら馬車の屋根にえらくごてごてした装飾が付いていて、それが胃壁に引っかかっているらしい。……より厳密には、『突き刺さっている』と言った方が正しいかな。


 馬車の頭は下の方を向いていて、僕の鞭は車輪に絡まっていた。


「ロナ、いけそう?」

「ん? んー。軽量化と肉体強化ちょうだい」

「了解」


 補助魔法を受けたロナが僕の体をするするとよじ登り、馬車の上(つまり馬車のお尻の部分)に飛び乗った。

 自分にも軽量化をかけて、僕も引っ張り上げてもらう。

 2人が乗ってもかなり馬車後部の面積には余裕があった。かなり大きい馬車だな。屋根の装飾といい、わりと上流階級の人が使うような馬車だ。


 おそらくこの馬車の中に、さっき話していた2人が入っているのだろう。

 今はもう話し声は聞こえない。こちらを警戒しているものだと思われる。


「あー、えーと。こんにちは。中に入っていいですか?」

「……お前ら、誰だ? 俺たちを助けに来てくれたのか?」


 お。返事してくれた。


「残念ながら、僕らもスケールスネークに呑み込まれたクチです。残念ながら、ここから脱出できるような方法は今のところないですね」

「そうかよ。なにか食う物は持ってるか?」

「持ってないです。ただ魔法は多少使えるので、今後落ちてくる食べ物はいくらか回収できると思いますよ」

「……。入れ」


 馬車の左側面の扉がばたんと開いた。前開きの扉なので、開いた扉がそのまま足場になってくれている形だ。


 扉に降り立ち、馬車の中を見やる。


「……えっ」

「悪いが、ちょっと取り込み中でな。散らかってるが気にしないでくれ」

「散らかってるって、そんな言い方……!」

「フィート! あたしもそっちに降りていい?」

「えーっと。ちょっと待ってて」


 うん、まず見えたものを整理しよう。

 髭面の男が2人。謎の液体が入った小瓶。あちこちに飛び散った果物の汁らしき液体。明かりの灯ったランタン。水晶玉。

 そしてなにより目を引くのは、床に横たわる水棲馬ケルビーだ。その腹部は大きくえぐり取られてており、流れ出た粘度の高い青い血が固まっている。


 そしてえぐり取られた腹部の肉は、髭面の男の片方がその手に持っていた。


「俺ぁピーターだ。商人をやってる。……なぁあんた」


 肉を持った方の男……ピーターが、肉を持ってない方の手を伸ばし、僕の体を押す。

 不安定な扉の上で、ぐらりと僕の体勢が崩れる。軽量化を解除していなかったので、踏ん張りがまったく効かない。


「……人は飢えないために、どの程度獣になれると思う?」


 落ちる。

 と思ったところで、ピーターの手が僕の胸ぐらを掴んで支えた。


「……答えは、どこまでもだ。死にたくなければ俺に従え。俺ぁもう失うものなんてねえんだ」

「っ、お頭ぁ! 見損なったっす! ルビーの命を奪っただけじゃなくて、初対面の人にこんなこと……!」

『にゃあ』

「うるせえよ! 生きるためだ、もうなりふりなんて構ってられるか!」

「…………」


 ふむ。


「ロナ、降りてきていいよ。ここは安全だ」

「……ほんとに? あんまりそうは見えないけど」

「うん。悪ぶってる人が1人いるけど、こっちに危害を加える気はなさそう」

「あ、そーなん」


 ロナがすたんと僕の扉に降り立つ。2人立ってもまだ余裕があるな。大きい馬車は扉も大きい。


「てめえ、俺のこと舐めてんな。俺は今朝、飢えに耐えかねて家族同然だった水棲馬ケルビーを殺した。今さらお前らの命なんざ……」

水棲馬ケルビーの肉をえぐったのはあなたじゃないですよ。状況から見て、それは明らかだ」

『にゃ!』

「な……。なにを……」

「事件の真犯人は、この馬車の中にいます」


 僕はそう宣言した。


「え。なに。なんか始まった?」


 ロナは困惑していた。

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