第8話 デザートムーンの冒険 ①

 デザートムーンは好奇心旺盛な猫である。


 もともと知らない場所を探索するのは好きだった。知らない食べ物。新しい出会い。危ない目に遭うこともしばしばあったが、それでもデザートムーンの冒険心は抑えられなかった。


 とはいえ、最近は冒険もご無沙汰だった。黒い髪の人間(ふぃーとというらしい。いつも食べ物をくれるし、よっぽど自分のことが大好きなんだろうなぁ、とデザートムーンは思っている)と暮らすようになってから、デザートムーンはずいぶんと忙しくなってしまった。

 毎日のように人間たちの間を渡り歩き、おいしいおやつをもらう生活。満ち足りているし、幸せだった。野良として王都をさまよっていた時期とは比較にならないほどに幸せだった。

 しかし何か大切なものが欠けているような感覚があったことも、また事実だった。


 そして今日このグレイラインにやって来て、その大切なものがなんだったのかデザートムーンはようやく思い出した。

 冒険と探索。未知のものとの出会い。


 だからデザートムーンは己の好奇心にしたがって、工場地帯の探索を始めたのだ。


 屋根から屋根へ飛び移り、配管を伝って歩き、物々しい鉄格子の間をすり抜ける。

 なにもかもが未知の空間にデザートムーンは心躍らせた。こういう薄汚れたところなら、もしかしたらかなり大きいネズミがいるかもしれない。もし見付かったら捕まえて、ふぃーとへのおみやげにしてもいいだろう。


「……て。……る……じゃん」


 ふと、デザートムーンは足を止めた。


 何かが聞こえた。人間の話し声らしきものだ。

 誰だろう。ひらりと体を翻し、声がした方に向かう。


「それは……からで、でも……」


 声は2つ。女のものと男のものだ。どちらの声も若い。


「あのね~~……。ウチはそんなこと言ってるんじゃないの。要するにさぁ、エルフキャットを確保できれば今日の任務は終わりなんっしょ?」

「い、いえ、まあ……それはそうなんですが」

「だったら馬鹿正直に野良を捕まえなくてもさぁ。業者に連絡すれば売ってもらえるじゃんね~~」

「いや、それはだから、任務の意味がないというか……。それに班長、エルフキャットはかなり高価です。購入できるようなお金は班のどこにも……」

「ん~~……。だからさ、定時まではとりあえず自力で探しなよ。定時過ぎても見付かんなかったら、キミらの自腹で買ってきな~~。言ったっしょ? ウチを定時で帰すのがキミらの仕事だって。仕事が達成できなかったら、責任は自分で取らなきゃね~~……」


 倉庫の屋根から屋根へ伝って、デザートムーンはようやく声の元にたどりついた。

 地上を見下ろすと、そこには1人の女と4人の男がいた。女は気怠そうに手近の壁にもたれかかり、4人の男たちはなにやら必死の形相であたりを探索しに散開しようとするところだった。


「がんばんな。応援してるよ~~……。さてと、ウチはちょっと寝よっかな……」

「は……班長!」

「冗談だよ、じょ~~だん。てかこんな固い地面で寝れるわけないし……」


 少しだけその光景を眺めて、デザートムーンはすぐに興味をなくした。おそらくではあるが、彼らはデザートムーンにおやつをくれるタイプではなさそうだ。

 であれば、この場に留まる意味はなかった。さっさと別の場所に移動して、ふぃーとに持って帰ってあげるネズミを探した方がいいだろう。

 そう考えたデザートムーンが体を翻そうとした瞬間、


「い……いた! いました! エルフキャットだ!!」

『みゃ?』


 地上から声が聞こえてきた。


 明らかにこれまでと違う叫び声に少しだけ興味をそそられて、デザートムーンは身を乗り出してそちらを眺める。


 先ほど叫んだらしい男は、自分でも信じられないといった様子で指を差していた。……デザートムーンとはまったく違う方向、目の前の倉庫の入り口付近を。

 そしてそこには、黒い体毛と金色の瞳を持つエルフキャットがいた。やつれていてもつややかな毛並みに、しなやかで優美な曲線を描く体。デザートムーンのエルフキャット的審美眼によると、かなりの美少女猫だった。


『みゅぅ~~……』

「おいロバート、こっちを見て睨んでる! こっからどうすればいい!」

「し……しばらくそのまま待機! 相手が魔法球を出したら、それより大きな魔法球を出して対抗してください! それで言うことを聞いてくれるようになります!」

「や、む、無理だ! 俺魔法球なんて出せねえよ!」

「っ、すぐそっちに向かいます! 僕が対処を――」

『みゅう……!!』


 黒いエルフキャットが魔法球を出し、目の前の男を威嚇した。

 散開していた男たちはいっせいに走り出している。しかしすでにそれなりに散らばっていたおかげで、彼らが合流するまでに20秒ほどはかかりそうだ。


「お、おいロバート! 魔法球を出された!」

「くそ、間に合わない……! 危ないと思ったら下がってください! 逃げられてはしまいますが、攻撃されて怪我を負わされるよりはマシで――」

「『水の槍』」


 女の手から鋭く噴射された水鉄砲は数十メートルの距離を横断し、黒いエルフキャットの体に命中した。


『みゅぐっ!?』

「は……班長!?」

「お利口さんだなぁ、ロバート君は~~。別に魔力のくらべっこになんか付き合う必要ないっしょ……」


 鋭い水の一閃に弾き飛ばされて、黒いエルフキャットは倉庫の壁に激突して倒れ込んだ。

 ふらつきながらもなんとか立ち上がろうとするが、上手く行かない。出していた魔法球もほどけて消えてしまっている。


「痛めつけて気絶させた方が簡単にすむっしょ。……てかそいつ、まだ意識あんね。キミ、ちょっと左にずれてくれる~? もう一撃入れとくから」

「は……はい」

「おっけ。ほんじゃ、『水の槍』」


 再び女の手から水が噴射される。


 その水鉄砲は狙いあやまたず、避ける余力もない黒いエルフキャットに吸い込まれるように命中……


「……は?」

『みゅ?』


 する直前で、その軌道を塞ぐように現われた風の魔力球によってかき消された。


『みゃう!!』


 デザートムーンはその体を空中に踊らせ、地上に降り立つ。

 黒いエルフキャットと人間の一団との間に割って入るかたちだ。すぐそばに立っていた男は怯えた表情で、1歩2歩と後ずさった。


『ふしゃああああっっ!!!!!』

「あ~~~~……めんど。1匹でいいんだけどなぁ、捕まえんの」


 デザートムーンの頭上に、いくつもの魔力球が浮かび上がる。

 威嚇のためのものではない。この人間たちに、その行動が無意味なことはすでに分かっている。


「っ、まずい! そのエルフキャット、戦闘態勢に入ってます!」

「……だるい。だるいなぁ。だるいけど」


『みゅ……ぅ?』


 か細い声がデザートムーンの背後から聞こえる。


「……ま、猫畜生に舐められんのも癪に障るし。ウチもたまには仕事しますか~~……」

『ふしゃあああああっっっ!!!!』


 デザートムーンが走り出し、同時に魔力球から攻撃が噴射された。

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