第4話 カオスが極まる

「偏見まみれだと? 私が言っていることのどこが偏見なんだ。こんな店に来るようなバカどもではなく、まともな大人と話をしてみろ。全員が私と同じことを言うはずだ!」

「相手の属性から人格や能力を決めつけ、個々の違いに目を向けようとしない。それを偏見というのですよ」


 やれやれ、とでも言いたげに小太りの男は肩をすくめてみせる。


「貴様、バカにしているのか!」

「ええ、まあ。独善的で、周囲の話に耳を傾けようともしない。あなたのような人はきっと職場でも孤立していたことでしょうね。クビになるのも納得だ」

「な……なんだと! 初対面の貴様にそんなことを言われる筋合いはないぞ。私の何を知っていると言うんだ!」

「分かってるじゃないですか。いまの僕の発言は、あなたの一面的な属性だけを見てそれ以外の部分を決めつけるというきわめて愚劣なものだ。どうです? 自分がやられてみて、それがどれだけ不快なことか少しは分かりましたか?」


 お、おお……。

 あの小太りのお客様はこれまで何度か来店してくれていた人なのだけれど、あんなに流暢に話しているところを見たのは初めてだ。いつも基本的に『これください』か『でゅふふふ』か『ふおおおおおお』か『ぐへへへへへ』しか言わないのに。


「僕はね。昔っから、人間相手のコミュニケーションは上手くいきませんでした。名家の令息だからと近付いてくる人はいましたが、みんな僕の見た目と笑い方を不快に感じているのがよく分かりました」

「な、なんの話だ、急に」

「10年前、そんな僕の初めての友達になってくれたのがエルフキャットだったのですよ。……1年前、寿命で行ってしまいましたがね」


 その場がしんと静まりかえった。


「……だから僕は悲しかったのですよ。エルフキャットが王都を荒らす害獣として糾弾されていたのが。しかしそんなある日、僕はこの『desert & feed』を知ったのです」

「……!」

「エルフキャットが恐ろしい生き物ではないと広めたい。店長さんのその想いに、僕は大いに共感しました。そしていま実際に、このカフェでは多くの人がエルフキャットと触れ合っている。僕自身、ここでデザートムーン氏に日々の活力をもらっています」

「ぐ……ぐぐ……」

「そんな『desert & feed』を愚弄するような言動……! たとえ店長氏が許しても、この僕が許しませんよ!!!!」

「ぐああああああああああっ!!!!!」


 議論に負けただけとは思えない絶叫だった。

 父親は少しふらつきながら店の出口に向かい、「お前ら、ただではすまさんぞ!」と言い残して退店した。


「…………」

「…………」


 そして店内にしばしの沈黙が流れたあと、


「……こわかった~~」


 茶髪の女の子が漏らした声で、店内の空気は一気に弛緩した。


「あ……あの。すみません店長さん、うちの旦那が」

「あ、いえいえ。とんでもない」

「そちらのあなたも、本当にごめんなさい。とんでもなく失礼なことを……。でも、びしっと言ってやっていただけてよかったです。あの人にも良い薬になると思います」

「でゅ、でゅふ!? あ、いやいやそんな。僕なんて大したことは言ってませんから!」


 小太りの男はてれてれと頭を掻いた。


「そんなことはないですよ。正直なところ、僕はこういう場面の対処は上手くなくて。助けてくださってありがとうございました」

「でゅ……でゅっでゅでゅっふ!? ててて店長さんまで!? いやいや、僕なんて本当に大したことはしてないですよ!」

「そんなことはないでしょう。あんな風に人を説得するなんて、僕にはとても無理ですよ」

「説得というほどのものでは……。僕はツイスタで培った議論術を使っただけですよ! 論点をズラして、反論しづらい感動話で締めるという……」

「え? ……議論術、ですか?」

「だ……だってそうでしょう! あの方がメインの議題にしていたこのお店の安全性について、僕はなんの反論もしていないのですから!」


 …………。


 そうか。確かに。

 言われてみればそうだ。

 反論しなかった、というより。厳密には反論できなかったんだろう。エルフキャットが安全であるという根拠なんて、現時点では『フィート・ベガパークがそう言っている』『このお店で今まで事故は起きていない』の2点以外に存在しないんだから。


「もちろん僕はこのお店のこと、信頼していますけどね!」

「あ……ありがとうございます」

「……あのぅ」


 不意にうしろから声をかけられて、僕は振り返った。

 茶髪の女の子だ。


「結局、その。なんだったんですかね? あたしの方をちらちら見てたって話は……」

「でゅふ!? それは……いやそのなんというかその、人の視線って素晴らしいと思いませんか? 言葉を交わさずとも、目だけで想いが伝わることもある。僕とエルフキャットの間に言葉は通じませんでしたが、それでもあの子の考えていることははっきりと分かった」

「論点をズラして感動的な話で締めようとしてる……!」


 何をやってるんだ。

 どうやら今度は、僕が助け船を出せる場面のようだった。僕は茶髪の女の子のバッグを指し示してみせる。


「たぶん、バッグに付いているそれを見ていたんじゃないですか?」

「でゅふ!?」

「あ……。これですか? へへ、デザートムーンちゃんのぬいぐるみ、フェルトで作っちゃいました。下手ですけど……」

「へ……下手なんてとんでもない! 素晴らしい仕上がりですよ!」


 小太りの男は、毅然として言い切った。


「丸みを帯びた曲線美がよく表現されています! それに表情が本当に良い。これはきっと、煮干しを平らげた直後の表情を表わしているものと見ました! 満足げですこし弛緩したこの表情! 僕もこの瞬間が好きなんですよ、デザートムーン氏はどこか人間から見て可愛らしい動きを意識して作っているような感じがあるのですが、この瞬間だけはエルフキャットとしての素を見せてくれるというか。いやしかし本当に良い出来だ。僕は家業の関係でこの手のぬいぐるみを目にすることは多いのですが、ここまで愛情のこもったものはなかなかお目にかかれなくて」

「おぉ……」

『みゃぅ……』


 デザートムーン、お前は引いてやるなよ。


「……あのぅ、すみません」

「あ……はい、なんでしょう!」

「やっぱりその、うちの子がどうしてもおやつをあげたいみたいで」

「あ、かしこまりました! えーと、どの……」


 どのおやつをあげたいですか? と聞こうとしたのだが、その前に少女は店内の一点をまっすぐに指さして言った。


「ミリア、あの子にあげたい!」


 彼女が指さした先には、


「え?」

「……あ、見付かった」

『きゃんっ!』


 黒髪の女の子と、彼女に抱きしめられて幸せそうな顔のレイククレセントがいた。


「……いつから?」

「あの男の人が怒鳴りだしたあたりから。なんか、こっちの様子が気になって見に来たみたいです」


 ……。

 管理の甘さについては要改善だな。うん。


「オリジナルのぬいぐるみ制作は愛情と能力によってクオリティに雲泥の差が出ます。一目見ただけで分かりましたよ。このぬいぐるみにどれだけの情熱が込められているか」

「あ……ありがとうございます。いや褒められるのは嬉しいんですけどね。嬉しいんですけど……あっちょっ、ナイトライトちゃん! これはぬいぐるみ、デザートムーンちゃんじゃないの!」

『みゅぅ! みゅぅ~~!!』

「ミリア、キツネちゃんにおやつあげたい! ねえママ!」

「あらあらまあまあ。でもキツネってなに食べるのかしら」

『きゃんっ! きゃんっ!!』

「へへ……。やっぱり男の子は、甘えてくるタイプに限るなぁ……」

『みゃぅ』


 デザートムーンがこちらの顔を見上げている。

 「はやくなんとかしろ」と言わんばかりだった。いやでも、どうすればいいんだこれ。さっき以上に、どうすればいいんだこれ。


 新装開店初日。『desert & feed』は、なかなかに混迷を極めていた。

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